08



 放課後、部活に入っていないアレンは荷物をまとめると行方をくらませたなまえと一緒に帰るべく、校舎内をうろついていた。今も使われているはずなのにどこか寂れてかなしい雰囲気を放っている演習室へと向かって階段を上っていく。てっきりここにいると思っていたが彼女の姿はないようだ。どこにいるんだろう。困ったように頬をかく。気にしてるのかな、今朝のこと……そりゃあ気にするよなあ。上手く言葉をかけてやることも出来なかったアレンは考え耽って窓のそばの手すりにもたれかかる。なんて言葉が正しいんだろう、なまえを傷つけないものってなんだ?昇華できずに燻った存在に情けをかけてやるのは、師匠の言うように本当に愚かなのだろうか。居場所のない魂たちも愛しているというのは狂っているのだろうか。アレンには分からなかった。僕は守れるものは全部守りたい。なんとなくグラウンドを覗くと、なまえがサッカーゴールの上にちょこんと座っているのを見つけた。彼女も悩ましげに脚をぷらぷらさせてぼんやりとしている。その姿が儚くて、一度でも目を離したらもう見つけることは出来ないような気がした。急いで階段を降りるとグラウンドへ直行する。引っかけただけのスニーカーに躓きながらとにかく走った。姿が見えないだけで、不安になっていてもたってもいられないほどには余裕がなかった。

「アレン!?」

 驚いて振り返ったなまえを突き抜けて飛んできたのはサッカー部の誰かが蹴ったボールである。なまえのことに必死になっていたアレンには周りが見えていなかった。ここは放課後のグラウンドで、サッカー部が練習をしているということをすっかり忘れていたのだ。それを思い出したのは彼女の身体を豪速球の球が透かした時だった。あ、やばい。

「うわっ!? 危ねーじゃん! 練習中に突っ込んでくるやつがあるかよ!」

 バコーン!

 見事に顔面にボールがめり込んだのとなまえが叫んだのは同時だった。誰にも届くことのない悲痛な声が学校全体に響き渡る。

「おい一年の顔に命中したぞ!」
「誰か先生呼んでこい!」

 サッカー部の生徒たちがわらわらと集まって目を回すアレンを取り囲んだ、心配する声や叱りつける声など様々だったが、駆けつけた顧問と養護教諭によってみんな練習に戻った。同じく部活無所属のラビも帰り際だったのか騒ぎを聞きつけて飛んでくる。

「だからボサッとすんなって言ったろアレン〜!」

 伸びきっているアレンの顔を覗き込んだラビが焦ったような表情をしていた。





 死んだ父の置き土産だと言われてきた、あの左眼の血で塗ったような傷も、今は真っ白なガーゼに覆われて見えない。つまり、これから暫くの間なまえを感知する左眼も使えないということだ。先生に手当をしてもらいながらため息をつく。見えないだけではない、視えないのだ。おそらく大体の位置は霊力に反応して分かるだろうが肝心の姿が見えないのでは都合が悪い。今なまえを助ける道筋を掴めるのは自分なのに、不安定ななまえを支えられるのは自分なのに、いや、それは違うか。別に彼女はアレンに全信頼を置いているわけじゃない。現世で唯一なまえを見つけ出せる自分に自惚れて調子に乗ったことを思ってしまう。ダメだな、助けてあげたい、そう思えば思うほどなんだか空回って間違った方向に進んでいってしまう気がする。苦しみの縁でさまよっていた彼女を楽にしてあげたい一心なのに。一瞬でも「自分だけ」なんて思い上がったことを悔いた。師匠だったら造作もなく、もっと上手く苦しめずにやっていた。悲しそうに伏せられた目を思い出す。アレンがぼやぼやしていたせいでなまえを傷つけた。なんて、愚鈍。

「はい。一週間もすれば腫れが引くはずだから、何かあったらまた来てね」
「ご迷惑おかけしてすみません、ありがとうございます、先生」

 ぺこりと頭を下げて保健室をあとにする。外では委員会の仕事を放り出して駆けつけたリナリーや、心配して残ってくれていたラビがいた。二人とも、ガーゼでは隠しきれない目の周りのアザに顔を背けた。あまり直視していい気分になるものではない、どこまでも痛々しい傷だったからだ。

「ほんとに、ほんとに心配したんだから……」
「焦らせんなよな。なんで急にグラウンドに突っ込んだりしたんさ」
「か、考え事してて」

 あははと苦笑いを含んだ顔をするアレンにラビは呆れてげんなりとする。確かに考え事をしていてサッカー部の練習しているグラウンドに突っ込んでいくなんてありえなかった。

「痛そうだね……目が見えないと不便じゃない?」
「上手く食えなかったらアーンしてやってもいいぜ」
「確かに片目だけだと均衡感覚が変になるかも」
「おいおいリナリー、冗談だっつの」

 真剣に頷いたリナリーにアレンとラビは冷や汗をかいた。彼女はなんでも本気にするところがある。言い出したのはラビのくせに、一瞬想像してしまったのかニヤニヤ笑いが消え、隣で吐き出すようなポーズをしていた。

「ゲロゲロ〜きっついな、どーせするならナイスバディなお姉さんがいいさ」
「そんなの僕だってこっちから願い下げですよ!」

 生徒玄関で靴を履き替えると、校門の前で待っていたなまえと共に歩き出す。微かな気配を感じ取ったが、声をかけられるまでほとんど気づけなかったことに目が使えないのだと痛感した。

「ごめんね」
「謝らないで、大丈夫だから。なまえのせいじゃないですよ」
「……大丈夫じゃ、ないよ」

 弱々しく柔らかい声色はアレンの鼓膜を揺るがしているのに全く姿が見えない。彼女の声は震えていた。あの横暴を絵に描いたようなクロスに比べればサッカーボールの怪我なんて可愛いものだ。自身のことになると無頓着なアレンは全く気にしていなかったが、怪我をさせたことがどれだけなまえにとって心苦しいか。

「自分勝手でごめん、でも、こわくて。またひとりになるかもしれないって思うと、誰も見つけてくれないんじゃないかって思うと、怖いの」

 見つけ出して理解してくれた人。帰る場所を与えようとしてくれた人。大好きな人。なまえにとってアレンはかけがえのないものだった、一度溶けるように消えてゆくと思ったらどうしてか現世にとどまってしまったが、方法を見つけてくれるといったアレンには感謝していた。ずるいから、離れたくないと言ったら嘘になる。けれどすがり付いてまで彼と一緒になりたいとは思わなかった。ただ、最後の時まであともう少しだけ居て欲しい。なまえはそう思った。

「左眼なんか使えなくとも、きっと君を見つけ出します。それにたった一週間だけだから。泣かないでください」

 押し殺したような泣き声だった。頭を撫でようとするも左腕は虚しく空をかく。それでもアレンは何度もなまえの頭を撫で続けた。

 その日の夜にはアレンの傷は異常な回復力を発揮してほとんど完治していた。恐ろしい再生能力だ。ぺりぺりと粘着テープの剥がれる音がする、皮膚が引っ張られて少し痛い。養護教諭の先生は一週間ほどだと言っていたのに、早すぎる。我ながら気味が悪いなと思った。逆ペンタクルを描いたような傷跡は以前よりくっきりと浮かび上がって色濃くなっている、アレンは何故かなまえの姿を思い出した。



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