眠っているあいだってふしぎだ。毎日夢を見ているのか脳が忘れてしまっているのか分からないけれど、明け方になると夢の浅い部分と深い部分を交互に行き来しているのをなんとなく感じることができる。起きたとき、思い出せない夢があるからもどかしい。一度アラームで目覚めてもほんの少しのあいだに夢の続きを見ることだってある。ちゃんと起きて準備して学校に行く夢なんかは紛らわしい……今日はきっちりアラームで起きて学校に向かっているはずなのに、ふとした瞬間に目覚めたらわたしはまだベッドのうえ、それも部屋着のままでいた。あれは夢だったのだ。いまこの部屋にいるのは間違いなく現実世界での出来事だ。

 とどのつまりは寝坊したというわけである。

 ちょっとの二度寝だったので大遅刻というわけでもないけれど、決まった時間に学校に着かないと落ち着かないタイプの人間なのでとても焦った。ベッドから転がり落ちるように飛び起きて、学校に着くまでにかかる時間を逆算していく。こういう時になまえの頭の回転は無駄に早くなる。これをテストの時にも使えたらいいのだが……いまから十分で家を出ればチャイムが鳴るのと同時に教室に滑り込める、かもしれなかった。尚信号は全て青になっていると仮定する。

 間に合う間に合うと暗示をかけながら家を飛び出し、自転車のサドルを跨いで座ろうとしていたところで同級生の山田一郎が通りかかった。なまえは正直助かった!と心の中でガッツポーズをする、なんたって彼はバイク登校だ。ぴかぴかの真っ赤なバイクはかっこいい。すごく大きな音を立てて近付いてきたバイクに素通りされたらどうしようかと思った。しかしそれも杞憂に終わる。一郎はなまえに気づいたとき、やや面食らったような顔をした。

「なまえ?」

 ヘルメットを外して顔をのぞかせた一郎の声には、やはり戸惑っているような響きがある。

「お前がこんな時間まで家出てないなんて珍しいな、どうせ寝坊だろ? 乗れよ」
「ありがと一郎! ほんと助かる!」
「しっかり捕まっとけよ」
「はい!」
「あと購買のパンな」
「……はい」

 ヘルメットを投げられて慌てて受け取る。おまけに購買のパンも買う約束をさせられてしまった。致し方ないだろう、パンひとつで遅刻から免れることができるのなら安いものだ。さっきとは打って変わって、些か落ち込んだトーンで返事をするなまえに一郎はくつくつ笑う。バイクのスピード感が分からなくて怖かったので言われた通り自分よりもずっと大きい背中を見上げながら腰に手を回した。背中おっきい、体もかたくて筋肉質だし、一郎はちゃんと男の子なんだな。びっくりするほど距離が近いことにドキドキして、バイクのスピードにもドキドキしながら目を瞑る。学校までは一瞬だった。なまえは途中からどっちのドキドキなのか分からなくなった。特等席に乗ったのに、あっという間に着いてしまったことがちょっとだけ残念だ。さっきまでは遅刻したくなくて必死だったのに。予鈴の前に学校に着いて、クラスが違うのでお礼を言ってちょっと急ぎ足でその場を去る。パン忘れんなよーと間延びした声が返ってきたので手を振った。

 一郎に約束通り、お昼休みパンを渡しに行ったらきらきらした笑顔を向けられたのでわたしは思わず何も言えなくなってしまった。「さんきゅ!」くしゃりと破顔した一郎が、かっこよくて顔を見れなかった。前髪変じゃないかなとか寝癖ついてないかなとか、とにかく今日のわたしは変なとこないかなって考えてばかりだ。

 放課後、彼が帰ってしまう前にもう一度ちゃんとお礼を言おうと思ってホームルームの後に慌てて追いかける。一郎はちょっとびっくりした顔で律儀だなって頭をかいた。

「今日ありがとね。ちょっと怖かったけど楽しかったよ、はじめて乗ったし」
「ははっ、なんだよそれ。また乗せてやってもいいぜ」
「そんなに寝坊しないんだけど!」
「……そうじゃなくてよ」

 歯切れ悪く視線を逸らす一郎につられて変に緊張した。並んで歩きながら、からかわれているのかと思って肩を押すと一郎が一瞬何かを言い淀んでなまえを見る。どきり真剣な顔に心臓が音を立てた。あ、違う。からかってなんかない。すぐに分かった。ちょうど日が沈み始める頃で、あたりはどこまでも静かだった。なまえは真っ直ぐに一郎の目を見た。




「ちょっとワクワクする! どこまで行くの?」
「出来るだけ遠くまで行ってみてえな」
「海!」
「遠すぎだろ」
「だって遠くって言ったじゃん」
「極端なんだよお前は」

 ばーか。そう言って笑った一郎がなんだかかっこよく見えてびっくりした。くしゃりと笑った、その横顔から目が離せないのはどうしてだろう。

「さぶ、やっぱり夜は冷えるね」
「これ貸してやるから着とけ」
「わっ」

 夜のイケブクロの街はネオンで輝いている。朝と同じようにヘルメットを被るなまえの肩に上着をかけた一郎は前を向いた。映画のワンシーンのような展開に胸がきゅっと痛くなる、エンジンの音を響かせながら冷たい風を切るのが楽しい。ぞわぞわと骨を駆け上がる背徳感に満たされていた。腰に回していた腕に力を入れて一郎にくっつく、こんな時しか素直になれない自分がばかで、もどかしくてため息がでた。もうちょっとだけ一緒にいたいよ。海より山より遠くに行って、連れてって。声も出せずにそう思った。わたしって、可愛くないなあ。(2018.12.09)

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -