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 夏祭りの日の夜、花火を見に行く人たちに紛れてセーラー服がぼんやり暗がりに浮かび上がった。それが最後に見た彼女の姿だった。終わりが訪れるのはいつも唐突で、なんの前触れもなくなまえは姿を消した。アレンの左眼が彼女を捉えられなくなったわけではなく、気配そのものが消えてしまった。それがどういう意味なのか分かっていた。後を追うようにクロスもまたどこかへ行方をくらませ、なまえのことについては「知らん。自分で考えろバカ弟子が」と言い残しただけだった。国際電話までかけたのにたった一言でぷっつり切られ、今はろくに連絡もつかない。また暫く音信不通が続きそうだ。厄介なガキだと以前言っていたことからクロスが無理矢理どうにかしたわけではないということは分かる。謎を多く残したままいなくなったことにアレンは憤りを感じた。いつもこうだ。大事なときに師匠は何も手を貸してくれない。

 なまえが消えてすぐ、あっという間に夏は終わった。学校祭は盛り上がったし大成功を収めた。ラビが後夜祭が終わったあとの帰り道、すごく残念そうに嘆いていたことをよく覚えている。アレンも人のことを言える義理ではなくて手持ち花火をしながら楽しかった学校祭も頑張った作り物も、準備も終わってしまうんだとそれなりに落ち込んでいた。高校一年生の夏は不思議で、あたたかくて、充実していたように思う。時間が流れるのは早かった。気付いたら勝手に秋が来て、呼んでもいないのにすべてを凍らせる冬が来ていた。あの夏に囚われたままぼんやり過ごしているうちに、頬をくすぐる風を運んだ春が顔を覗かせる。知らぬ間に季節は一周してしまいそうだ。ラビと神田はもう時期卒業する。心配せずとも神田は推薦で合格したらしい。みんな勝手に自分を置いていなくなると思った。今はこうして残されていく側にいるリナリーも、もう一度季節が巡る頃にはそばにいないのだ。

「秋頃からずっと元気ないね」

 核心に触れる言い方に少しだけ身を固くする。まだ冬の残滓を連れている風が吹く日のことだった。近頃は春がすぐそばまで来ていると思っていたが、まだまだ寒い日は続きそうだ。後期も図書委員会を選んだリナリーとアレンは、それぞれ委員長と書記の仕事を引き継いだ。三年生の居なくなった図書当番は何だか物足りなくて、少しだけさみしい。入口に置かれたストーブの炎がちりちり燃えている。夏休みとは打って変わってがらんとした図書室の椅子に腰掛けたリナリーの、骨の形すら分かるほど華奢な肩から首、顎をたどり、綺麗に結われたツインテールへと行き着いた。それ以上顔を上げずにアレンは聞いた。

「そう見えますか?」
「うん。とってもさみしそうに見えるわ」
「……さみしいのかな」

 ほとんど独り言のようなそれにリナリーは頷く。その手にはサリンジャーが残していった九つの短編集が握られている。これでもう二冊目だった。さっきまでシェイクスピアを読んでいたのに、気づいた頃には別の本を読んでいる。全く意識していなかった。外がどんよりとして曇っているせいで、また雪でも降り出しそうな雰囲気の窓を眺めながら頬杖をつく。小首を傾げてそのまま顔だけを斜めに向けた。

「面白かったですよ」
「難解な話が多いでしょ。今まで避けていたんだけど、丁度この間世界史の授業でこの年代の時代背景を学んだから」
「苛烈で、不明瞭で、だけど鮮明に描写されてて好きだな。本当に難しいですけど」
「一話目で衝撃すぎて呆然としちゃった。アレンくんは理解できた?」
「いいえ、全然。でも文体とか言い回しが忘れられないです」

