「あー、もしかして………侘助くん?」

「……よう、久しぶり」

「久しぶり。よく私がわかったね」

「いや…なんとなく」


42歳にもなると周りの同年代の奴らは急に老けこむ。ハゲたり太ったり病気になったり、縁起が悪い奴はそのままポックリいってたり。もう随分と思い出せなくなってしまった遠い追憶の中で走り回っていたガキ大将はどこへ行っただろう。都会から来た垢ぬけたマドンナはどんな男と結婚しただろう。小学校の文集に書いた夢を実践できた奴は、一体何人だろうか。





目まぐるしい職場からなんとか代休を勝ち取って、文句を言わせる隙も与えず逃げるように日本に帰ってきたのは、ばあちゃんの一回忌の為。大黒柱が抜けた筈なのに陣内の奴らの活気は変わらぬまま、人数が増えた。一人は佳主馬の妹。もう一人は新婚の邦彦の長男。そしてひょんなことから正式なる夏希の彼氏となった小磯健二くん。


「侘助、どうせあんた暇なんでしょ?ちょっとご近所さんに野菜を配ってきてちょうだい」


思えば俺の居場所はばあちゃんのところにしかなかった。しかしばあちゃんがいなくなっても、今は皆が俺のことを迎え入れてくれている。なんだかそれがこしょばくて、そして10年離れているうちに随分と増えた新しい親戚や子供たちに気押されて、どうにも居心地が悪い。だから、万理子おばさんのおつかいだって喜んで頼まれた。ちょっと散歩がてらぐるりと回ってくるだけだ。その頃にはきっとあのやかましいチビ達もおとなしくなって、俺も縁側でゆっくり酒が飲めるってモンだ。


「ああそうだ、あんた、ちゃんと忘れずにお山様のお家にも届けなさいよ?」

「お山様ぁ〜?冗談じゃねぇよ、歩いてどんだけ時間がかかると思ってんだよ」

「いいから行ってきなさい、あんたはお山様に10年も顔を見せてないのよ?去年はおばあちゃんの葬式とかOZの騒動とかでゴタゴタしてあんたも直ぐ帰っちゃったんだから、挨拶くらいしてきなさい!」


お山様というのは上田に伝わる何とも奇妙な黄緑色の生物で、大きさはだいたい2メートル程度。鋭利な牙やバカでかい爪で凶暴そうな出で立ちをしているのだが、お山様はこのあたりに一匹しか存在しない。山の中をウロウロとして、土を食べ木を食べ山を食べ、この上田の山を守っている。そして、お山様は何か上田に天災が起こるとその身を以て上田の村を守り、最期には大きな山となっていつまでも見守ってくれているらしい。本当は正式名称があるらしいのだが、このあたりに住む人間は親しみと崇拝を持ってお山様と呼び、こうやってたまに農作物などを、お山様と唯一交流ができると伝説のある家系に届ける。まあ簡単に行っちゃうと、よくある地域伝承の類だ。





「それにしても侘助くん、全然変わってないんだもの。ちょっとビックリしたなぁ。まあ確かに老けはしたけど、11年前と雰囲気は何も変わってない。まるで生きた化石ね」


お山様の住むといわれる山の途中の田んぼ道でバッタリ出会った同級生の女は、しっかり42年分年を取っていた。だが生きた化石はお前も同じだろ。相変わらず植物みたいなヒョロヒョロの体しやがって。大きな麦わら帽子にTシャツと細身のジャージというひどくやる気のない格好ではあるが、42とは思えないくらい肌と声色が綺麗だった。


