星が降った、そんな日




 ケント州のロチェスターはこじんまりとした小さな田舎町である。中心部のハイ・ストリートには朱色のレンガ造りに並んだ建物たちが陳列されていて、通りの端から端まで見渡すことが出来た。中心部から少し外れた丘の上に住むキャンベル夫妻は、そこから見下ろすミニチュアのような田園風景が一等気に入っていた。長閑なこの町での暮らしは二人にピッタリだったし、夫妻の間にやってきた女の子もこの土地がお気に召したようで、すくすく育っていった。愛娘は二年前にキッズモデルとしてデビューしたばかりだった。うちの子供が世界で一番可愛いという典型的な親バカぶりを発揮していた夫妻は、ちょっとした冗談のつもりで(勿論シュナの可愛らしさは冗談ではないが)娘の八歳の誕生日にマグルの雑誌で見た広告の「キッズモデル募集!」という切り抜きに応募した。それが見事にグランプリを獲得したのだ。そこからは徐々に仕事が増え続け、今やシュナはちょっとしたティーンの注目の的だった。嬉しいやらびっくりやらで当惑していた二人だが、狭いコミュニティだとしてもご近所さんから褒められるのは鼻が高い。意地悪なこと言うマグルがいないというのも夫妻にとってこの町が好きな理由の一つだった。

「ママ、またふくろうが来てる。小包を持ってるみたい」
「あら。きっとおばさんの糖蜜ヌガーね、お礼の手紙を書くから渡してちょうだい」

 ロチェスターののんびりとした一日はニワトリの鳴き声から始まる。丘の下のマグル一家が家畜として飼っているのだが、たまに新鮮な卵やミルクを分けてくれる。ウォーカーさんの親切に夫妻は喜んでいた。

 シュナは叔母から送られてきた小包を母親に手渡しながら尋ねる。シュナの指を甘噛みすると、ふくろうはリビングでニュースをチェックしているキャンベル氏のそばへすーっと舞い降りて片足を差し出していた。ついさっき同じようにシュナの元へ舞い降りてホグワーツからの入学許可証を差し出したふくろうはもう窓から飛び立って遠くに行ってしまっていた。魔法使いは郵便局を利用しないということは知っているが、朝からふくろうが飛び交っては目立つんじゃないかと心配になる。

「買い物に行くのは何時だっけ?」
「お昼過ぎよ。買う物リストを忘れないでね」
「昨日見たけどすごい数。本当に全部ロンドンで買えるの? ローブとか杖とか……大釜とか」
「もちろんよ。知っていれば買えるわ」

 意味ありげに微笑む母親にまだ納得いかない様子で娘は食い下がった。だってロンドンでへんてこなローブやマントを売っている店なんて見たことない、とシュナは口を尖らせる。パパは品評会に出かけるときたまに着ているけれど、ライラックの山高帽は流石に趣味が悪いと思う。母親はおかしそうにくすくす笑った。

「マグルは何も見ていないのよ。キングズ・クロスには魔法使いの駅があるし、マグルが通る自動車を避けながらバスだって通ってるんだから」
「前に言ってた九と四分の三番線のこと?」
「そうよ。まずはホグワーツ特急に乗る前にダイアゴン横丁に行かなきゃ」
「じゃ、ママもホグワーツに通ったんだ?」
「イギリスの魔法使いや魔女はみんな通うのよ。質問はおしまい。さ、早くベーコン・エッグを食べなさい。おばさんのヌガーもあるから」

 魔法界に住む叔母からは毎年、シュナの好物である糖蜜ヌガーが送られてきた。幼少の頃飽きるほど食べていたせいで、今は好物というほどでもなくなっていたが、叔母の作るものは特別美味しい。もうそんな時期になったのだなと時の流れの速さに内心驚く。シュナは今日十一歳の誕生日を迎えたばかりだった。

