03



「3階のゆうれぇ?」

 素っ頓狂な声だった。
 一年生をからかうための冗談なのか、ラビはさっきの続きとでも言うように懲りずそんなことを呟いた。

「そ。一年ボウズに教えてやるよ」

 相変わらずへらへら笑いながらアレンの様子を伺っている彼の口はよく回る。嘘ばっかりと冷たい目をするアレンにも動じない。「ラビ」とちょっと咎めるようなリナリーの声を妨げてそのまま振り向いて歩き出す。廊下の蛍光灯が危なっかしくちかちか瞬きしていた。すーっと神経を凝結させたような恐怖に皮膚が痛くなる。なんだろう、すごく嫌な雰囲気だ。こんな時に秀逸な空気は仕事をしなくとも構わないのに、まるで廊下の奥の暗がりから何かが飛び出してきそうだ。その手の話をする、となるだけで人間はここまで過敏になってしまうのだから面白い。ただの思い込みに皆、無言で追い詰められていく。おかしな話だ、ラビは冷や汗を滲ませながらヘアバンドをぐいと引っさげた。

 ここ、綺麗で新しいと思ってるかもしれないけど意外と古くて怪談って結構あるんだよな。まあ他の学校と変わんないやつ。しょーもないぜ、面白くもないし何なら小学校でもあるような噂。トイレの花子さん、テケテケ、数の変わる階段、体育館横の鏡。正直そんなんばっか。でも一個だけ変なウワサがあんだよ、三階の空き教室――今は演習室Dだっけか。そこはマジで出るから安易に立ち入っちゃいけないんさ……はは、信じないよな。そりゃそうか、でもまあ聞けってアレン。それだけじゃないけど何回か改築工事もしてるし、旧校舎が取り壊されないのは悪霊が取り付いているからだーってオレらが一年の時はセンパイにめちゃくちゃ脅されてさ。上下関係とか気にしないユウなんかはその度に鼻で笑ってたけど、オレはリアクションだけでも大袈裟にしたりそれっぽくビビったりして。まあおかげで気に入られて楽なポジションにありつけたんだけどさ。ああ、んなことじゃなくて本題だった……いやいや、知っといた方がいいって。うん、こういうのは皆知っとくべきなんだよ。特にアレンとかここら辺じゃない中学から来てる新入生は知らない奴が多いだろ?別に怪談しようってワケじゃねぇんだしさ。敬意払ってるよ、あれは事故だったし。暗黙の了解なんだからバカ共が遊び半分で立ち入ったりしないように、こういうのは代々オレら『センパイ』が可愛い可愛いコーハイに教えてやった方がいいんだって。先生らもタブーだからか、興味を引きたくないからか知らねえけど口を閉ざしてるじゃんか、それって、つまりそういう事だと思わねえ?でさ、アレン。

 丁度オレらと同学年の女の子が昔ここで死んでんだよ。

 うん、これはマジで。脅しとかビビらせようってんじゃないぜ。結構マジのやつな。オレは高校までユウやリナリーのことは知らなかったんだけど、その子とは中学で同じクラスになったことあってさ。ジジイのところで書道習ってたから知ってたんだ。なんだっけ、なまえちゃん?普通に可愛い子で、明るくて自殺とかするような子じゃなかったな。ニコニコしてる裏には闇抱えてたのかもしんねえけど、死人に口なし。その子は今の演習室から飛び降りたんだよ。学校は教育委員会やらメディアやらにこぞってイジメじゃないのかって紛糾されてたけど事実は無い。机上の空論ってとこだな。生徒もアンケート取らされて徹底的に調べられたけどそんな形跡は愚かイジメなんて無かったんだよ。クラスの人気者でも、みんなから嫌われる日陰者でもなかったイメージだし実際そんなの想像できなかった。オレは別に仲良くなかったし彼女のことについてクラスが一緒だった子、以外の印象はなくてさ。覚えてるのは暫くニュースで取り上げられたり、マスコミが押しかけてこっそり生徒に状況提供を求めたり、そんで教師陣がガチギレしたり。子供をダシにするなって怒り狂ってた先生見てビビってたことくらいで。後は綺麗な字を書くってジジイが孫みたいに肩入れしてたからしょげきってたっけか。当時は世間を激震させたけど時間は経って皆はなまえちゃんのことを段々話題にしなくなった。そのうち彼女のことを忘れたりする奴も当たり前にいて。オレはなんかそれが寂しかったんだよな、別に知らない子だけど、あんな事件があったのに皆が忘れて何食わぬ顔で後二年も、あの子が死んだこの場所で生きていくのが寂しくて。生きられなかった分の毎日をバカ笑いしてダラダラ消費して卒業していく奴らで溢れかえってるなんて、呆れちまうだろ。ホントに辛くて死んだのか、不慮の事故なのかは謎のベールに包まれたままだけどさ。

