あっ、なんだそんなもんかって思った。理由を聞いてもうやむやなんてどう考えても怪しすぎる。隠し事はなしだからねって無邪気に絡めた小指の約束を覚えてるのは自分だけだったらしい。そういえばあのときも隼人は半ば無理やり約束させられたんだったっけ。じゃあ、結局最初から最後までひとりだったってことか。

「ふうん。そう。じゃあもう、あたしのことはどうでも良くなったってわけね」

 別になんでもいいけど嘘つくのが下手くそなのだけは変わらないね。って言ったら嘘じゃねえよって隼人が珍しく怒った。喧嘩するのに労力を使いたくないからお互い大人になるにつれ「諦める」ということを覚えていって、そうして話し合うこともなくなっていったからムキになる姿を見るのは久しぶりだった。

「何も言われなくてもただ黙って待ってられるほど出来た女じゃない」

 眉間に皺を寄せたまま、やっぱり隼人はだんまりだ。仕事が忙しいなんて下手な嘘ついて、ほっとくと半年も連絡よこさないなんてあんまりだと思う。正直にもう自分に興味がないって言えばいいのに、隼人は変なところで気をつかおうとしているらしかった。いらねーよそんな気遣い。このまま意味のわからない関係が続くくらいならもうこっちから切り出してしまおう。そう思っていたら丸々一年ぶりに向こうから連絡が来た。あたしからじゃなくて、隼人から。ちょうどいい機会だと思ってたのに、いざ会ってみたらこんな最悪な雰囲気にも関わらず顔を見れてほっとしているのだから大概だと思う。すぱっと別れてしまいたかったのに、別れ話を切り出そうとすると何かを察した隼人は焦ったように不機嫌になる。

「イタリアにいて、仕事が忙しいのは分かってる。でもそればっかり。五年のうち、他にあたしに教えてくれたことってある? これもわがまま?」
「悪いと思ってる」
「本当にそう思ってるなら別れて」
「俺は……別れたくねえよ」
「なにそれ」

 放ったらかしで、ろくに連絡もよこさないくせに、別れたくないって? 他に好きな人が出来たんじゃないの?

「隼人のこと何もわかんない。まだほんとにあたしのこと好きだとして、それが恋人に対する態度だと思えない」
「だから、悪いと思ってる」

 静かな声だった。さっき声を荒らげて否定したときとは違って、落ち着き払った声にどうしてか涙がにじんだ。みっともないから泣きたくないのに。それが嘘じゃなかったとしても何も教えてくれないんだから信じられないに決まってる。帰ってくるのも不定期でほとんど会えない状態がこの先いつまで続くか分からないなんて自分にはとても耐えられない。気持ちだけじゃどうしようも無いことが山ほどあるんだって大人になってから気付かされた。二人が思いあっていれば大丈夫なんて幻想もいいところだった。若気の至りだと懐かしい記憶を思い出して胸が塞がる心地になる。やだな……余計なこと思い出しちゃった。

「好きな女泣かすなんてサイテー」

 いよいよ我慢ができなくて、年甲斐もなく泣き出してしまった。なんて情けないんだろう。そう思いながらも涙はなかなか止まらない。隼人は黙って頭を撫でた。なにその慰め方、あたし犬じゃないんだけど。

「隼人のことは好きだけど、もう我慢の限界だから。だから、おねがい」

 狭い一人暮らしのアパートに惨めっぽい女の泣き声がわんわん響いていたと思う。ほとんど使われていなかったけれど、隼人がここに置いていたものが沢山残っていると思うとかなしくてやるせなかった。乱暴に髪を撫でる隼人の胸板にすがりついているうちに夜が明ける。目が腫れるまで泣き続けて、空が薄いクリーム色のカーテンを引く頃には眠りに落ちていた。ベランダから差し込む微かなひかりで目覚めて起き上がる。隼人はもういない。さよならも言えなかったと落ち込んでいると、階段を下りる音が聞こえた気がした。もしかしたら。床に落ちたカーディガンを羽織ると慌ててベランダの戸を開ける。見慣れたやつの後ろ姿にまた視界が霞むのを一生懸命こらえた。

 テーブルの上に忘れていったジッポーを探していたのか、ジャケットをがさごそしていた隼人が振り返る。

「こんなもん置いてくな」

 元ハンド部の全力投球でジッポーを投げつける。思いっきりやつの頭に命中して、隼人は「いってーなバカ!」と声を荒らげた。早朝のアパートの前で叫ぶなバカ。届かないほど小さい声でお別れのことばをつぶやく。あたしの声はちょっと震えていた。

「……一つだけ覚えとけ。俺がいる限り、お前が危ない目に遭うことはねーからな」

 どういう事だよって思わず笑ったら「いーから忘れんな!」とまた大声で返された。だから近所迷惑だって。(2021.04.29)

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