※現パロ

 ご飯できましたよ、とキッチンから呼びかけると丁度見計らったかのようなタイミングでお兄さんがお風呂の脱衣所から出てくる。濡れた体に白いバスタオルをかけただけで半裸なのに歩き回るお兄さんに思わず眉を下げた。正直目のやり場に困るのでちゃんと服を着てから出てきて欲しいのだが、それを言うといつもいたずらに笑ってわたしをからかうので何も言えずに黙り込んでしまう。彼は顔がいい。死にそうに恥ずかしいからこれ以上は近づかないでほしかった。

 当たり前に三人分の食事がテーブルに並べられている。けれどわたしとお兄さん以外のもう一人の姿は見受けられない。部屋にいるわけでもお風呂に入っているわけでもなく、その人はまだ家に帰っていないのだ。夕食の時間にしては少し遅めであるがそれでも彼はいなかった。こういうことがよくある、というかほとんどしょっちゅうだ。

「お、うまそーじゃん」
「冷めちゃう前に食べましょうか」

 曖昧に笑ったわたしの頭をお兄さんはぽんぽん撫でる。小さい子供をあやすような真似にむずがゆい気持ちになった。

「なまえちゃんが気にすることないから。あのバカはほっとこうぜ、な」
「……いただきます」
「いただきまーす」

 お兄さんもベルも(今はここに居ない。双子の弟のほう)イタリアから留学中らしい。日本に来て日が浅いのにすごく上手にお箸を使うから初めて見たときはびっくりした。朝のゴミ出しで顔を合わせることが多くなり、挨拶をするようになったことがきっかけで今ではこうやって頻繁に双子の部屋にお邪魔している。彼らは料理をしないし、なんでもコンビニで済ませるのでそれならわたしが何か作りましょうかと提案したのだ。お節介とは重々承知している。どうせ一人分を作っても余ってしまうのだし、元々料理にはそれなりに自信があった。イタリア人にも通用する腕前だったことを褒めて欲しいくらいだ。以前は彼らに合わせるように洋食を頻繁に出していたが、最近のメニューは和食が中心になり、夕食の席で会話が弾むことも多かった。まあ、大抵はわたしとお兄さんの二人なのだけれど。至極兄弟中の悪い双子の彼らには二人暮らしは向いていないのでは、と思うことが多々ある。お兄さんは双子のベルより断然大人びていてしっかりしているし、ベルはすごく子供っぽくてお兄さんにことある事に突っかかる。たまにお兄さんもイライラしていると挑発に乗ってしまって家が崩壊しそうになるので本当にやめてほしい。

「ごちそうさま、いつもありがとうな。また遅くなる日頼むわ」
「ううん、何か作って置いておかないとお兄さんもベルも平気で食べずに寝たりしそうだし……」
「あるわ〜それ…………俺さ、なまえちゃんみたいな子と一緒だったらいいと思うんだよな」

 食べ終わった後食器を洗いながらベルの分にラップをかけるお兄さんを振り返った……お節介なのは重々承知だが、彼らは何故か放っておけない。お隣さんのわたしたちは歳が近いこともあり、マンションで顔を合わせるうちに仲良くなった。お兄さんの言葉に思わず目を瞬かせる。いつになく真剣な表情だった。

「おにいさん」

 覆いかぶさるように首筋に顔を埋められて一気に身体中の体温が上がった。じんわり額が汗ばんでいるのが分かる、だって、こういうの初めてだ。男の人に抱き締められるなんて生まれて初めての体験で硬直してしまって、うんともすんとも言えない。部屋にはつけっぱなしのテレビと流れ続ける水の音だけが響いていた。水止めなきゃ勿体ないな。でも動けないみたい。

「あの」
「俺と付き合わね?」
「えっと……」
「絶対後悔させない、約束する」

 そんな一世一代の告白に頭が真っ白になっていると、首筋の辺りで吐息混じりに囁かれて思わず上擦った声が漏れる。なに、なんだろうこれ、死にたいくらい恥ずかしい。項に唇を這わされ啄むようにキスが落とされた。ちゅ、ちゅ、と意地悪く響くリップ音にますます顔が赤くなるのが分かる。そのまま流れるように後ろのソファに体が沈み込んだ。どきどきする。これってどきどきなのかな、背中に汗が伝うのが分かった。怖い。ちょっと今、お兄さんが怖いかもしれない。このとき絶対的な男の人の力で組み敷かれてはじめて恐怖が浮かんだ。体が固まってしまって声も出ない、力が入らない。どうしていいか分からず、泣きそうにされるがままのわたしをOKのサインだと受け取ったのか、お兄さんはおでこに、頬に、首筋に、唇を這わせる。