 とまあ、なまえちゃんのことはオレらの間じゃ有名な話なんさ。あーやべ、話しててめっちゃ怖くなってきた。それから演習室には度々奇妙なウワサが流れるようになった、最初はイタズラだと思って誰も信じなかったけど段々自分たちも見たって奴が出てきたんだよ。クラスのお調子者だけじゃなくて、ふざけて冗談言ったりしないような真面目くんまで。完全にビビってるそいつ見て皆は漸く信じた。あの悲惨な事件をなかったように忘れたオレたちを恨んでるって、今でも一緒に誰かを連れて行こうとしてるって囁かれてる。リナリーもそんな噂は聞いたことあるよな?正直そういうこと言ってる奴らが祟られるんじゃねーかって思ってたけど、実際オレも演習室辺りは、特に夕方とかな、なんかヤバいと思うさ。あそこだけ雰囲気が異様で、近付いちゃダメだって本能的に思う。ユウにこの話しても全然信じてもらえなかったんだけど、あー、今なんでユウいねえんさ。あの脳筋にほらなって言ってやりてえ。ところでさ、図書室出ると絶対に演習室の横通らなきゃなんねえって知ってた?

 まずいな、と思った。怪談や恐怖は良くないものを引き寄せることがある。アレンはそれを理解していた。突然手を叩いたような音が響き皆が黙り込む。心の中でほらやっぱりと呟いてカバンを握り締めた。さぶ、と誰かの声がした。蛍光灯がチカチカと点滅している。妙な空気だった。さっきまで初夏の風さえ感じていたというのに今は酷く心地が悪い。ねっとり、薄気味悪い風がアレンの頬や手首に巻き付いた。額には汗が滲んでいた。背筋を這い上がるようなぞくりとした嫌な感覚に身震いする。師匠ーー!!と叫び出したくなったが脳内のクロスに「馬鹿弟子が!」と一喝されて飛び蹴りを食らう様子がありありと浮かんで別の意味で鳥肌が立った。今いない相手に頼っても仕方が無いと腹を括ると真っ直ぐ教室を見つめる、入学早々こうなるとは予想していなかった。

 アレンはこの感覚を知っていた、物心ついた時から全身にまとわりつくようなこの気味の悪い感覚をもう何度も繰り返してきたのだ。大抵は左眼が視えるか金縛りで済むのだが、意識がはっきりしている時にここまで近くに来られるのは初めてだ。第六感を持っていなくとも、この場の全員が異常な冷気を感じている。まずいな、と思った。よりによってこんな時にこれが起こるのはまずい状況だ。ラビもリナリーもその手の人間ではないことは確かだった。「なまえちゃん」うっそうとした声色。ラビが夢を見ているような表情でアレンを振り向く、しかしその目はどこにもアレンを写してはいない。空虚にぼんやりと、光を失った色で遠くを見つめていた。闇に浮かび上がったカーテンが不気味に、誘うように揺れている。一瞬だけ、瞬きの隙間を縫って夜より深い紺碧のスカートが花開くように膨らんだのが、見えた気がした。



/
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -