ホテルでルームサービスを取ることにしたキョウ達は、各々が好きなものを頼んで夕食が届くのを待っていた。元々予約していて取ったホテルの空き部屋が三つしかなかったので新しく増えた住人に対処できるはずもなく、本当は野宿させたいところだが仕方なくラビと同室になった神田は、今すぐそのニヤけた面を切り刻んでやりたいという顔をしていた。そんなに嫌ならキョウと寝るからいいさ、とラビが冗談めかして言ってみると神田は無言でスッと六幻を構えたのでキョウは慌てて止めに入った。目が据わっていて危険だと思った。

「つーかなんでお前らここにいるんだよ」
「だって皆で食べた方が美味しいですよ。ねー、ラビ」
「……はぁ?」

 バカウサギはともかく、と付け加えた神田にキョウは何か問題でもと言いたげな表情で淡々と告げる。彼女に乗って語尾にハートが付きそうなとろけるような甘い声で「ねー」と言っているラビに鳥肌が立つ思いで神田は距離を置いた。なにが「ねー」だ、お前は女か。室内ではマントを着ていないキョウがラビと楽しげに話しているのを横目に、神田は宿に居た頃感じたあの妙なわだかまりを唐突に理解した。マリや元帥に敬語を使うのはわかる、年上のデイシャは社交的な性格から例外で通用する。同性で歳の近いリナにも敬語を使わないのはわかるが、コイツにまで……俺だけ敬語かよ、意味わかんねぇ。一瞬よぎった感情は腹の底に溜まるような、気持ちの悪い嫌な感じだった。

「なあどしたんさユウ、怖い顔して」
「テメェは斬られてーのか」
「わー怖い」
「うわわ、喧嘩しないでください! 押しかけてきて悪いと思ってますけど、食事は本当にみんなで食べた方がいいと思うんです」

 両手を上げて降参の意を示すラビを庇うようにキョウが説明する。だから、お願いしますと必死に懇願して神田を見上げるキョウの顔をラビは見た。あの表情をしていた。

 結局渋々といったふうに折れた神田とキョウ、ラビの三人で夕食をすることになった。せっかくだからと捜索部隊の彼も誘ったが自分は食堂で食べるから大丈夫だと遠慮されてしまった、なんとか場も収まり一件落着ではあるが、神田がずっと機嫌が悪いことにキョウはいつ怒鳴られるかとヒヤヒヤしていた。これから任務もある、その中で互いの協力や連携は必須になるのだが非常に不安である。そんな不安を抱えながらつぎからつぎへと届く料理を一通り食べ終えると最後にラビとふたりでデザートのパフェを頼む、神田はよくそんな甘ったるい糖分の塊が食えるなといいたげな表情でラビとキョウを見ていた。

「神田さんも食べますか?」
「ははーん、さてはユウ、オレとキョウがうらやま……いっっってーー!」
「大丈夫!? 神田さんもいきなりどうしたんですか?!」
「別にいつも通りだ。その脂肪の塊食ったらお前もう戻って時間まで寝てろ」
「今の絶対わざとですよね」
「寝ろ」
「今のマジで痛え」
「お前も寝ろ」
「はあ!? なにさオレまで子供扱いかよー」

 わざとだ、今の絶対わざと。カロリーの高いものを食べるわたしへの嫌味だ、でも美味しいものは脂肪と糖で出来ているのだから仕方ない。なんて失礼なことを言うのだと思ったけどそういえばこの人はウェールズで乙女を俵担ぎにして重いだの痩せろと散々言ったのだった。そういう人間だった。それにしてもこれがふたりの日常らしい、この人たちほんとうに大丈夫なのだろうか、心配になる。不本意ながらも夜中の任務なので仮眠は大切だと思いキョウは自室に戻る。ラビは神田に「お前がいると話がややこしくなるから出て行け」と言われていたがラビは気にすることなく、というか行く場所といったら他にキョウの部屋か捜索部隊の部屋しかないので勝手に寛いでいるようだった。

