「うそだよね」

 ぱかっと口を開けたわたしは見事なアホ面を晒しているだろう。現実で起きていることだと分かってはいたが如何せん処理が追いつかない。外が騒がしいから嫌な予感がしていたけれど、まさか近くに敵が現れたなんて思わなかった。事件が起きたのはちょうどわたしが駅を降りて塾に着いたくらいの時間帯だ。屋内にいて気付かなかった。おかげで帰る時間帯になったにも関わらず、未だ現場は復旧作業やらなんやらで忙しいらしく完全に電車がストップしている。事故や事件で電車が止まると不便さを身をもって思い知る。三つ向こうの駅の我が家に帰る手段をなくして呆然とした。どうしよう。周りにも何人かニュースを知って不安そうな顔をしている子がいた。すぐに自分のスマホで調べるとここら辺に被害はなくて怪我人もいなかったみたいでほっと胸を撫で下ろす。

 帰り支度をしていると塾長がやって来て、ヒーローが対応してくれたから大丈夫とみんなを安心させるように言った。こっちはなんの被害もないよって。少なくとも向こうの影響で電車が止まっているくらいだ。

「けっこう近くない? こっわぁ」
「町にも敵が現れたらどーしよう」
「笑えないよー」

 階段ですれ違った隣のクラスの子たちの会話が聞こえてくる。わたしも、目の前で敵に遭遇したらどうしようと考えて不安になる。ローファーの音がやたら響く階段を降りて塾を出ると、これからやってくる季節の寒さに身震いする。日中はまだ暖かい日が多いから油断していた。寒すぎる。マフラー持ってくるの忘れちゃったなあ。容赦なく吹き付ける冷たい風はまるで頬を切り裂くみたいに痛い。猫背で不格好に歩き出すと駅の近くでまばらに人を見かけてため息をつく。

「ほんとにどうしよう……」

 ぽつりと零した言葉は陽の落ちた闇の中に溶け込んでしまう。夕方から夜にかけてのこの時間帯は嫌いだった。はやく帰らなきゃって気持ちにさせられる。そわそわして、不安になる。小学生みたいなことを考えているわたしはいくらか子供すぎるんだろうか。さっきまで薄ぼんやりとしていた雲はまたたきの間に形を変えて、いまは全く別の生き物のような形を成している。やがてその雲の色さえ分からなくなってしまうので、いよいよ泣き出しそうになってしまう。情けないことにお腹もすいてきた。この寒さと暗さに加えての空腹は、わたしを惨めな気持ちにさせるには十分すぎる。

「オイ、何してんだ気味わりぃ」
「爆豪!」

 そんな辛辣な声のかけ方する人なんて一人しかいない。というか周りにいっぱい居たら嫌だ。俯いて唸っていたわたしは勢いよく顔を上げる。特徴的な彼は食い気味なわたしにぎょっとしていた。やっぱり爆豪だ。誰であれ知り合いに会えたことにほっとする。爆豪に会えたこともいまは嬉しく感じられた。あんまり嬉しそうにするわたしに爆豪は怪訝そうな顔をして、気味が悪いと繰り返した。

 塾の帰りにばったり会ったが、爆豪はこの辺に住んでいるのかもしれない。事の経緯を話すとしばらくの間爆豪は黙って考え込んでいるような表情をしていた。親は、と聞かれて首を横に振る。両親は仕事が忙しくて夜遅くまで帰ってこないので、この時間ではまだ連絡もつかない。そして生憎わたしは一人っ子なので迎えに来てくれるようなきょうだいもいなかった。電車は当分動きそうにない。財布の中身は電車代しか入っていないのでタクシーは諦めた。いつまでも考えていては堂々巡りだ、こうなったらもう歩いて帰ろう。うだうだ言ってても仕方ない。三駅分歩くくらいなんともない。うん、なんともない。まだ若いから大丈夫だ。きっと。

「タクシー代もないし諦めて歩くね。もう暗いから爆豪も気をつけて帰りなよ」
「ベソかいてるやつに言われたくねーわ」

 なんかすごい上から目線なことを言ってしまったので案の定怒られた。でもなんて言えばいいのか分からなかったのだ。

「泣いてないし!」
「ずっと情けねえ面してんのに気付いてないんかよ」
「してないってば」

 うそ。ほんとは泣きそうだった。暗いし、怖いし、寒いし、お腹すいたし。いきなり首根っこを掴まれてぐえっとかわいくない声が出る。相変わらず凶暴……やさしいのか、やさしくないのか分からない。

「送ったる」
「えっ」
「お前ん家どっちだよ」
「ええ」
「はよ言えや! クソが!」

 ずるずる引きずられながら自分の耳を疑った。信じられない。あの爆豪からそんな言葉が聞けるなんて。動揺するわたしに爆豪はしびれを切らして耳元で怒鳴っている。どっかんどっかんと爆発を起こしながら。それに怯えながらも、暗くて途方もない道のりを歩いて行く。断っても聞かないし、爆豪が帰る頃には本当に遅い時間になってしまう。何か改めてお礼をしなきゃと考えながら歩く爆豪の隣はなんとなくあたたかい気がした。(2020.12.26)

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