「だって、僕が最速だって言ってるのに、」 「元祖最速の俺様に挑もうなんざ百万年早ぇよー!」 「「梨はどっちが早いと思う?」」 関ヶ原の速駆けを観戦した帰りのこと。 たわいもない喧嘩をしていた二人に詰め寄られてしまって言葉に詰まる。 二人はいたく真剣だし、両の腕をガッチリと捉えられては躱すことも不可能だ。 そんなの知ったことではないし、単純にいえば悟空が早いんだろうけど…そんなこと言ってナタ殿にボコられるのも嫌だなあ。何も言わないのが吉。 だからあはは、なんて笑って誤魔化していた所に通りかかった太公望殿が面白そうに笑っているのに気付いて、思わず頬が引きつった。 まずいな、これはろくでもないことを考えてる顔だ…いつもだけど。 「ならば、決着をつければよかろう?…クク…」 嗚呼、やっぱり! 暇を持て余した神々の遊び、なんてネタがあったことを思い出す。 それはそれはバカバカしいコントだったけれど、そんなのもあながち間違っていなかったみたいだわ。ああ、巻き込まれるとかついてない。 いつの間にか腕の拘束は太公望殿のものへと変わり、二人は口論再開。はい巻き込まれた!私終了!! 「……それで、坊ちゃんの思いつきにわざわざ我らが集められたと?」 「まあそう怒るな女カ、またシワが増えrいだだだだだだだ!!」 不機嫌さに身を任せ伏犠殿の耳を抓り上げた女カさんは、それでもまだ足りないのか彼の両頬を抓んだ。あ、かぐやちゃんが笑ってる。 どうやら太公望殿は大掛かりな「何か」をやりたいらしい。仙界のそうそうたるメンツが、そこには集結していた。 「貴公らに妨害の手助けをして欲しいのだ。」 太公望殿の考えはこう。 走り回るのに適した定軍山で彼ら二人を競わせる。という名目の元、いつも事件を起こす二人を懲らしめたいらしい。 確かに定軍山はコース取りもしやすいし兵も潜ませやすい。なかなかの名案。 集められたのは私と、伏犠殿、女カさん、素戔嗚殿に三蔵さん、かぐやちゃんまでいるという充実ぶり。 「分かってはいると思うが、手加減は不要。…特に素戔嗚、ナタに手加減はせぬようにな。」 「…諾。」 「…三蔵殿は少し手加減してやってくれ。」 「えっ、あ、うん、つい〜。ごめんね!」 表情こそ分からないがしょんぼりした素戔嗚殿と、見るからに一撃必殺の武器を構えた三蔵さんに一抹の不安を抱える。この人は悟空を殺しにかかってるのか…。 太公望の懐から翻った紙は定軍山の地図。各々の配置が墨で書き加えられていく傍で、仙界軍によるマラソン大会のセッティングが進められていった。 私はそんなに関係ないんですけど…とか言えない空気だったのは、言うまでもない、よね。 そして来たる翌日の午後、悟空とナタ殿を連れて訪れた定軍山は、えも言われぬ緊張感に包まれていた。 いがみ合うことに執心した二人は気づいていないが、本気も本気で誅するらしい。仙界人怖い。 「ゴールは清盛殿がいた山頂で、テープを先に切ったほうが勝ち。あっ、転移の術は使用禁止で崖からの高飛びもダメですからね!」 「へーへー!悟空タクシーナメてもらっちゃ困るのよ〜!」 「そんなことしなくたって僕が勝つよ。」 渡したお手製の地図を二人は破り捨て破て、スタートラインに立つ。 ピリリとした一瞬の緊張。それを破るように号令を掛けた。 その途端に駆け出した二人を後ろから赤兎馬で追う。監視の役目を果たすには、見失っちゃあまずいでしょ。 まず目指すのは悟空と孫市殿がいた小山の山頂。 最初のトラップは…ああ、伏犠殿か。 