「……や、っ」
「ダメ?」

 そっと顎を持ち上げられて思わず顔を逸らしてしまう、手つきは優しいはずなのに拒んでしまった。それまで硬直していた癖にキスされそうになった途端に拒んでしまった。

 違うと思った。そのくせにわたしは本気で抵抗出来ない。お兄さんのことは好きなのに、キスするのは嫌で、そういうのはなんか違う。だからって大声で叫ぶこともできなくて、その手を払い除けることもできない。早く終われと唱えながら目を瞑って唇を固く閉じることしか出来なかった。なんか……こわい、けどお兄さんの人柄の良さを知っている、本気で拒んでお兄さんを傷つけたくない。この期に及んでそんなことを考えていた。どうしたらいいか分からない。慕う相手に突き放されたら誰だって傷つくし、お兄さんのそんな顔は見たくない。自分が置かれている状況が分かっていても尚、誰かさんにそっくりの顔を引っぱたくことなんてできなかった。

 聞き慣れた金属音が部屋に響く。毎晩遅くまで遊び歩いているベルが珍しく今日は早く帰ってきた。ああもう大丈夫、もう大丈夫だ。それだけで安堵して肩の力が抜け落ちるのがわかった。玄関の方で物音がすると、お兄さんが我に返ったように瞬いた。覆いかぶさった隙間から覗いた目を大きく見開く。彼のレンズ越しに写ったわたしはきっと怯えた目をしていたのだ。突然ドアが開いた。玄関からリビングまでそう遠くない、ベルが入ってきたに違いなかった。自分の家に帰って来たらこんな状況になっているなんて、どう説明すればいいのだろう。一応今日もお邪魔してますと連絡しようとしたけど、お兄さんが止めたから彼とのトークルームは文字が打ちかけのままだった。

「……は?」

 わたしが来ているなんて思いもしなかったベルは口をぽかんと開けて、それからゆっくり首を傾げた。お兄さんとわたしをじっと見つめる。コンビニのビニール袋が鈍い音を立てて落ちた。プリンとコーラ、それからスナック菓子が中から飛び出す。

「なにしてんだよ…………何してんだよクソ兄貴っ!!」

 ベルは部屋に入るなりお兄さんに思いっきり殴りかかって、お兄さんは何も言わずにベルの拳を受けた。わたしは怖くて息も出来ないまま床にうずくまっていた。わたしに向かって「ごめん」と呟いたお兄さんはそのまま部屋を出ていった。怖い思いさせてゴメンな、まるでお兄さんの代わりとでも言うようにベルはずっとわたしに謝った。大丈夫とベルが謝ることじゃないよを繰り返してしばらく、わたしは膝を埋めた顔を上げることが出来なかった。

「ごめん……」
「うん」
「お兄さんが、いつもと全然違うのが、なんか……」
「ごめん」

 ベルに背中をさすられながら情けなくぼろぼろ泣いた。男の人だと思って怖くなった、お兄さんは優しいから嫌だって言ったら無理矢理はしなかったけど、他の人ならどうなってたんだろう。そう考えてますます泣いた。

「拒んだら傷付けるんじゃとかバカなこと考えたんだろ」
「でも」
「……お前襲われたの、俺が帰ってなかったらアイツが無理矢理やっちまってたかもしれねーの」
「だって、お兄さん、嫌って言ったら無理矢理は」
「だってもクソもねーよバカ。嫌だったら本気でぶん殴りゃいいんだよ」

 マジで頭わりー。苛立った様子のベルが自分の髪をぐしゃりと握る。伸びてきた手にガクガク揺さぶられて、うっかり涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を晒してしまった。

「つかブッサイクな顔」
「うるさい」
「あ?」

 目の周りが腫れと乾燥でかぴかぴする。明日の朝鏡の前に立つのが憂鬱になった。真っ赤になった目と鼻を指さされてムキになると首を傾げたベルがわたしの顔を下から覗き込む。むぎゅっと頬を掴まれたことに驚いて、思わずその手を振り払った。

「やめてっ」

 顔色を変えたわたしにベルはぽかんと口を開ける。「……んな怒んなし」バツが悪そうな、いつもより覇気のない声だった。

 咄嗟に謝る。違うの、怒ったわけじゃないの。間違えた。最低だ。目の前にいるのはベルなのに。そっくりで、それでいて全然違う二人が重なって見えたのだ。

「ちがうの、ごめん。ごめんね、ベル」
「……謝んな。オレも悪かったって」

 多分ベルはそのことに気付いたのだろう。機嫌を損ねて怒るわけでもなく、ただ物悲しそうに目を伏せた。彼のそんな顔を見るのは初めてだった。わたしはそれが何よりつらくて、ベルにそうさせてしまった自分が大嫌いになった。お兄さんのことも、ベルのことも傷付けた。わたしのせいで傷付けた。少しの間迷ってからおそるおそる重ねられた手を握り返すことが、いまのわたしの精いっぱいだった。(2019.06.10)

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -