つい最近見つけたこの部屋を自分の隠れ家にしようと考えていたのだが、どうやら先客がいたようだ。ハッフルパフのローブをまとった男の子がせっせと水槽に入ったグリンデローやよく分からないうようよした生き物を移動させていた。歳はあまり変わらないように見える、もしかしたら同い年かもしれなかった。鼻の頭に散らばったそばかすが愛らしい雰囲気を醸し出している。私が積んでいた本があっさりと隅に追いやられたのを見て思わず声をかけた。
「ここってあんたの秘密の部屋?」
 これでもかというほど敷き詰められた水槽や動物の独特の匂いに顔をしかめる。魔法動物って苦手……臭いし、噛み付くし。やっとこちらの存在に気付いた男の子が顔を上げた。気弱そうと思った。
「あ、ごめん……うん。君は?」
「ここで育ててるの? それ」
「怪我してるんだ。こいつ」
「そう」
 彼の腕の中の小さなスニジェットを覗き込む。ふわふわの丸いフォルムを描いているはずの毛並みはツヤがなく、弱っているのかぐったりとしていた。球体のような体が今では力なくつぶれているように見える。赤い宝石のひとみは閉じられて影を作っていた。私はこのときはじめて小さな命の呼気が弱まっていく様子を見た。この男の子が世話をしてくれなかったら死んでいたかもしれないと思うとそれは確かに悲しかった。
「初めて見た」
「可愛いんだよ。今はヒナだけど、成長するともう少しだけ大きくなる」
「嘴でつつかれたら痛そう……」
「まさか! 何もしないよ」
 二人の囁き声で目覚めたのか、スニジェットは嘴をカチカチ鳴らして男の子を見上げた。すっかり母親だと思っているらしい、野生に返すとき、ちゃんとこの腕から飛び立っていけるのだろうか。エサが与えられるのを眺めながら男の子の隣に座ってしっかり観察していた。あまり自分から魔法動物のそばに寄り付かなかったから、授業でもこんなに間近で見ることは無かったかもしれない。昔家の庭小人に噛み付かれたことがあってから、私はピクシー妖精も小人も、魔法動物も大の苦手だったのだ。それが今はどうだろう。そんな気持ちは一ミリも湧かない、無力で弱り果てた小さいヒナだからかもしれないが、苦手だとは思わなかった。寧ろ実際の魔法動物に少し、惹かれている。可愛いという感情すら抱いていた…………違う違う、何をしに来たんだ私は。こんなところで飼育されては静かに本を読むことも出来ない。ただでさえ狭いこの部屋に増えた彼の荷物を避けながら、置いておいた本を引っ張り出して栞を挟んだページを開く。
「ここ、半分片付けるよ。君の読書の邪魔にならないように」
 ぱらりとページを捲る手が止まる、信じられなくて顔を上げた。彼はこの場所を共有しようとしている。全くハッフルパフらしいやり方である、呆れて嫌味のひとつも言えなかった。
「あ、君の名前知らないや。僕はニュート、ニュート・スキャマンダー」
「知ってる。変わり者でしょ」
 ピンと来た。顔は知らなかったけどこの子が。変わり者のニュート、友達がいない、いつも魔法動物ばかりと一緒にいる子。私と同い年。
「……うん、まあ」
「こんな空き部屋見つけるなんて似たもの同士引かれたのかな」
「そうかも」
 視線をさまよわせていたニュートがはにかんで笑う。嬉しそうだった。ニコリともしないで立ち上がると、手を差し出そうとしていたニュートは驚いて引っ込めた。また栞を挟んで積み上げられた本の一番上に片付ける。自分は名乗らないでさっさと階段を駆け下りていった。



