言葉が使えないことを歯痒く思ったことはあるけれど、それを悔しんだり妬んだりすることはない。むしろ私には言葉なんて要らない。欲しくない。人間の言葉など、話せなくていい。
「冬師郎さん」
私の鳴き声は人間の言葉としては通じない。だから今のだって、冬師郎さんは自分のことを私が呼んでいることには気が付いているけど、私が冬師郎さんをなんて呼んでいるのかは知らない。
「駄目だ」
「冬師郎さん、行きます。私も行きます」
「何回言っても懲りない奴だな、駄目なものは駄目だと言ってるだろ」
冬師郎さんは部下に名前を呼ばれるのを嫌がる。仕事と私事はしっかり区別をしたいらしく、古い付き合いだというあの方にさえいつも口酸っぱく「日番谷隊長だ!」と釘を刺す。これが、私が言葉を持たない存在で良かったと思う所以だ。
「ほら隊長、メノ子だって一人で行かないほうが良いって言ってるじゃないですかぁ。特訓ならあたしも付き合いますって」
「松本、テメーは黙ってろ」
「おお怖い怖い。どうしたんですか隊長、なんか今日変ですよ?ほらメノ子もこんなに冷たくなってる」
「元からこいつは冷てぇよ」
雪女の幽霊である私は暑さが苦手で、冬師郎さんの霊圧が届く範囲でなければたちまち弱ってしまう。残り香のように霊圧がこびりついた執務室であったら冬師郎さんがいなくても動き回れるが、この場所以外ではてんで駄目なのだ。
「大体たかが修業って言うんなら、それこそ付いてくる必要はねぇだろ」
私は冬師郎さんのことを一から十まで知っているわけではないけれど、この二十数年間、出会ってからは片時も離れることはなかった。最年少で隊長格まで上り詰めたとき、誰も見ていないところで得意げに笑っていたのを見たのはきっと私だけ。お祖母様から送って頂いた甘納豆のお礼の手紙にと、いつもより少しだけ肩に力を入れて筆を滑らせていたのを見たのも私だけ。
冬師郎さんは「一人になりたい」と言って周りの人間を近寄らせないときだって、私だけは傍に置いてくれた。俺の霊圧が無いとお前は直ぐに弱るし、後が困るだろ。そっぽを向いて俯きがちに呟く彼はとても不器用だった。
「……お前だって執務室にさえいれば問題ないし、なるべく早く帰るように努める。それでも駄目か?」
ひたすらに首を横に振る私に、冬師郎さんは少しだけ呆れ顔だ。
「いつもは俺が一人で行ったって我が儘なんて言わねぇのに、何で今日はこうも頑固なんだ……」
「日番谷隊長、なんかやったんじゃないですか?それでメノ子怒ってるとか」
「違います、乱菊さん。違うんです」
「ほらなんか抗議してる」
「………俺、何かしたか?」
「冬師郎さん気付いてください。私、怒ってるんじゃないんですよ」
「駄目だ解んねぇ」
「ポケモン翻訳機とかないんですかー?」
どうしたものかと腕を組む日番谷隊長に、たいして困っているようには見えない松本副隊長。この二人に共通していることと言えば、滅多にない私の我が儘に呆れてることくらいだろう。
「…もういい、これじゃ埒が開かねぇ。松本」「なんですか?」
「後はお前が頼む」
「解りました」
「!!」
「メノ子〜、そんな顔しても駄目よ。今日はあたしとお留守番っ!あんまり我が儘言って隊長困らせないの!」
抱え込まれても尚必死に鳴き声をあげてもがく私に、冬師郎さんはほとほとまいったような呆れ顔。そうして彼は私たちにひらりと手を振ると、羽織を翻して歩き始めていた。その小さな背中が背負う十の文字の意味くらい私だって解っている。だけど、だから、怖かった。
「待ってください!」
私の体が冷たいのが厭だと言われても、それはどうしようもないことなの。言葉が喋れないのも、ここには滅多に生えていない木の実が主食であることも、私にはどうすることもできないの。貴方が幽霊であるように、私も幽霊で、人間じゃないのよ。
あの日あのときあの人に捨てられた私を冬師郎さんは見つけてくれた。どうすることもできないそれをそのまままるごと受け止めて、暖かみを与えてくれた。冷たいこの体に入れられた冷たい霊圧は、確かに暖かかった。
「…ほんと、なんなんだよお前は」
「………キュウ」
「解ったよ、つれてけばいいんだろ、だからそうしがみついて泣くなよ」
私、知っています。あなたは傷ついたあの人を護れなかったことを責めていて、傷をつけたあの男に完膚なきまで打ちのめされて、自分の幼さ故に手に入らない力が何よりも欲しくて、歯がゆくて、今日もあの洞窟で一人修行を重ねることを私は誰よりも知っています。私さえも置いていくその悔しさも、無念も、やる瀬なさもすべて。だって、一番近くでずっと見ていたから。
今のあなたがどれだけ自暴自棄になって霊圧が鋭くなって部下達が凍えるようなそれに近づけなくなったとしても、私だけは最後まであなたの傍にいます。あなたが怒れば怒るほどその霊圧が強くなったとしても、あなたの霊圧で長らえている私にとってはなんてことありません。たった一匹だけ、人間ではないけれど、何があっても離れません。離れたくはありません。もう、誰かに置いていかれるのは二度と御免です。
これは私の我が儘です。我が身が可愛い故にあなたの傍から離れたくないのです。ですからどうか冬師郎さんも私に対して我が儘になってください。どうぞ私を傍に置いてください。自分自身をもその霊圧で凍えさせるようなことはしないでください。その痛み、私に預けてください。
何も喋れぬ身であります。あなたを護られるだけの存在ですが、逃げ出したりはしません。あなたの傍にさえいれたら、私には怖いものなどないのです。
いのちに触れたい