 リナリーは安堵したように良かったあ、と息をついた。サリンジャーはストーリーの展開も謎が多い。どうしてここで?と言いたくなるような不条理な話もある。ただ、ラストの衝撃と虚無感に暫くはそのことで頭がいっぱいなったとき、彼は間違いなく天才だと思った。心の内側を抉られた。空虚な映像と色彩がいつまでも鮮明に浮かび上がるのだ。ほとんど哲学の域に達しているものだってあるから今の歳であの話を理解することができるなんてありえないと思う。抽象的で、ぼんやりとしていて、わかるようなわからないような。でもやっぱり本質なんて理解できていないのだ。もっと歳を重ねて読み返せばものの見え方は変わってくるのかもしれない、心を揺さぶられた話は色褪せて見えるのかもしれない。「大切なのは形ではない。記憶に残る彩だ」まさにそうだと思った。

 暫くして、とうとう三年生は卒業した。ラビは国公立の難関大学を受けて医学部に見事合格、春からは祖父の元を離れて一人暮らしするらしい。おじいちゃんっ子の彼は何だかんだ寂しそうだった。神田は地元に残るらしく、一つ上の「家族」がいる大学へと進学した。剣道は続けると言っていた。

「泣くなよ〜アレン」
「泣いてないですよっ!」
「冗談だっつの」

 胸に薄桃色のブローチをつけた卒業生ふたりが立っている。式の途中、心底退屈そうにしていたのを見ていた。楽しそうにしているラビがこちらに手を伸ばして思いっきり髪の毛をぐしゃぐしゃにする。鼻をすすりながら反抗して腕を掴んだ。

「おいリナ、お前が泣いてどうすんだ」
「だって悲しいわ……ほんとうに、本当におめでとう」
「あーあー泣くなよリナリー。いつでも飯連れてってやるさ!」
「じゃあ神田の奢りでお願いします」
「何でだよ」

 春からそのスカした面を見なくていいと思うと気分がいい。大きな喪失感を誤魔化すために最後まで神田とは喧嘩をした、いつもと同じようなことをしていないと耐えられないと思った。卒業生と写真を撮っている群れの中をかいくぐってさっさと家に帰ると、ひとりでお昼を食べた。またひとりになるのにもいい加減慣れていた。

「ティム、ティムキャンピー! 天気がいいから散歩に行こう、お前の好きなつくしが咲いてるよ」

 天気が良くて暖かい今日は卒業式日和だ。顔を出し始めたつくしに興味津々のティムを連れながら河川敷の道を歩く。向こうから人が歩いてくる、どこの学校も卒業式なのでおかしくはないが、この時間帯に制服の学生がいるのは不思議な感覚だった。それも、よく見ればうちの学校の生徒である。卒業生ではないだろうし、まさか近所に同じ学校の生徒がいたなんて思いもせずにアレンは目を凝らした。何だか妙に見覚えのある人影だった。瞳孔が開くのが自分でも分かる。普段は大人しいティムが急に吠え出し、ありえない強さでリードを引っ張っていった。何事かと驚く飼い主なんてお構い無しにティムは吠え続ける、向こうから歩いてくる人物に吠えているらしい。その人が近付いてくるにつれてアレンは息が出来なくなった。まさか、そんなはずはない。他人の空似だ。何度も脳に言い聞かせているのに、体はまるで言うことを聞かなかった。

「なまえ」

 もうずっと久しく呼んでいなかった名前に自分が一番驚いた。それを拾った彼女は立ち止まって不思議そうな顔をする。なまえだった、間違いなくなまえだった。生身の身体で、鮮やかな色彩を持って生きている。実際の彼女は幾ばくか大人びて見えて、アレンより少し背も高かった。他人の空似なんかじゃない、絶対になまえだ、そう確信した瞬間目頭が熱くなって情けなく涙がこぼれた。うわ言のように「よかった」と繰り返すアレンに慌てた様子でハンカチを差し出してくれる。

「ええっと、はじめまして、だよね?」
「アレン。アレン・ウォーカー、僕の名前です……覚えていて」

 この際忘れられていてもなんでもよかった、聞きたいことが山ほどあって言いたいことも山ほどある。それもまた今度でいい、だって彼女が狂ったように吠えるティムを見て「動物は大好きなのに昔から嫌われるんだよね」ってそう言ったから。



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