暖かくもなく、されど寒さは少し和らいで春の兆しが現れ始める頃、彼は私の前に現れた。久しぶりに見た彼はスーツを身に纏っていて、仕事帰りのようにも見えるのだが――何故彼が私の家に訪ねてきたのかはわからないままだった。彼とは幼い頃からの付き合いで幼馴染みとも言える仲だが、高校を卒業してからはお互い仕事や大学で会える時間も少なくなり、いつしか連絡も取らなくなったというのに何故その彼が此処に――?私は首を傾げながらも彼を家の中へと招き入れた。

彼、幸村精市はアンティーク調の椅子に腰を降ろして、彼が訪問してくる少し前に飲もうと注いだコーヒーを口に含んで一言「不味い」と不平を漏らした。不味いなら飲まなければいいのに、幸村くんは相変わらずいじわるだ。

「もう、私が飲もうと思って煎れたのに何であなたが飲んでるのよ」

頬を膨らませて怒る私を見て、鰒みたいな顔、と言いながらくすくすと笑っている幸村くんを見て少しだけ安堵を覚える。昔と変わらないその表情に安堵したと同時に胸がチリチリと痛んだ。

「それよりどうして此処に?」
「久々に幼馴染みの顔が見たくなってさ。……っていうのはほんの冗談だけど、あれから仁王とはどうなったの?大分時間経ってるけど連絡先交換したんだろ」

幸村くんが言うあれからとは、きっと高校の卒業式の時の事だろう。ただ漠然と仁王くんを見つめていた私を見て私の背中を押したのは幸村くんだった。私は背中を押してくれなんて頼んだつもりはないのに、幸村くんが優しい笑顔で「頑張って」なんて言うから、私は仁王くんに連絡先を聞く他選択肢がなかった。

その時だ。幸村くんが私を見ているようで見ていないという事に気付いたのは。私はずっと幸村くんの事を見ていて彼が私に隠してきた事も全部知ってるのに、幸村くんは私の事なんて何ひとつわかってくれていなかった。わかろうとすらしていなかったのかもしれないが、私にはそれが苦痛だった。

高校生の時、幸村くんが高崎さんを好きだった事も知ってる。両思いだったのに付き合ったら私が寂しくなるからって結局付き合わなかった事も、私が忘れ物をしたら必ず仁王くんが貸してくれるように仕組んでいた事も全部知ってる、のに。幸村くんは私の心の奥底までは見抜いてくれなかった。

「連絡は取ってない、かな。あれからもう四年も経つんだよ?それにね、幸村くん。私がずっと好きだったのは仁王くんじゃなくて――」

幸村くんが大きく目を見開いた。不味いと言いながらも何度も口付けていたコーヒーの入ったマグカップがゴトンと鈍い音を立てて床に落ちる。カーペットには黒ずんだ染みがじわじわと広がっていって、幸村くんはそれを見つめながら、薄く唇を開いた。


2011-March
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