二人に続いて潜った門の先、伏兵も護衛兵もなしでその人はそこにいた。 「待てい小僧ども!まずはワシと洒落で勝負じゃあ!!」 思わず落馬しかける。やる気あんのかこの人! 進行方向に仁王立ちしているけれど、全速力の二人を止められるかといえば否だ。 見事に吹っ飛ばされる様が容易に想像できる。 …ところがその瞬間、急停止した悟空の驚く声と、金属のぶつかる高い音が響いた。 「勝負を邪魔するなんて…なんのつもり?説教おじさん。」 「止まれと言われて止まらんお前らが悪い。」 目を見張った先で、振り下ろされた伏犠殿の大剣をナタ殿が止めている。 振り返ると、入口の門にもご丁寧に結界が張られて抜け出せないようだ。 まるで、光秀殿を助けに行った本能寺のような、殺伐とした空気。 「いいよ、倒してしまえば問題ない。」 「おっと、ワシを力づくで倒しても結界は解かんぞ?言ったじゃろ、『洒落で勝負』だと。」 気迫は本物の戦場さながらに。ただ、この人の笑いのセンスの低さは太公望殿もろとも実証済みだ。悟空がリードを取るのは間違いない。 予想通り、嬉々とした表情の悟空が元気に手を挙げる。 「じゃあオレサマが!『布団がふっとんだ〜』!!」 「…がはははは!よし!!通れ!!」 「う…な、何を言ってるの…」 「ほれ、おぬしの番じゃ。」 ああなるほど、ナタ殿を集中砲火したかったのか。 伏犠殿から送られた視線は『早く行け』。あーあ、ナタ殿ご愁傷様! 踵を返して結界を抜けた崖の下、悟空の姿が見えた。意外にも高飛び禁止を遵守して、崖から飛び降りていなかったらしい。 次のコース取りは、夏侯覇殿がいた所。そこにはかぐやちゃんのトラップがあったはずだな… ところが門の上、目に飛び込んだの『給水所』の文字に、今度こそ本当に落馬した。 かぐやちゃんらしいっちゃらしいけど!それじゃあお仕置きになんないよ! 「ようこそいらっしゃいました、悟空様。お水、果物などご用意しております故、ご自由にお取りください。」 物腰柔らかに頭を下げた彼女はゆったりと微笑んだ。 確実なリードを手にした悟空も余裕があったのか、水と桃を二つ手にしてその場でそれを貪る。にこにことそれを見守っていたかぐやちゃんに違和感を覚えたのはその瞬間だった。 「ごゆるりと、留まられませ。」 ぞくり、這い上がる悪寒。言外に「あなたは食べるな」というメッセージを受け取って生唾を飲んだ。 目の前に置いてある果物が、急に怪しげな艶を放っているよう錯覚に陥る。動物の本能か、赤兎も果実から鼻先を背けた。 その瞬間と、手にしたものを平らげた悟空の表情に陰りが差したのはほぼ同時だった。 「な、なあかぐや、この辺に便所って…。」 「存じませぬ。」 「梨っ……!」 「えっ?…あー、知らないなあ?そのへんにするしかないんじゃないかなあ?」 苦笑いを浮かべてそう言っている合間にもみるみる悟空は前傾していく。 額には脂汗、お腹に添えられた手。 かぐやちゃんの制裁は、下剤の混入したものを給水で渡すという、善意に隠されたかなりハードなものだったようだ。 悶える悟空がヨロヨロと草むらに消えた頃、第二のターゲットも水を手にした。 うわ、かなり参ってるなあ。…伏犠殿の洒落を聞かされ続けたらああもなるか…。 一気に煽って走り出した彼の後を追う。陣を出るときにかぐやちゃんを振り返ったら、晴れやかな笑顔で手を振っていた。妲己さん…かぐやちゃんは立派な悪女です! 「…。ナタ殿、お腹の調子はいかがです?」 「お腹?別に何ともないけど。」 