02



「でも変よね、もう五月になるのに」

 リナリーの不思議そうな声につられてアレンは顔を上げる。確かに目前に広がる光景は奇妙なものだった、グラウンドをぐるりと囲むように彩る緑の中にぽつんと浮いた薄桃色のさくらがある。これからやって来る夏の入りに向けてぐんぐんと手を伸ばす新緑の若葉たちの中に混じって、知らん顔をして咲いている木があった。シャワーのように花びらを降らしてはいるが全く散る気配が無い。永遠とその薄桃色を降らしているだけだ。入学式の日に見たそれを彷彿とさせるものの、本来ならばもうとっくに若葉を纏っているはずだ。教師も生徒もこの奇妙な事柄に関して特に関心を寄せることはなく、時折気付いた人は「まだ散らないねー」なんて些か驚いた様子で通り過ぎて行くだけだった。こんなことは今まで一度も無かったと上級生たちが噂しているのを聞いたことがあった。不気味な美しさにアレンは取り憑かれたような心地になる。グラウンドの隅に咲いたそれを食い入るように見つめていると、背後から声がかかった。脅かすようなけらけらとした笑い声にアレンは気分を悪くする。げんなりとした顔を隠そうとも思わなかった。

「死体が埋まってたりして」
「……迷信ですよ」
「でもホントだったら怖いだろ?」
「いえ全く」

 やれやれと大袈裟に肩を竦めて見せるラビにアレンはため息をついた。『桜の下には死体が埋まっている』誰が言い出したのやら、こちらに来てからアレンも一度は耳にしたことのある言葉だった。文豪が書いた小説でさくらの不気味な美しさに魅入られて不安になる理由を、死体が埋まっているとすることでその美しさに納得する、という内容だった。迷信もいいところだ。けれど、ふとその話を思い出して文豪がそう理由付けたことに頷ける。こんなにも美しく咲くなんて信じられなくて、漠然と不安になる。真っ盛りになる頃には妖しく一種の宗教的な雰囲気さえ漂わせる。人の心を捉えて離さないこのさくらが、血肉や骨を糧にして美しく咲き乱れるのだと思うと納得だった。そう思うとアレンもこの恐ろしい心地から開放されたような気になった。

 興味が無いわけではなかった。科学的根拠の無いものを信じるようなたちではないが、生憎アレン・ウォーカーは生まれついての特異な人間である。左手は醜いグロテスクな形状をしているし、孤児だったアレンを拾って育ててくれた人が死んでしまってからは髪色も様変わりした。彼の死後、一番の変化は死んだ人の魂――所謂幽霊――が見えるようになってしまったということだった。身寄りも金も家族も無かったアレンの前に突然、悪霊祓いか悪魔祓いか知らないがその素質があると告げた胡散臭い男に再び拾ってもらい数年が経ち、漸くアレンは十六になる。正確な年齢も生まれも分からないイレギュラー尽くしの彼を拾ってここまで面倒を見てくれたことには感謝してもしきれない、しかし些かあの男は問題がある。否、問題だらけだった。幼少より数え切れないほどトラウマを植え付けられてきた身としては、出来ればもう当分連絡は取りたくないと思っていた。家族であり師弟である以上そんな甘い現実は簡単には訪れない、こうも早く師匠に頼らなければいけなくなると癪ではある。本人は仕事だと言っているが、どうせ愛人でも作って遊んでいるのだろう。彼は海外を飛び回っている。高校入学と同時に姿をくらましてしまったクロス・マリアンは電話番号だけを残し未だ消息不明。家は広々としているし、毎日毎日女を連れ込まれることもないと思うと安堵の念すら覚える。また忘れた頃にふらっと帰ってくるだろうとアレンも大して心配していない。師匠が消えて一ヶ月も経たないうちに電話するなんて負けた気がした。もう泣きついてきたのか?なんて鼻で笑われる様子がありありと浮かんでアレンは師に相談することを渋っていた。

「からかわないの。そんなのただの噂でしょ」
「リナリー信じてねぇの? マジで出るんだって。見たって奴はいっぱいいるんさ」
「ふうん」
「なんだよお前ら、リアクション薄いさ! もっとこう!」
「ハイハイ。みんなもう帰ろう?」

 委員会の記録を終えたリナリーが席を立つ。図書委員会の今後の活動について、という名目で集められたが、結局人数が多いせいで話がまとまらず上級生が楽しくおしゃべりし、下級生は誰ともおしゃべり出来ずに気まずい思いをする時間を過ごして委員会活動は終わった。高校にもなると教師も放任するので誰かが取り仕切らないと場がまとまらないのだが、肝心の三年生が学校の怪談で盛り上がっているどうしようもない先輩なのでダメだった。もう一人頭の固い、アレンとは徹底的に馬の合わない先輩は終始黙って腕を組んでいるだけだった。なんて使えない先輩なんだと戦慄していると、隣の列に座っているツインテールの二年生も困ったような顔をしていた。可愛いな、と思った。木漏れ日の光に反射して濡羽色がつやつや揺れる、色白い肌が際立っている。一つ一つが彼女を輝かせていた。年相応に可愛い子を見て赤面するアレンに気付いたラビがからかってきたので機嫌を損ねたが、全く彼の言う通り彼女はこの学校のアイドルで、高嶺の花といったところだった。女神に愛された彼女に、この世の誰もが恋をする。地上に舞い降りた天使のようだと我ながらそんなことを考えた。しかもあの仏頂面のパッツンが幼なじみときたら誰も手が出せないのだろう。「おう一年ボウズ、リナリーはダメだぜ」なんて意地悪に笑ったラビが憎い。

「戸締りよろしくね、委員長さん」
「うへえ〜……リナリーの頼みじゃなかったら絶対やんねぇ……」
「ふふ。ありがとう」

 文句タラタラなラビが図書室の鍵を受け取ると、電気が消えて真っ暗になった扉の方に向かっていく。扉が閉まる前に、暗闇の中に浮かび上がる薄桃色の木を盗み見た。それは、幾ばくか瞬いている星々に照らされて暗がりの中でゾッとするような淡い光を放っていた。

「だってユウは早く部活行きたくてずっとイライラしてるし、めんどくせー仕事やりたがらないし。消去法でオレがやるしかないさ」
「なんだかんだ言っていつもやってくれるよね」
「まあそりゃ、やる時はやりますよ」

 満更でもなさそうだなと思った。リナリーの言葉に嬉しそうに頬を染めて浮き足立っているラビを横目にアレンも後ろを歩き出す。何だか取り残されたような心地で少しむくれてすっかり夏の入りが差し迫った夕方の空を眺めた。照りつける太陽の力強さ、植物の青々しさ、どこか心安らぐ虫たちの鳴き声。まだ梅雨にさえなっていないというのに気が早い。紺青のカーテンがひかれる、無数の星々のささやき声がした。

「アレンくんも遅くまでありがとう。一年生なのに付き合わせちゃってごめんね」

 ああ、着実に、季節は先に進んでいる。奇妙なさくらに囚われていたアレンは漸くその事実を思い出す。向けられる親しげな笑顔に一瞬で心奪われる。柔和な眼差しがジリジリと胸を焦がす。夏の女神が微笑んだ。



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