八重を見ているとめちゃくちゃにしてやりたくなる。彼女はほんとうにあの言葉の意味を理解したのだろうかとベルは些か不安になった。咄嗟の言葉に今更後悔なんてしていない。言ってしまったものは取り消せない、最早取り消そうとも思わない。一周回ってこういうのは潔いほうがいいだろうという結論に至った。もそもそあんな顔で泣かれたら撤回する気はさらさら起きない。だから、今更どうしてのこのこ訪ねてきたのか全く理解出来なかった。明らかに好意を持っていると分かる発言をした男の部屋に慌てた顔で飛んでくるような、バカな女。分かってない、こいつはまるで分かってない。八重に移された熱でダウンしながら、霧がかかった脳ミソはぐるぐる逡巡する、このまま一瞬で手元に引き込めるかもな。今ならなんだってできる。ひかる髪に手を伸ばし、やわい肌に触れることも、そのくちびるにがぶりと噛み付くことも。思い通りにできるのだ。自分の中で隔てていた何かが危なっかしく揺れ出すのが分かって自嘲する。一体いつからこんな女ひとりに翻弄されるようになった?滑稽だ。あいつが悪いじゃんとささやく声が聞こえた。ああ今彼女の手を掴めば全てを暴いてしまうのは容易いのに。

 どうしたの、なんてまるで何も分かっていないアホ面で問いかける。痛い目見ないと分かんねーのか。もうガキじゃあるまいし、この状況で分かるだろ。純粋無垢な瞳がぱちぱち瞬く。その色は不思議そうに困惑を浮かべるだけで、恐怖や警戒心なんて微塵も宿ってはいなかった。それが余計に腹立たしかった。

「ベル」

 ずっとやわらかい声が鼓膜を伝わって骨の髄までしびれさせる。返事をするために声を発するのも億劫で、瞬きだけで答える。それを受け取った八重は何を思ったのか、そっとシーツに散らばった髪に指をからめた。男の髪なんて触っても楽しくないだろ、スク先輩みたいに長いわけでもねーし。あーしんど。死ぬ。まぶたを閉じてされるがままにしていると反対の手がやさしく自分の手を取るのが分かった。反射的に目を開ける。なんでいま、手なんか握るんだよ。王子がダウンしてるからって調子乗りすぎだし。ほんと、マジで、お前のそういうとこ。

 本気で襲ってやろうかと思った、直前に良くも悪くも薬の副作用で訪れた心地よい眠気に乗じて意識を手放す。こんな市販薬の副作用でやられるようなベルではなかったが、今は眠ってしまう方が彼女のためだと思った。結局、そう簡単に彼女を汚せるはずもなく瀬戸際で理性が勝ったのだ。生憎この程度の熱でやられるほどヤワじゃない、暫くの間、夢か現実かよく分からない境目を浮遊していた。まだ眠りに落ちてはいないけれど、妙な映像が頭の中に浮かび上がっては意識が覚醒して現実の世界に戻ってくる。ベルは近未来の球体をした乗り物に乗っていた。こんなにちいさいのにものすごいスピードで高層ビルが立ち並ぶ近未来を行き来するので、体感が恐ろしかった。不思議と落ちることは無い。球体がジェットコースターの勢いで動き出すと、急降下する足元がすくむような感覚にさらわれる。たった今球体の乗り物から落下したような心地で、まず最初にあつくて、苦しい、と思った。外はまだぼんやりと明るいのが分かる。八重は起きているのか眠っているのか分からなかったが、ベルに背を向けて寄り添う姿勢でベッドの隅に座っていた。脱力した腕がベルの肩の上に乗っていた。自分が眠っていて、隣には八重がいて、静かに時間が流れている。夢みたいな話だった。浅い眠りから目覚めるとこちらを心配そうに覗き込む八重の顔があったのでとりあえず手刀で気絶させる。「へ?」なんて間抜けた面のままあっさり後ろへ倒れ込んだ。今騒がれると面倒なことになる。ここからそう遠くないところに殺気とそれに混じって面白いものを見つけたのだ。

「ちょっとアイツ借してよ」
「は? てか八重ちゃんは!?」
「寝てる。ウゼーから気絶させた」
「なんてことしてるんだよ!」

 さっさとこの前見つけたザコの残党を狩ろうと考えながら思案する。幼なじみだかなんだか知らないが常に彼女の周りを囲んでいるのは不自然だと思っていた、疑問のクロスワードがぱらぱら解けだす。あの祖父がいれば何の心配もないだろうと踏んでいたが、永遠に平穏が続くとも限らないらしい。暗躍した人間が歴史からそう簡単に消えることはない、未だに伝説を探し回っているやつは一定数いるものだ。うちの隊員だってヴァリアーにスカウトされた元軍人の男には興味を持っている。その男に関しては様々な噂を耳にした。そんなバケモノじみた男を一度見た時のことを思い出していた。全くもって普通の何の気配も感じないような老いぼれ、八重の家で奥へと続く長い廊下を歩くジジイを見かけた。衣擦れの音だけを響かせて厳しい顔で廊下の奥に、煙のように消えていく姿が昨日のことのように鮮やかに蘇った。

 わざわざ出向いてくれた奴らをさくっと始末する。ツナは明日の天気予報の話でもするように会話を続けるベルに腰を抜かしていた。今思えば彼女の家で見たあれは、常に何も感じなかった普遍こそ、殺気を感じさせない殺気だったのだなと納得する。ヴァリアーが誇る天才の目すら欺くなんて流石だった。なんの拍子にそれに気付いたのかは忘れてしまったが、日本を訪れた時風の噂で聞いた誰かの不確かな情報だったような気もする。

「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ」
「オオマジメだっつーの」

 間違ってもキズはつけねーよ、それだけ言い残すと追求を許さずに姿を消した。

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