マリアに純血を捧げよ




「毎週手紙を書くから心配しないで」
「わかってるさ、可愛いシュナ」
「クリスマス休暇には帰って来てちょうだいね」
「うん。当たり前」

 チークキスを交わすとキャンベル氏は娘のシュナを抱き上げた。プラットフォームは濃い煙を吐き出している紅色の蒸気機関車によって圧迫されているようだった。これから特急に乗り込む子供たちを次々飲み込んでいく。騒がしいおしゃべり、重いトランクの擦れ合う音、ふくろうや猫が不機嫌に鳴いている。見たこともない景色にひっそりと心が踊るのを感じた。先頭車両はもう埋まっているように見える。シュナは遠くまで目を凝らした。

「体調には気をつけて」
「ママもね」
「愛してる、パパの小さな魔女は宝物だ」
「わたしもだよ」

 ホグワーツへと旅立つ日がついに来た。後ろの方のコンパートメントに乗り込んでからも、開け放たれた窓からシュナは両親に手を振っていた。シュナよりずっと大きな年上の男の子はもう制服に着替えている、胸にはPの文字が入った銀色のバッジを輝かせていて、一体何なのだろうと小首を傾げた。「さあ、さあ。ジミー坊や、お行儀よくするのよ」「もちろんだよママ。ちゃーんとお行儀よくするさ!」汽車が滑り出す。隣のコンパートメントでも窓から身を乗り出して別れの挨拶を交わす親子がいた。夫妻は同世代の親に比べると年配のように見える。とても人の良さそうな笑みを浮かべていた。ニッコリしたまま黒髪の男の子のずり落ちた眼鏡を直してやっている。カーブに差し掛かってプラットフォームは見えなくなった。あっという間にロンドンを通り過ぎた特急は豊かな田園風景の隙間を縫って走る。ロチェスターを思い出してシュナは既にホームシック気味になった。

「ここ、いいかしら? もうどこのコンパートメントもいっぱいなの」
「構わないよ、どうぞ」
「ありがとう」

 遠慮がちな声がかかる。そっとコンパートメントの戸を開けた女の子はシュナと同じ新入生のようで、トランクやらふくろうやらを抱えていた。荷物を上に載せるのを手伝ってから二人は座席に腰掛ける。女の子はバターブロンドのストレートヘアーを流していて、太めのカチューシャをさしていた。シュナはきっとカチューシャで留めていないとストレートの髪が邪魔になるのだろうと思った。口下手とまではいかなくとも、初対面の相手とペラペラ喋れるほど社交的ではないのでどうしたらいいか分からなくて居心地の悪さに毛先を弄り出す。シュナは魔法族の子なのに魔法界についてあまり詳しくなかった。純血家系に生まれ今年からホグワーツに通う一年生になるが、しかしキャンベル夫妻の計らいでマグルの長閑な町で育ってきた。シュナは他の魔法族の子供達がどんな暮らしをしているのかさっぱりだった。この子がマグル出身ならいいのにと淡い期待を抱きながら出方を伺っていると、バターブロンドの女の子の方が先に口を開く。

「わたしジェシカよ。ジェシカ・ローラット。家族はみんなスリザリンだったわ」

 残念ながらそんな期待は裏切られることとなる。どうやら彼女は純血の家の子らしい。シュナは身を固くしながら、差し出されたジェシカの色白い手をぎこちなく握り返した。

「かぼちゃフィズあなたも食べる?」
「ありがとう。シュナ・キャンベルだよ、パパとママはハッフルパフだった。マグルの町で暮らしてる魔女や魔法使いって他にもいる?」
「あんまり。でも大丈夫よ、すぐに慣れるわ」
「だといいけど」

 ジェシカは肩をすくめた。それに合わせて自慢のストレートヘアーが揺れる。他に同じような境遇の子がいればいいのに。落胆しながらシュナは床に視線を落とす。けれど、ジェシカの紺碧の瞳がじいっと自身を見つめていることに気づいてすぐに顔を上げた。フランス人形のように可愛らしく整った顔のパーツがすぐ近くにあるのでシュナはたじろいだ。

「ちょっと待って、あなたキッズモデルの子ね」
「知ってるの?」

 魔法族の子がシュナ・キャンベルのことを知っているなんて!

 仕事は増えて来ていたし雑誌の表紙を飾ったこともあったけれど、みんながみんな知っているほど有名じゃない。そもそもは親バカな両親が軽い気持ちで応募したのだし。シュナより容姿が整った子なんてもっと他に沢山いると自覚していた。ジェシカは頭の中で点と点が結びついたという納得の表情だ。

「ええ。聞いたことあると思った! パパがあなたのお父様と同級生だったから知ってるわ、マグルの町で暮らしている純血一家はキャンベルくらいだもの」

 そして驚くことはそれだけではなかった。彼女の父親とシュナの父親が同級生だったと言ったことだ。父親がやり取りしているふくろう便、母親が不定期に開く庭のお茶会など、魔法族との交流について思い当たる節がいくつか挙げられるが、そのどれにも強い関心を示したことがなかった。彼らは大人のあれこれを教えてはくれない。「誰への手紙?」とか「お茶会に来ていたご婦人達は?」とかいうシュナの不思議そうな質問の答えに「ローラットさん」の言葉の響きを確かに聞いたことがある気がした。ご近所さんのマグル一家、ウォーカーさんに気に入られていたシュナは、他の魔法族のファミリーネームを思い出そうとすればするほどこんがらがったので一度考えるのをやめにする。

「ジェシカはどの寮に入りたい?」

 ずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。胸の辺りが落ち着かなくざわざわする。両親から聞いていたから、ホグワーツについて多少のことは知っている。その学び舎を愛した彼らは口を揃えてイギリス一の魔法学校だと称した。ゴドリック、サラザール、ロウェナ、ヘレガの四人の創始者達が残した城。何世紀にもわたって数々の素晴らしい功績を収めた魔法使い達を輩出してきた。ちなみに、キャンベル家は代々ハッフルパフかレイブンクローに組み分けられることが多く、グリフィンドールやスリザリンに組み分けられた魔法使いはほぼ三十年間現れていないとのことだ。

「ウーン……スリザリンかレイブンクローが妥当ね。だけど七年間もあるもの。上手くやっていける場所がいいから、組み分けの前にしっかり寮の雰囲気や上級生を見ておかなくちゃ」
「パパとママはここに入りなさいって言わない?」
「言われたわ。でも自分の力を発揮出来る場所を、組み分け帽子じゃなくて、自分で選びたいのよ」

 シュナはジェシカを到底同い年とは思えなかった。自分自身で選択することを恐れずに堂々としている。両親に反抗するつもりは無いのだろうが、そこには彼女の意思がしっかりと存在していた。シュナは深緑の鮮やかなグリーンに惹かれ、一番自分に似合いそうなシンボルカラーだとスリザリンを気に入っていたことを急に恥ずかしく思った。モデルだと指摘されたときよりも強い羞恥が押し寄せる。そんなシュナの気持ちを知ってか知らずか、ジェシカはそろそろ着替えましょうと声をかけた。ホグワーツ特急は深い紫色の空の下を徐々にスピードを落としながら走っている。ちょうど、到着まであと五分だと知らせる声が車内に響いた。


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