「お前には言われたくねぇよ」

「何よそれ、11年振りに再会した同級生の女友達に言う言葉?」

「11年って…俺去年の今頃ここに帰ってきてたんだけど」

「え!本当!?でも、陣内のおばあちゃんの葬式では顔を見なかったわよ?」

「ちょっとバタバタしててな、出れなかったんだ。だから今年の一回忌はちゃんと出ようと思って」

「そうだったの………でも、侘助くんはおばあちゃんの死に目に会えたのね?なら良かった。10年間もの間ずーっとあなたを心配してらしたのよ、陣内のおばあちゃん」


彼女もきっとOZを利用しているんだろうけど、去年の騒動の犯人なんざこれっぽっちも興味がなかったのだろう。だから俺が何をしでかしたのかも知らないしばあちゃんの死因も知らない。心底ホッとしたような顔をしている彼女を見たら、まさか自分の所為で死に目にも会えなかったなんて言えるはずがなかった。


「そうだ侘助くん。せっかくだからお昼ご飯私のお家で一緒に食べない?きっと主人も久しぶりの貴方に喜ぶわ。三人でプチ同窓会!どうかしら」

「そうしたいのは山々なんだけど、俺ちょっと今お山様にお供え物をしに行かなきゃいけないんだ。こっからじゃ結構時間かかるし、また日にちを改めて………」

「お山様?お山様にお供え物をするの?」

「そう」

「なら、私が預かっておくわよ」

「………は?」

「侘助くん、その様子じゃスッカリ忘れてるね?私がお山様と唯一交流がある家系の娘だってこと」


彼女はケタケタと笑いながら俺の掌にあるビニール袋を奪い、背中を向けてしゃがみこんだ。


「山ちゃん。これ、おじちゃんから貴方にプレゼントだって。良かったねー、お礼、言える?」


形容し難い鳴き声と一緒にビニール袋がガサゴソ鳴る。何がなんだかわからない俺は彼女の背中から、そこにいるであろう「なにか」を覗き込んだ。


「……あ、侘助くんはお山様を見るのは初めて?」

「目で見るのはな。本当にいたのかこんな奴。ていうか随分小さくねーか?」

「そうよ、だってこの子はまだ子供だもの。先代のお山様から生まれた一人息子よ、だから山の子の山ちゃん!」


黄緑色をしているそれはちまっとした二本足で地面に立っている。頭からは立派な角が生えていて、腹にはダイヤ型の結晶のようなものが埋め込まれている。顔も目の下には模様があって、尻尾はタンポポの花みたいだ。昔絵巻で見せてもらったお山様とのあまりのギャップに俺は開いた口がふさがらない。


「お前、こいつらを42年間も相手してたのか?」

「そう。あんまり人に言っちゃいけないんだけど、この土地に深く根ざしてる人なら問題ないのよ。陣内家は私たちと同じくらい此処に住んでるものね。山ちゃんは去年生まれたの」

「去年………なら、まだ赤ん坊か」

「うん。可愛いでしょ?でもこの子すっごく重いのよ、70キロくらいあるの!途中で疲れてもおんぶなんか絶対無理だから散歩もちょっただけ。侘助くん、会えてラッキーだったね」


確かに見た目は生意気そうでかわいらしい。上から見つめる俺に気付いた山の子は目をまぁるくさせて負けじとじぃっと見つめ返してくる。小さな手に持ったキュウリはもうほとんど食い尽されていた。


「本当はね、山の子はお山様が育てるから私たち家族が世話することなんてないの。だけど、この子のお母さんは去年、あらわしの墜落からこの上田を体を張って守ってくれたのよ。しかもその衝撃を上手いこと利用して温泉まで掘り当ててくれた」

「!」

「ほら、あそこの山、突然現れたの気付いてる?あれがこの子のお母さん。とても良い方だったのよ。自分は土と木しか食べれないはずなのに、皆からもらう作物も美味しい美味しいって食べてくれて……そんな気持ちがこの子にも遺伝したのか、この子は野菜が大好きなの」

「だから お前が育ててるのか」

「うん。育ててくれるお母さんもいないし、亡くなったお山様と私が一番仲が良かったから……こんなこと前代未聞なんだけど、一応今のところはなんとかなってるかな?」


一人と一匹は、何故あらわしが上田に落ちたのかを知らない。この黄緑色の生き物は、何故母親が死んでしまったのかを知らない。その大元の原因は一体誰にあるのか、何にも知らないのだ。


「ごめんな」


まさかこんなことになるだなんて言い訳はしないけど、俺は別にお前の母ちゃんを殺すつもりなんてこれっぽっちもなかったんだ。だってそうじゃなきゃ、今こうやってお山様にわざわざお供え物をする為にえっちらおっちら50分もかけて炎天下の中を歩いてきたりしないだろ?