「時間だ」

 深夜になると神田とラビに起こされ神田にも事前に伝えておいた教会へ三人で向かう。教会付近を捜索部隊に見張らせることにして何かあればゴーレムで連絡する、という算段なのだがこれから恐らくアクマとの戦闘があると思うと頭は冷静でも緊張で体が強ばった。今日の月は明るく視界良好だが油断は出来ない。神経を尖らせすぎて、動物の鳴き声や枝を踏みしめる音にでも敏感に反応してしまうので少し肩の力を抜こうとしていると安心させようとしてくれたラビにぽん、と肩を叩かれ思わず叫びそうになる。別に怖いわけじゃない、驚いただけだ。ドッ、ドッ、と激しく脈打っている心臓を押え付けてビクビクしながら歩いていると神田に睨まれる。

「……ふざけたこと抜かしたら斬るぞ」
「怖くないですよ!」
「膝笑ってんだよ」
「これは、武者震いですから」

 ガクガクに震えている膝は団服のスカート越しにもわかってしまうらしい。情けないと思いながらも神田に詰問され、半泣きで怖いことを認めたキョウは開き直って二人の真ん中を歩き、ラビのマフラーをしっかり握り締めている。アクマが怖いのかと、真っ直ぐな目で問われ少し戸惑ったが厳密には非科学的なもののほうがよっぽど怖い。存在すると認められているアクマより、不確かな存在の幽霊のほうが余っ程怖いのだ。まあその非科学的な現象を起こすそれがイノセンスのせいであることは多いのだが。

「だって神田さん対処出来ますか? 出来ませんよね、イノセンスで倒せませんから!」
「それがイノセンスの可能性は高いだろ」
「イノセンスじゃなくて、本物だったらどうするって話……」

 三人が一歩前に進んだ瞬間、空気が変わった。先程までとは違う張り詰めたような空気に息ができなくなりそうだ。幽霊の話で完全に脳が転換しきらなかったラビとキョウは一斉に叫ぶ。

「で、出たあああ〜〜!!」

 姿を表したのは幽霊ではなくアクマ。冷静だった神田はスッと刀身をなぞるとイノセンスを発動させ、ざっと数えても二十を超える大量のアクマに向かっていく。一方完全にパニック状態のキョウは半泣きで叫びながらアクマを破壊していた。一見我武者羅に剣を振り回しているようではあるが、よく見ると基礎の構えなどは心得ている。神田とラビの出番はほぼキョウに持って行かれ、戦闘後に怖かったと言ってぐずぐず泣き出したが二人は「お前の方がよっぽど怖ーよ」と思った。

「……うっ、でもおばけじゃなくて、よかったです」
「ちょ、ユウ、何なんさこの子!? オレ今のでキョウが怖くなったんだけど!」
「知るか! 俺に聞くな! お前もいい加減泣きやめ!」

 神父とシスターに涙ながらに何度も頭を下げられ敬れるのはなんだか居心地の悪いものであった。神田やラビはともかく、エクソシストの端くれのような自分には感謝されるような義理はないと感じた。けれど、孤児の少年少女達がこれ以上の犠牲にならないと思うと少し安心する。今回一番体力を消費したであろうキョウがぐったりしながらも何とかホテルに辿り着き、ベッドに入ったのはほとんど明け方だった。カーテンが光を受けて少しずつ空が白んでゆくのを微睡みやがらキョウはぼんやりと眺めていた。もうじき朝になる。フィレンツェの街には平和が訪れ、街は嫌々ながらに目を覚ます。教団に帰ったらリナリーに鍛錬の成果を伝えねばと考えながら再び窓を見遣った瞬間。ふ、と過ぎったのは確かに人影だった。絶対に見間違いではない、これだけはキョウも譲らなかった。イノセンスである剣をしっかり握り締めてベッドから転げ落ちると恐怖に足がもつれながらなんとか立ち上がって隣の部屋を乱暴にノックする。

