痛くなるまで手を洗う。日和った夏をあいするやつらにはわかんないでしょう。この冷たい水の痛み、皮膚の擦り切れるほどの痛み。

「……おわっちゃう、」

 きらきらしてうざったい熱が、この夏死守してきたまっしろなはだを焦がしていく。焼きたくないとPA++++のものを使っていたのに。夏の、夏だけの空気や温度は好きだ。わくわくしてああ、これから夏が始まるのだなと浮き足立ってしまう。
 グラウンドには夏の大会に向けた野球部のかけ声やほかの運動部の外周の音が聞こえる。たったったっと一定のリズムと蝉の鳴き声がうるさくてどうしようもない。鼓膜にまとわりついて離れない夏の音が嫌になった。
 バコン!
 わたしが立っていた水道のすぐ近くにサッカー部のボールが飛んでくる。ずっと突っ立ったままで手を洗っていたわたしは数秒遅れてその音に反応するが、既にボールはどこにもない。代わりに人一倍目立つ赤毛の彼が立っていた。

「ラビ。どうしたの」
「よ。どーしたも何も補習さ、ユウが赤点取ったのに俺らまで巻き添えなんだぜ。酷くね?」

 バンダナに眼帯、ピアスにネックレスと相変わらず派手だ。夏休み中にまたピアスを開けたのか、わたしの知らないピアスホールがひとつ増えている。そりゃあ君も生徒指導の先生にしょっちゅう怒られているから、と言いかけたがやっとさっきのボールを彼らに返したのはラビだと気付いた。

「つーかなまえもあんまボサッとしてんなよ。じゃな!」
「あ、うん、……ばいばい」
「おう! また明日」

 わたしは彼のこういうところが好きなのだと再認識してしまった。どれだけ他の女の子と付き合っていようが、遊び人だと言われようがラビがモテることに変わりはない。「ありがとう」も言えないわたしがこの想いを伝えられることは絶対にない。それにしてもラビは夏と笑顔が似合う人だ。ああ、そういえば彼は夏生まれだったか。





 「誰だってハンバーグを頼んだつもりが肉じゃがが出てきたら驚くし『金と時間を返してくれ!』って思う人だって中にはいるでしょ。君ってそういうことなの。ハンバーグかと思ったら肉じゃがなの。どっちもおいしいし好きだけど、今食べたいのは肉じゃがじゃなくてハンバーグ。君は悪い意味で予想外なの」
 わたしがわたしにそう言った。そんなのは知ってるよ、ラビはわたしのことを友達だって思ってる。わたしもそう思ってたんだけど、だけどね、誰かが言った「男女間の友情なんてないんだよ」ってその言葉がわたしを何かに変えちゃったの。「好きなんでしょ、じゃなきゃあんなに近くに居られないよ」って、「良い友達ってポジションは楽でいいね」って。その時わたし気付いちゃったんだ、そうかもしれないって思っちゃった。確かにラビはかっこよくてモテるし、女の子には優しい。いい人だって認識が、そんな陳腐な何の捻りもないベタな言葉で変えられるなんて知らなかったよ。

「……んな顔すんな、バカ」

 いつも通りだった。何も変わらないわたしたちがただ歩いていただけだった。パーソナルスペースが広いラビは基本的に誰とでも近い。急に顔を寄せてきたり、肩を組んで来たりするなんていつものことなのに。今わたしはどんな顔をしているのだろう。初めて彼の前で女の子になってしまった、彼の知らない顔を見せてしまった。いつものように肩を組んで来たラビは、わたしの顔を見るなり少し驚いてすぐに離した。きっとラビはこの変化に薄々気付いていた。だけど彼は気付かないふりとお得意のヘラヘラした態度で誤魔化すから、わたしはほっとしてまたいつもの関係に戻れる。そうやって少しづつ、修復されていくのだ。





 それはお鍋の角度の問題だったのでした。水がたまって、どんどんたまって、あふれてなんていないように見えていたけど、実は四角のところから水は次々こぼれてしまっていて、まだギリギリ大丈夫だって思っているその時には、もうだめだったのです、本当は。

「ラビ、いまあえる?」
「は?どしたん?」
「いまいえのまえにいるから」
「会って話したいおねがい」
「今俺ジジイと話しててさ、悪いな」

 逃げようとしてる、ラビは今から何が起こるかをわかっている。だから逃げて、このまま良い友達として卒業しようとしている。全て終わらせようとしているわたしには覚悟が足りなくてぼろぼろ泣いているのにラビはそれを真正面から受け止めようとさえしない。そんなの狡い、許さない。携帯の画面は涙で滲んで歪んで、いちいち変換なんてしていられないほど焦っていた。電話を何回掛けても不在着信、もう携帯を使わない手段に出たのだろうか。悔しくて涙が出る、わたしは今この気持ちを伝えないと卒業してもズルズル引きずることになるのに。

「ねえ今日で最後だから、おねがいだよ」

 既読がついた。それを合図に家の前からラビが出てきて、いつもみたいにヘラヘラ笑っていた。こんな時にも笑っているなんて酷いなあ。わたしが携帯を握りしめてながら泣いているのを見てぎょっとして、その後すぐに真剣な顔になる。今日で終わる、やっと終わる、そう思ったらわたしは何かがぷっつり切れたように涙があふれてしまって、息ができなくなりそうだった。

「わたしが、ラビのこと好きなの、知ってた?」
「……知ってた。だってお前わかりやすいもん」
「好きだよ、ちょーすき、世界中の人にわたしラビが好きですって言って回りたいくらい」
「恥ずかしいやつ……」
「……それだけ、ばいばい!」
「おう。お前も頑張れよ」

 わたしの春を青くしたひと。好きで好きで、どうしてもわたしには振り向いてくれない酷いひと。大好きでした。(2018.4.28)

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