まだまだ残暑が厳しい日中の熱を呑み込んだ夜気が嚥下を繰り返す。その熱に浮かされた人たちの威勢のいい声が祭囃子と一緒になって地面にまで響いている。ぴーひゅるる、どんちゃか、どんちゃか、という音はわたしが神社の石段を登る度に強く、大きくなっていった。深い緑色に苔むした石段をひとつ上がるにつれてこの世とは別の場所へ向かってしまう気がした。怖気付いた足は立ち止まる。ふと視線を後ろに向けると、雲の隙間から漏れた金色の光が閉じていくところだった。その下にはミニチュアになった並盛の町がある、敷き詰められた建物たちが陳列していた。町の果ては山だった。延々と広がっていて終わりは見えそうにない。

「ボサっとしてると置いてくよ!」
「はやくー」

 既に参道の近くまで登りきった友達に呼ばれて振り返ると石段を飛ばして駆け上がった。

「あ、待ってよう!」

 永遠と続くかと思われたねずみ色の薄暗い視界が開けて、辺りを囲むように鬱蒼と茂る幹の太い木、それからそこに沿うようにまっすぐ並べられた石灯籠のぼんやり浮かび上がった朱色を見た。ぴーひゅるる、どんちゃか、どんちゃかはもう心臓の鼓動と連動したように耳の中で鳴っている。いよいよ神さまの世界に来てしまった。最後にもう一度真下を見ると、もうとっくに並盛の町は大人しく夜の中に身を潜めていた。

「何からいく? お腹すいてる?」
「たこ焼き」
「りんご飴は?」
「焼きそば食べたい」
「待ってバラバラじゃん!」
「それな、ウチら不仲?」

 見事にみんな、食べたいものがバラバラだったので二組に別れて買いに行くことにする。花火が始まる前には合流する、という約束で一度別れた。途中で学校の友達何人かと喋ったり他の屋台に寄り道したりした。わたしはお目当てのりんご飴と、寄り道した射的でラムネの箱を手に入れて満足する。その隣にはずらっとアニメや戦隊モノなんかのお面が並べられていて、みんなくり抜かれた空洞から縁日の夜を眺めていた。小学生の頃好きだったアニメのキャラクターのお面がふと気になって思わず立寄る。ラムネとりんご飴と他にも射的でもらったオマケの安っぽいおもちゃを抱えているわたしに友達は「あんたはしゃぎすぎ。お面も買うの?」と呆れる始末だ。

「気になっただけだって」
「ふーん」
「ほんとだって!」
「分かったから、ムキにならなくていいから」
「昔好きだったやつなの」

 ギャーギャー騒ぐわたしに友達はまた、ふーんと言った。友達が食べたがっていたたこ焼きの屋台はたくさんの人が並んでいた。まあ、お祭りといえばたこ焼きだ。人気なのは仕方なかった。みんなも他の屋台の列に並んでるのかなあとか花火立ち見することにならないといいね、とかガヤガヤの中で話した。その間、同級生もたくさん見かけた。みんな思い思いにお祭りの夜を楽しんでいる。

「あっ」

 なんだろう。列にはまだまだ人がいる。友達が声を上げたので横を向くと、どこか奥の方を指さして手を振っていた。「こっちー!」今度は手招きしている。人混みの中では誰を誘っているのかなんて見分けがつかなくて、わたしは黙って彼女を見つめていた。

「なまえ、行ってきな」
「え、わたし? なんで」
「いいから。ウチが列並んどくし」
「えっえっ」

 ぐいぐい背中を押されて列から外れてしまう。彼女が呼んだのは同級生の男の子だった。声をかけるだけならまだしも、わざわざ呼ぶほど仲良かったっけと考えているとあっという間にわたしは彼の前に立たされていた。なんでわたしなんだろう……

「よ。みょうじ」
「こんばんは川上くん、久しぶりだね」
「夏休み入ってから会ってなかったしな」
「うん」
「どっか行ったりした?」
「プールと、今日のお祭りくらい。宿題が終わらなくて」
「俺もだわ」

 なんで二人で話してるんだろうなと思いながらノロノロと時間が過ぎた。多分、たこ焼きの列は進んでいると思う。もしかしたら買い終わっているかもしれなかった。なんだか不安になってきた。道行く人たちをキョロキョロと見渡してみる。彼女の姿はまだない。そろそろ戻るね、そう言って話を切り出そうと一歩踏み出す。からん、軽やかに下駄が鳴った。思わず音の方を振り向く。

 きれいなひと。黒曜石みたいな瞳がすうっと細められて三日月を描くのを見た。人混みの中で、そのひとだけがみんなと違った。そのとき、ぴゅーひゅるる、どんちゃか、どんちゃかの音が耳の裏ですぐに鳴って、わたしの心臓がありえないくらいはやく、どきどき動くのを聞いた気がした。真っ黒な着流しから覗く肌は生白い。狐のお面を引っさげてその隙間からほんの少しだけわらった。浮世離れしている。明らかに目を引くはずなのにこの場の誰も彼の存在に気付いていないみたいに流れて歩く。

「あげる」

 もう一度、彼を見た。彼も笑みを深くしてわたしを見ている。ほっそりとした長い腕が伸びてきて、額にお面をかけると今度は逃げるように遠のいてしまう。待って、川上くんを置いてわたしは駆け出そうとしていた。でも片足を踏み出したときにはもう遅くて、すぐに彼を見失った。ちょうど現れた友達に肩を叩かれる。あいつは? と不思議そうな顔をした。迷った挙句わたしは忘れてた、と間抜けな答えをしてしまう。だって神さまみたいなひとが急に現れて、ぜんぶ抜け落ちてしまった。彼に秘密だよと言われた気がして結局誰にも話せず花火を見て帰る。耳の裏では、まだあの音が響いていた。

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