「かっ、神田さん助けて!」

 ありえない、ここは二階だし、バルコニーもないのに人が登ってこられる訳が無い。こんなホラーよろしくな展開あってはならない。いつもに増して機嫌の悪そうな顔の神田がドアを開けるや否や部屋に転がり込んだキョウは泣きだした。しばらく涙を流していなかったことが嘘のように泣きじゃくるキョウに神田は呆れ返ってものも言えないようだ。ベッドを一人で占領していたらしいラビは彼女を見るなりぎょっとする、どうしたんさと慌てふためく彼に慣れている神田はほっとけと言うだけだった。神田になんと言われようが恐怖に負けたキョウは彼らの部屋の隅で蹲ると、剣を抱き締めてここにいると言い張った。謎の人影のことは全く聞きいれてもらえず、寝ぼけていただけで済まされてしまった。

「キョウ、ベッド使えばいいぜ。オレらは床で寝るさ」
「……また出たらどうしよう、ラビ」
「今度はオレとユウで捕まえるから大丈夫さ! だから、キョウは寝てろよ。な?」

 祟られて死んじゃう、と震えるキョウを宥めるラビは傍から見れば兄と妹、面倒見のいい彼はまさに理想のお兄さん像だった。一方理想とは正反対のお兄さんである神田はキョウにクッションを投げると寝ろと一言だけ告げて壁に背を預けていた。邪魔だから帰れと言われると思っていたキョウは少し驚く。それでもあの話は信じてもらえていないが。

 やがてキョウの寝息はゆったりとしたものになり、ラビと神田は一安心する。もう日は昇り切っていて今更寝るわけにもいかないのでラビはイタリアの今朝の新聞を、神田は精神統一のため瞑想していた。

「つか、おばけが怖いって可愛いよな〜」
「こいつは俺達と同い年だけどな」
「……は? いや、ユウちゃんマジで?」
「刻むぞ」
「どっからどう見たって17じゃねーだろ、信じらんねえ」
「事実だ。幼すぎるがな」
「オレロリコンとか言われねえ!?大丈夫!?」
「朝からギャーギャーうるせぇんだよ」
「いや大事っしょ!?」

 おはようと言うには遅い時間にキョウは目覚めた。数時間前に何か混乱していたような気もするが、何だったのだろう。そして何故自分は神田とラビの部屋に居て、部屋の主である彼らが床で寝ているのだろう。キョウはなんだか自分がとんでもないことをしてしまったような気もした。ぼーっとする頭を回転させるのに疲れたキョウは思考放棄して二人を起こすと朝食を食べに下へ降りた。クロワッサンを食べながら今朝のことを思い出したキョウは青ざめると慌てて二人に頭を下げた。身支度を整えるともう一度教会へ行くためホテルを出る。

「シスターがね、おねーちゃんとあのおにーちゃんたちのおかげでもう大丈夫だって言ってた!」
「わたしね、守りたいから戦うんだ。弱くて情けないけど誰も失いたくないんだ……わがままかなぁ」
「……? ねえ、遊ぼう!」

 はい、とサッカーボールを手渡されキョウの周りに子供たちが集まってくる。向こうで腕組をして待っている神田に申し訳ないと思いながら一回だけ、と頼むと許可が降りる前に誰かがキックオフを叫んだ。子供たちの輪に混ざって二人を呼んでみたが神田に無言の圧力で睨まれる、ラビは眠そうに欠伸をしてヒラヒラ手を振るだけだった。ですよね、分かってましたとキョウも諦めてボールを追うことにした。結局何ゲームしたのか数えるのもやめてしまった頃、名残惜しいといって中々手を離してくれない小さな少年をなだめてやった。わたしもさみしいけれど、行かなくちゃ。待っている神田とラビの元に駆け寄る。

 じゃあね、ばいばい。また遊びに来るよ、最後に彼を振り返ったとき、先程とは打って変わって表情をなくしていることに奇妙な違和感を感じ、背筋が凍った。思わず駆け出していた足が止まる。その瞳はもう何も映していない。からっぽ。空虚で機械的な音声が柔らかなくちびるから紡がれる。一瞬にして全てを悟った。うそだ……どうしてこんな。「お腹すいたよぅ」ぽつねんと落とされた言葉に涙が滲む。こんなことがあってたまるか。やるせなくて、こころがぽっきり折られてしまって、もうダメかもしれないと思った。この子が笑って暮らせるならそれでいいのに、神さま、全部あげるから、助けてくれたらもうなんだっていい。なんだっていいのに。
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