 ふと読書の手をとめた。狭く埃っぽい、部屋と呼ぶには足りないこの物置での密会は未だ続いていた。――密会。それは少し語弊があるなと思い脳内で奇妙な会合と上書き保存した。『密会』とは本来こっそりと会うことである、特に男女が内密に会うことを指す。私たちはそのどちらにも、当てはまっているようで当てはまっていなかった。目的が違った。ひとりになりたいとき、静かに過ごしたい時お互いここに来た。魔法動物の世話をするため、時間を気にせず読書に没頭するためここに来た。決してお互いが会うためではなかった。
「くっつかないで。半分は私のスペースなんじゃなかったの?」
「え、くっついてないよ、だってなまえが」
「なに?」
「なんでもない……」
 眉根を吊り上げてニュートの方を見ると困ったように視線を泳がせて黙り込んだ。魔法動物の世話を終えた彼の手が傍に置かれていて、何だかそれが気に食わなかったから突っかかったのだ。呪文で治さなかったのか、治しても絶えず傷が出来ているのかニュートの手は傷が多かった。ザラザラした石の床に置かれていた自分の左手とニュートの右手が、丁度二人が記した境界線のあたりに置かれていた。もう少し、ほんのちょっとでもどちらかが動けば触れてしまいそうな距離に先に気付いたのは私だった。窓を背にしていたから、雲が晴れてくると逆光でニュートが見えなくなる。どうしてそんな取るに足らない、意思の不明瞭な行動を取ったのかと先程の自分の思考と同機を解析しながらひとつの答えに辿り着いた。触れたいと触れたくないの葛藤に気付かないフリをして、なんでもないことを勝手に意識しているのは自分だったのだ。
「なまえってさ、他の人のことはあんまり名前で呼ばないけれど、僕のことはよく呼んでくれるよね。それ嬉しいんだ」
「……そう」
 ――人間は、好意を持っている相手のことは気づかない内によく名前を呼んでしまう。昔本で読んだことがあった。照れたように笑いながら打ち明けられて、頭の中がぐつぐつと煮える感覚に陥る。普段回転が早いはずの頭もその言葉の意味を噛み砕いて反芻するのに時間がかかった。それ、今言うこと? 自分でも気付いていなかった無意識に拍車をかけるようなニュートの言葉に深い溜息を吐く。お気楽で、気が弱くて、魔法動物のこと以外何も考えていないようなニュートのことなんか、何とも思いたくないのに。



「はみ出し者同士仲良くしてれば? お似合いなんじゃない」
 あ、光った。やさしい色をした深い海の瞳に嵐が見えた。鋭い眼差しにたじろいで後ろへ下がる。自分が何を口走ったかよく分からなくて、脳も身体も緩く痺れていた。絶対に言ってはいけないことを言ってしまった。すぐに謝って許されることじゃなかった。私がバカだった。視線が突き刺さるようでとても痛い。冷静になれない、もうこの場から逃げ出してしまいたいとすら思った。ゆっくりと後退りながら浅い呼吸を繰り返す。心の重心の置き場がない、ひどく不安定に揺れている。どうすればいいか分からなくて、心の中がグチャグチャになって思わず涙が頬を伝った。どうしよう、どうしよう。なんてこと言ってしまったんだろう。手が震える。最低、嫌われた。素直に謝れない、ごめんなさいが言えない。今、顔見れない。
「やめてよ」
 座り込んで小刻みに震える手を握り締めながら首を振る。なんとか身体に鞭を打って彼と距離を置いていたが、虚しくも壁に背が当たった。逃げ出したくてもそれ以上はもう進めなかった、俯いたままでいるとニュートが壁に手をついたのが分かった。ここが私とニュートの二人だけの秘密じゃなかったことにショックを受けている、それもすごく大きなショックを。認めたくないし悟られたくなかったのに。
「逃げないで」
 思いの外弱々しく哀願するような声に反射的に顔を上げる。人を壁に追い詰めておきながら、縋るようにしてそんな言葉を口にする。苦しそうに眉を下げて見つめる顔がどうしようもなく愛しくなって、憎かった。どうせ怒るなら怒鳴ってよ。優しく涙を拭う手つきに胸が締め付けられる。
「あんたになんの権利があるの?」
「……ない」
 私ってなんて可愛げがないんだろう。もう居なくなりたい。自分が嫌で嫌でどうしようもなくて、睨むようにニュートを見上げると一瞬たじろぐ。
「ない……けど、逃げられちゃったら立ち直れない。お願いだから僕を受け入れて」
 私はそれでも手を払いのけてぼろぼろと涙を零しながら睨みつけた。こんなときまで素直になれないんだよ、可愛くないでしょ。剣幕に少し狼狽えた様子で視線を逸らす。いつもの彼ならここで引き下がるが今回は違う。真っ直ぐに見つめられ必死に懇願され、恐る恐る手を伸ばす。返事の代わりに彼の頬に指を這わせた。
「……そんなこと言うつもりなかった、ごめんなさい」
「いいんだ」
 消え入りそうな声だった。同時に強く抱き締められる。もうとっくに前から腕力より言葉で彼に拘束されていたことに今になってやっと気付いた。(2018.12.17)

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