「はやいもんだねえ」
「今年卒業するなんて信じられない」
「……その前に受験だけど」

 あははと苦笑いする声が聞こえた。クラス替えどうなるかな、担任誰だろう。最後だからやっぱ楽な先生がいいよねえ、とみんな言っていた。八重は教室のすみっこで友達とだべりながら窓の外を盗み見る。何となく大きな桜の木に視線をうつろわせると、蜃気楼のような人影が浮かび上がったのを見た。夢のようなそれに、八重は引き寄せられるようにして教室を飛び出す。「あれっどこ行くの」「ごめん、ちょっと行ってくる!」終業式が終わってすぐ、ベルはふらりと現れた。校門の近くに植えられた桜の木のそばに立っている金髪が春風に揺れる。何だかミスマッチだなと思った。だけど驚いた、まさかわざわざここまで来るなんて。おばけみたいに突然現れるのはやめてほしかった。

「ドーモ」
「……びっくりしたあ〜」

 ひらりと片手を上げてニンマリ笑う。相変わらず、どこか別の世界から飛び出してきたみたいだと意識の遠くでぼんやり考えた。いつだってそうだ。ベルはひらひらしていて掴みどころが無い、いきなり現れたり何ヶ月も姿を見せなかったり。思えば今日だって久しぶりに姿を見た気がする。そもそもよく考えてみればベルが八重に会いに来る理由もよく分からなかった。深く考えたこともなかった。

 鞄を肩に掛け直して歩き出すとベルも並んで少しだけ前を歩く。帰り道の桜並木を見上げながらふたりは足を進める。八重は桃色がゆらゆら揺れて花びらを散らすのを見ていた。春になると静かに、淡く咲く桜が好きだ。こんなにやさしい色をしたものが他にあるだろうか。ずーっと遠くまで桃色が霞んでいるのを確かめるように眺めていると、目の前でちいさな花吹雪が舞った。ぱち、と瞬くもすぐにそれを理解して思わず笑みをこぼす。八重がくすくす笑っていることに気付いたベルは物珍しげにその様子を眺めていた。

「きれーだねえ」
「花が散ってくのが?」
「日本人は小さくて儚いものに美を感じるからね」
「ふーん」
「こーゆーのをさ、花嵐って言うんだって」
「……ハナアラシ?」
「そう。たくさん花びらが散ることって先生が言ってた」
「センセーかよ」

 呆れたように鼻で笑うベルをちいさく小突くと少しだけ強い力で押し返される。ぎゃあぎゃあじゃれながら歩いてるわたしたちって、傍から見ると何に見えているんだろう。ふとそんな考えがよぎったけれど、ちょっと不機嫌そうなベルの声に呼び戻される。あ、今のデコピンは痛いけど手加減してる。こういう時ベルはやっぱり男の子なんだなと改めて実感した。白くて細い女の子みたいな手をしているくせに、ほんとうは痛々しい傷痕が残ってて、わたしのよりごつごつして骨ばった、だけど綺麗な手とか。あまり男の子と接点のないわたしは、ちょっぴりどきどきしてしまう。

「ぼさっとしてんな」
「うわあ」

 ぐい、と肩を掴みわたしの顔を覗き込むベルに慌てて数歩後退る。もう片方の手で頬を思いっきり掴まれた。首がもげる。素顔を覆い隠すような前髪の隙間から覗く細められた瞳が、他の何よりも綺麗で思わず見とれてしまった。きれーだなあ。東洋人が決して持つことの無い色彩が夕日に染められてきらきら光っていた。唐突に我に返り、握りつぶす勢いで頬を掴んでいる手を振りほどこうとする。

「いひゃいんだけど」
「ブース」
「はあ!? あいたたた」
「悔しかったら自力で抜け出してみな」

 残念なことに非力なわたしではベルの腕一本の拘束からは逃れられず、散々アホ面を笑われた後に漸く解放された。女の子に平気で暴力を振るうような人だけど一緒にいると楽しかった。よく分からない人だった。あまりに稚拙な気持ちだけど、一緒にいたかった。運命の人でもなければ一生に一度の恋でもない。素性も知らないような人だったけれど、恋をしていた。ベルが好きだった。




「やだな……」

 目が覚める。自然に言葉が転がりでた。自分の口から呟かれた言葉に一瞬、驚いて反芻する。寝起きの脳は少し混乱しているようだった。暖かい布団の中でゆっくりと寝返りを打ってため息のような深呼吸を繰り返す。安堵、夢だと気付いたあの時の感情はほんとうに安堵だったのだろうか。精神はすっかり疲弊しているようにすら感じる。ほんとうにやだな、と思った。たかが夢で、それも自分の作り出した過去の虚像に心を乱されている。そういえばもう三月だったことを思い出す。この時期は感傷的になるし花粉がすごいし何かと気が滅入るのだ。

のそのそと布団から這い出すと、これまた驚愕するようなことに気が付いてぺたりとその場に座り込む。情けないけれどこればっかりは止められなかった。わたしは、泣いている。さっきから息苦しいと思っていたが、なるほどそうか。泣いていたから苦しかったのか。最初は頬を伝うだけだった涙が今は蛇口をひねったように大洪水を起こしている、夢の続きを思い出したらどうしようもなく涙が止まらなくなった。自分の阿呆加減に呆れて、なんだかもうやるせなかった。なんでだろう、なんでこんなに悲しくさせるんだろう。わあん、なんて子供じみた泣き声をあげながら迎えた三月九日の朝だった。

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