 テーブルに置かれたベーコン・エッグを食べながら奥の椅子に腰掛ける父親の横顔を見た。ここ数年、魔法界では闇の勢力が力をつけ始め暗いニュースが続いている。もはや完璧に安全と言える場所はないと判断した夫妻は約十年ほど前にこの田舎町に越して来た。何より娘のシュナが病弱だったことが関連する。現在は特に大きな病気もなく過ごしているが、療養には魔法界よりマグルの長閑な田舎がピッタリだと考えたのだった。毎朝日刊予言者新聞を届けに来るコノハミミズクに新聞配達料である五クヌートを支払うと、キャンベル氏は険しい表情でざっと目立つ記事に目を通す。そして何事も無ければ眉間に寄ったしわを緩ませて妻の淹れたコーヒーを飲む。キャンベル氏の毎朝のルーティーンを見届けるとシュナは昼からの用意をするため、二階の階段を登っていった。

「もうあの子も十一ね」
「早いものだよ。おませなお嬢さんは今年からホグワーツだ」
「上手くやっていけるといいけど」
「大丈夫に決まってるさ、心配したってしょうがないだろう」

 キャンベル氏は華奢な妻の肩をぽんぽん叩いた。心配でたまらないといった妻の長いまつげが伏せられて影を落とす。妻と娘の横顔がとても似ている気がした。

「組み分けは? あなたはどうだと思う?」
「あの子は曲がったことが嫌いだし、変なところで負けん気が強いからなあ。どこの寮でも構わんが、ハッフルパフでは無いことは確かだね」

 間違いないわ、と妻が笑う。二人は学生時代、ハッフルパフに所属していた。シュナはどう考えてもハッフルパフに組み分けられるような性格ではない。勉強はそこそこできるし利発ではあるけれど、自ら好んで取り組んでいる姿は見たことがない。やれば出来るが出し惜しみをするところがある。しかし好きなものに熱中すると自分の世界に入ってしまい、邪魔されたくないのか、昔から誰にも見つからないように隠れる癖があった。ハッフルパフの勤勉さも、レイブンクローの聡明さもシュナには少々足りない。グリフィンドールかスリザリンだと考えるのが妥当だった。

 キャンベル家は由緒正しき純血家系に属している。魔法族における純血家系の減少により、完全な純血家系は衰退を辿る一方であったが、その中でも未だに生き残っている一族である。穏健派、というのが正しいのだろう。キャンベル氏は代々受け継がれてきた血統を重んじる考え方を大切にしているが、マグル生まれの者やマグル達を蔑むことはない。全く無駄なことだからだ。その背景にはそう遠くない将来、ブラックやレストレンジのように名家ではない自分達は自ずと衰退を辿るのだろうと諦観している部分もあった。白状すると、存続のためには純血主義だなんだと言っている場合ではない。シュナが名家に嫁いでくれればキャンベル家の将来は安泰なのだが、子供の気持ちを優先させてやりたいとあと何年も先のことを考える。

「庭で箒に乗っていい? いいでしょ?」
「出かける前に帰って来るのよ。マグルの人達には見られないこと」
「わかってるったら」

 支度をすませた娘が慌ただしく階段を下りてくる。口を酸っぱくして忠告する母親に辟易しているシュナは最近乗れるようになったばかりの箒を掴むと逃げるように庭へ駆け出していく。いたずらめいた笑い声が廊下に木霊する。

「……全くもう」

 母親は腰に手を当ててシュナが消えていった先を睨んでいた。庭先ではガーデニングが趣味の母親が育てているオキザリスが咲いている。冬にはクリスマスローズ、春にはチューリップが見られる。煙突飛行ネットワークを使って遊びに来る夫人達とお茶会をする度に褒められることが唯一の自慢だ。シュナは花壇の周りを避けて、お利口に低く飛んでいた。こうして忠告することも、しばらくは無くなるのだと思うとやはり寂しかった。もうあと一週間すればシュナの荷物はまとめられ、ホグワーツのトランクに詰め込まれていく。我が子もいよいよ旅立つのだと再確認させられる。


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