もうじき日が沈む。夜がくる。さくらの花びらに惑わされて、夢と現の区別がつかなくなるような、夜が。無意識に八重は持て余していた左手を胸元に持ってくる、あの日からずっと心臓に落ち着きがなかった。だってもう会えないのだ、会う理由が見つからない。リボーンにできるならこの胸の内を話したいと言ったくせに、結局彼のペースに呑まれて、勇気が出なくて機会を失う。言い出せなくてこころに溜まった大きな塊を吐き出した、最近のどのため息よりも深いものだった。

「なんだ、また勉強行き詰まってんのか?」

 思わずひゅうっと息を呑む。愚かにも期待して勢いよく顔を上げた八重は、予想外の人物の登場に大きく瞳を見開いた。公園のちいさな砂利を擦って、大きな影が覆いかぶさる。すぐ近くのお祭り会場から流れてくるお囃子の音が大きくなった時だった。

「ディーノせんせい」

 がしゃっとブランコの鎖が金属音を立てる。臨時で英語の教科担任をしていたディーノ先生だった。まぶしい笑顔が似合う、ドジばかりしているかっこいい先生だった、周りの友達と一緒になって先生に熱を上げていた。英語よりもイタリア語のほうが得意だし、授業はいつも締まらなかったけれど、質問すればちゃんと教えてくれるところが好きだった。「迷ってる顔だな」英語のテストを返してもらった時、そう言われたことがあった。好きだったはずの、伸び悩んでいる英語のテストと睨めっこしながら先生に愚痴をこぼすと、先生はにかっと笑って頭に手を置いた。たったそれだけで、わたしの中に重く垂れ込んでいた灰色の雲がたちまち晴れて、澄み渡る大空を見た気分になった。

「お久しぶりです、先生」
「高校、受かったんだってな。見届けてやれなくて悪かった」
「もう春から高二ですよ。先生学校辞めちゃうから」
「ごめんな」

 八重はあんまり悪いと思っていなさそうなごめんなだと思った。ツナがいると聞いてやって来たという先生に暇なのかなと心配になる、大人はずっと仕事をしているものだと思っていた。沢田くんたちならあそこにいますよと教えてあげるとお礼を言って颯爽といなくなる。その矢先に思いっきり躓いていたので八重はついて行くことにした。

「勉強じゃありません」
「ま、そうだろうな。いやー可愛い女の子が公園のブランコで泣きそうな顔してるから思わず声かけちまった」
「からかわないでください」

 これだからイタリアの男は、と思った。白い目を向けると先生は慌てて謝る。八重が話さないから別に何も聞いてこない、悩み事を打ち明けることも無く黙って歩いた。がやがやと騒がしい会場にやってくる二人に気付いたツナが声をかける。八重はこの前言っていた通り、屋台を巡って歩き回るハルと京子をしげしげと眺めていた。喋り相手になってくれた先生がツナたちと何やら話し込んでしまっているのでひとりぼっちになった。山本がくれたたこ焼きを食べながら携帯を弄りだす。春休み以来ろくに連絡を取っていなかった友達に「ひま」と二文字だけ送ってみた。「何してる?」「春休み中遊ぼ」立て続けにグループに返信が来て八重は即座に「近所のお祭り来てる」と返した。「並盛の?」と問われて「そうだよ」と返した。偶然にも、彼女たちは緑中の時の友達と祭りに来ているらしい。八重もツナに呼ばれたから顔を出していた。

 友達も来てるのでちょっと話してきます、と丁度射撃から戻ってきたリボーンに伝えた。ポケットに携帯をしまってベンチから立ち上がった時、人混みの中に見覚えのある人影を見て息を呑む。心臓が早鐘を打つ、耳の後ろでどくどくと音が鳴っているような気がした。確信はない、見間違いかもしれない、だけどわたしの足は勝手に一歩進み出していた。数歩おずおずと歩みを進めて、思わずリボーンを振り返る。「お前はどうしたいんだ?」その言葉を思い出して、何も言わないリボーンに背を向けた。一度立ち止まった足は、次の瞬間には強く地面を蹴りあげていた。急に走り出した八重に気付いたツナの驚いた声が響く。だけど振り返ることは出来なかった。「今の八重じゃない?」「うそー」「そうだって、あんな真剣な顔した八重初めて見た」「え〜? 人違いでしょ」すっかり藍色に包まれた夜のカーテンを押し上げて、綺麗にライトアップされた夜桜の中を駆け抜ける。みんな目の前の桜に夢中になっていた。夢で何度も見た光景と重なって八重の視界は揺れ始める、だけど足はとめなかった。今立ち止まったらダメな気がして、肺が焼ききれるような痛みに顔をしかめながらさまよった。取り憑かれたように行かなきゃと思った。とにかく、行かなくてはならないと思った。思い出したように、弾かれたように走り出した両足は硬い地面を蹴って速度をあげる。心のどこかで今しかないのだと思って、その懐かしい後ろ姿を探していた。

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