「いつまでもガキみてぇに泣くな」

 ずびずび鼻をすすりながら、なんで獄寺くんがいるんだろうと思った。容赦なく殴られるのではないかと体温がひやりと下がる。八重だって、出来ることならとっくに泣き止んでいる。それが出来ないから困っていた、いつまでもとめどなく流れるなみだを鬱陶しいとすら感じていた。おかしくなってしまったようになみだが流れ続けて、今にも足元に水溜まりが出来そう。もうどうやったって何も上手くいかない気がして眠りに落ちたら二度と目覚めたくない気分だった。自分のなみだを見ていると壊れた蛇口を思い出す。瞳から新たに真珠みたいに大きな一粒が流れていくのを見逃さなかった獄寺は、どこをどうやって転げ回ればこんな傷が出来るのか疑問に思いながら躊躇せずに消毒液をぶっかけた。八重が腹立たしくて堪らない、といった様子の不機嫌な薄いエメラルドが睨みを利かせる。どうしてツナが彼女のためにここまでしてやるのかわからなかった。常日頃から眉間にしわが寄っている獄寺だったが、今日は一段と厳しい顔をしていた。

「わたしだって、泣きやみたいけど、いたたた。痛いよ獄寺くん」
「手当してやってんだろ。ありがたく思え」
「……チェンジで」

 後から来たツナに差し出されたティッシュをありがたく受け取り、鼻をかむ。ぼそっと言ったつもりがしっかりと彼の耳に届いていたようで叩きつけるように絆創膏を貼られた。八重は潰れた喉で叫び声をあげる。ひどい、あんまりだ。静謐な瞳の奥の奥、ゆらりと揺れた光は燃え上がるような赤い影が差していた。はっと息を呑む。発せられるエネルギーがびりびりと体を駆け抜ける、激しい、嵐のようなそれに八重は彼のことを思い出して、また泣いてしまう。だってベルと同じ色をしているのだ。その瞳には彼と同じように荒々しく吹き荒れる疾風が宿っている。目が合って泣き出した八重に獄寺は目に見えて嫌そうな顔をした、うげっ、と表情を歪ませて助けを乞うようにツナを見遣る。怒鳴ると泣くから優しくしてやったのにますます惨めったらしく泣く女なんてお手上げだった。八重は最後に囁かれた彼の言葉を思い出そうとして息を吐く。しゃんとしなきゃ、前を向いて立ち上がらなきゃ。そう思えば思うほど、心が押しつぶされていくような気分になる。どうしよう、さっきの彼は夢にすがりつく哀れな女が見た幻覚で、あの男の子の思惑通りなのかもしれない。

「帰ろう八重ちゃん」

 大きくて暖かい手が八重に差し伸べられる。まめができた逞しい手のひら、気付いたらあっという間に包み込まれてしまう。八重の小さな手をからめとって、ぎゅうっと繋いで離さない。そばにいた山本と獄寺が驚いた顔をした。深い海の底、ずっと溺れているような感覚。あっ、と気づいたときには重たい雲が蔓延した世界に春風が吹き込んで、太陽が顔を出す。手を引っ張られて水中から抜け出すと目もくらむような大空がどこまでも広がっていた。そんなイメージが鮮明に浮かぶ。

「先生、わたし、勉強がわりとまあ好きです」
「ああ。頑張ってたな」
「将来は人に何かを教えられるようになりたいんです」

 いよいよ人の居なくなってしまった祭りの会場で八重は余り物の焼き鳥とかき氷を食べていた。「――会場の皆様にお知らせ致します。間もなく、並盛町春祭りを終了とさせて頂きます。お帰りの際はお足元にご注意ください。尚、ゴミの分別につきましては――」帰り支度を始めるツナたちから離れた場所で夕方と同じように話していた。泥んこの八重を見てディーノは驚いていたが、彼女からしたらお祭りに来るだけで迷子になったり、転んだりして泥んこになる人には「お前それどうしたんだ?」なんて言われたくなかった。

「でも、勉強ギリギリなんです」
「そりゃ大変だ」
「……頑張ります。進路のこと考えなきゃだし、なんか、はっきり見えてきた気がして」

 先生は先生らしくない。先生だけど先生じゃないとずっと思っていた。ドジで締まりがないからじゃない、分からないけれど彼には先生は似合わない気がしていた。だから辞めたのかなと思ったけれど八重は何も聞かなかった。空には小さな星がいくつも輝いている、塗りつぶされていたような空は晴れ渡っていた。星たちは励ますように照らし出す。輝く夜が映し出された瞳はしっかりと前を向いている。八重はやっと、思い出した。もう大丈夫だと思ってベンチから立ち上がる。ちょっとだけ悲しかったけれど、もう大丈夫。きっと。会場の出口で待っていたツナが顔を上げる。帰ろうか、とやさしく微笑むツナの隣に立った。

「迎えに行く」

 絶対に、迎えに行く。どんな言葉よりも心を揺らす彼の言葉、永遠に果たされないかもしれない約束だった。何年先になるか分からないような、不確かでいい加減で、子供っぽい安直な約束。今だから信じられる魔法。だけどそれでも構わなかった。焦がすような熱の篭った瞳を見て、そんな考えは吹き飛んだ。みんなで歩いて月を見上げる、めそめそするには明るすぎる三日月が笑っていた。

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