降ってきた手に動じることもなく、山の子は俺の撫でつけを受け入れて気持ちよさそうに目を細める。謝罪の一言に彼女は小首を傾げていたが、特に気にするでもなく俺とこの奇妙な生物を微笑ましく見守っていた。


「お山様って言ったって生物なんだもの。生まれたものはいつか死ぬわ。それが遅いか早いかだけ。先代のお山様は死ぬ時期が少し早かっただけで、この土地になんら問題はない。だってお山となった沢山の御先祖様がこの子を見守っているんだから」


お山様の誕生は土の奥深くから始まるらしい。周りの土を食べまくってモグラのように這いだしたこいつは、今までのお山様と同じようにこの上田を守るために成長していく。俺の家と一緒だ。ばあちゃんは死んでしまったけど、万理子おばさんがその穴を埋めるかのように成長している。

俺の失敗なんてなかったかのように、世界が、壊れてしまったものが、少しずつ、されど確かに再生していく。


「さ、あまり日に当たっていてもよくないわ。ほら山ちゃん、私の麦わら帽子をかぶってなさい。お昼ご飯にしま……ってああ!あなた、もしかして今もらったキュウリ全部食べちゃったの!?」

「いや、いいよ別に…」

「駄目よ折角いただいたものをお礼もなしに全部食べちゃうなんて。お山様を言ったってこういうところはちゃんとしなきゃ。山ちゃん、ちゃんとおじちゃんにお礼を言いなさい!!」


ピシャリとくらったお叱りに山の子は小さい体を更に縮こませ、プルプル震えながら俺に何かを訴えかけるように鳴いた。これは、謝ってるのだろうか。それともお礼を言っているのだろうか。なんだか頼りない守護神に思わず笑ってしまう。


「お詫びに、一緒にお昼ご飯を食べませんか?だって」

「お山様のお誘いとあっちゃあ、断るわけにもいかねぇな」

「美味しい泥団子をこさえてくれるわよ」

「………やっぱ断ってもいいか?」

「ふふ、冗談ですって」


麦わら帽子をかぶせられて前が見えなくなってしまったのか、さっさと前を歩く彼女の後をフラフラとついて歩くそれを慌てて支えようとすると、不意に手と手が触れ合い、俺は咄嗟にその手を掴んだ。岩肌。というよりむしろ岩そのもの。ゴツゴツとした肌触りと一緒にひんやりと冷えていて、汗だくで歩いてきた俺にはちょうどいい体温だった。


「なぁ」

「なーにー?」

「お山様って正式名称があるんだろ?」

「あるわよ」

「なんて言うの」

「お山様はバンギラス。その子はヨーギラス。山をひとつ丸々っと食べたらヨーギラスは眠り始めてサナギラスに進化するの。もう見た目まんまサナギよ。それから脱皮すると、侘助くんが小さい頃から絵巻物とかで見てたようなお山様のバンギラスになる」

「それはいつだ」

「そんなのわかんないわよ」

「たらふく食えば成長するのか?」

「まぁね」

「なら、キュウリを食いきれないほど持ってきてやるよ」


プゴォだかプギョォだか、とにかくなんとも不思議な鳴き声で鳴いたヨーギラスは機嫌良く短い足をヨチヨチと動かして歩いている。



その時なんとなく、大人になるってのは、守られていたものを守ることなんじゃないかなぁなんて、俺なりに思ったりした。



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