センブリの件で内臓系に手は加えていないはず、とナタ殿に探りを入れたが、彼は顔色一つ変えずに飛行する。 かぐやちゃんの標的は悟空だったようだ。南無三。 次のトラップは…まずい…迂回しなければ。 悟空が再登場したあの街のような場所に、三蔵さんと素戔嗚殿の共同戦線がかけられているらしい。考えるだに末恐ろしくて覗き込む勇気すら私にはない。特に三蔵さん。 走り去るナタ殿の背中を見送り、逆方向に走り出して数秒。フラフラと飛ぶ悟空とすれ違って同情を禁じ得なかった。 「素戔嗚殿がどう出てくるか、だよね…」 ここでナタ殿に手心を加えられては、悟空があまりにも不憫すぎてならない。 確認のためにも、と、出口に当たる場所まで迂回し終え、勇気を振り絞って覗き込んだ。 そこには、一撃必殺の武器を片手に悟空を追い回す三蔵さんと、本気も本気の手合わせ中な素戔嗚殿とナタ殿の姿が。おい、これはレースじゃなかったんかい。一人ツッコミは虚しく空を切る。 「待ちなさい悟空〜っ!」「っ、あと、何分だお師匠様っ!!」 「捕まるまで!」「そりゃねえだろおおおお!!」 「っ、素戔嗚、時計が鳴ったら、走ってイイんだよね?」 「了。悟空も同じ頃合だ。」「ふう、んっ?なんか、ずるいなっ?」 様子を眺めてようやく理解した。時間耐久拘束。なるほど。 ナタ殿は素戔嗚殿に負けた時点、悟空は三蔵さんに捕まった時点で勝負も負け、って魂胆らしい。 両者必死の形相。多分ここが一番辛い。私にもわかる。辛い。 広場の時計が音を鳴らすまで残り10秒。出口を塞ぐように止めていた赤兎を慌ててどかし、鐘の音と共に飛び出してきた二人を再び追跡する。やはり序盤と比べてスピードが落ちたようだ。 「梨っ、次は誰がいるの…」 「つーか!オレ達は純粋に速さを競いてーだけなんだっちゅうのぉ!」 「う、ううーん。わっからないなあ…?」 嘘。次は曹仁殿がいた場所に、女カさんがいるはずだ。 彼女は乗り気ではなかったし、そうそう辛くはないはず…と思って見上げた坂の先。不自然に凍りついた陣に思わず赤兎の手綱を引いた。 道が氷漬けなのだ。これでは蹄が滑って登れない。宙に浮くランナー二人は、私に優越の笑みを一瞬寄越し、そのまま走り去る。女カさん、なんてことしてくれたんだ…! 「これじゃ追跡できないじゃない…どうすんのよ…」 「その必要はない。」 馬上で頭を抱えた私に、後ろから女カさんが声をかけた。あれ?なんでここに女カさんが?しかも太公望殿まで……? 状況の読めていない私に、クスクスと太公望殿が笑いかけた。珍しく同じように楽しげな女カさんが、私の手を取り馬から下ろさせる。 「上を見ていろ?今に面白いものが見られるぞ。」 「面白いものって…」 なんですか。 その言葉の前に、けたたましい爆発音が耳を裂いた。ついで山頂から上がる花火。 薄暗くなってきていた空に、鮮烈な色が乗って光る。その中に、見覚えのあるシルエットが二つ。 ……素直に綺麗と、言えるもんじゃない。 「これが各砦の者たちとの連絡にもなっている。さあ、撤収するぞ。」 「え、ちょ、女カさん、悟空たちは、」 「置いていくに決まっている。しばらく頭を冷やすいい機会だろう。」 優雅に、私の手を握り微笑んだまま、彼女は達成感に満ちた顔である。 太公望殿もまた同様。きっと他の顔をしているのは、私と三蔵さんだけなのだろう。 …後日、悟空とナタ殿に追い掛け回されるのは、また別の話だ。 マラソン妨害戦
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