逃げるようにしてタクシーから降りると腹を括って裏口から家に入る。覚悟を決めたものの、流石に正面玄関から入る勇気はなかった。どうか庭師が盆栽の手入れや枯山水を描いていませんように、と祈りながら閑散とした中庭をそっと覗いた。

「ただいま〜……」

 とりあえず裏拳が飛んでこなかったことに安堵する。耳聡く物音を聞きつけた祖父が鬼の形相で追い回してくることに怯えながらギシギシ音を立てる廊下を歩く。我が家のはずなのに、泥棒よろしく抜き足差し足忍び足で歩いていることに呆れた。今回のことはすごく後悔して、反省している。沢田くんがあれだけ心配して一緒に居てくれたのに迂闊だった。いくら他人事に感じていた節があったとはいえあまりに危険な行動だったと酷く後悔する。怒ってるだろうな、そりゃそうだよ。音信不通で勝手に誘拐されてほんといい迷惑だ。二日後にやっと連絡つくようになったわけだし。おじいちゃんも寝込んでるとはいえ家に帰らなかったら流石にキレる、それも連絡無しに二日も。八重は命が無いことを悟る。祖父はどこぞの先住民のように視力が良ければずば抜けて聴覚もいい、衰えの文字を知らないようなトンデモおじいちゃんなのだ。

「やっぱり、ここから入ってくると思った」
「ひえっ」

 腰が抜けた。廊下の暗がりからぬっと姿を現したツナと彼の肩に乗ったリボーンを見て情けなくも腰を抜かす。そんなおばけみたいな登場しなくても。祖父の登場ではなかったことに一気に緊張の糸が切れる。物音一つにビクビクして寿命を縮めるくらいなら潔く土下座にし行った方がマシだ。何でここに沢田くんが、と聞きたかったけれど真っ先にわたしは謝った。物寂しい廊下のど真ん中で床に頭をつけて誠心誠意謝罪する。本当にごめんなさい、わたしが馬鹿でした。

「ご心配おかけしました。ごめんなさい」
「ちょっ、顔あげて! 無事ならよかったから!」

 慌てるツナに頼まれて恐る恐る顔を上げる。寝不足なのか目の下に濃いクマができていた。よく見たら隣のリボーンも同様に、赤ちゃんの白くて柔らかい肌に似つかわしくないクマがあった。きっと十分に寝てないんだ。ますます罪悪感に押し潰されて八重はまた俯く、ほんとうに阿呆で間抜けで救いようが無い。周りが見えていなかった。わたしは自分が思っている以上に大切にされているらしい。「あんまり心配かけんじゃねーぞ」とやさしく肩を叩かれて目の奥が熱くなる、リボーンの言葉にこくこく頷いた。泣く前から既に瞼が腫れぼったかった。

「にしてもひでー顔だな、女泣かすやつはやめといたほうがいいぞ」
「おい、リボーン!」

 そういうのは聞いちゃダメだろと言いたげな顔のツナが慌ててリボーンを止めるが赤ん坊はどこ吹く風、全く気にとめない様子である。読めない黒真珠の瞳がまっすぐこちらを見抜いて離さない、思わずギクリとした。まるでお見通しとでも言いたげだ。八重はやけに顔がむくんで目が腫れているような気がする理由が分かった、きっと泣き腫らした醜い顔をしている。思い出すとあまりにやるせない。何から説明するべきか、そもそもどこから話すべきか悩んでいると目の前の赤ん坊はとんでもないことを口にする。聞き間違いだと思いたかった。相手の口を塞ぐか、己の耳を塞ぐかの行動に移す前に追撃される。

「お前ひょっとしてやることやって帰ってきたのか?」
「な、なっ……! ちがいます!」
「往生際わりーな、男の服着て帰ってきて何言ってんだ」
「ぶっ!」

 全身の血液が沸騰して上半身に集まるのが分かる、八重が首元まで真っ赤になるのとツナが吹き出すのはほぼ同時だった。末恐ろしい心地でその場から崩れ落ちる。同じ沢田家のランボのように年相応ならば可愛いものだが、最近の子供はませすぎてついていけない。

「川入って死にそうになったところを助けてもらいました」
「……感心しねーな」

 驚いたようなツナと厳しい顔をするリボーンに諭されて息詰まる。返す言葉も無かった、咄嗟に体が動いて抑制も出来ない衝動だった。手に負えないこの感情は恐ろしかった。落としたものがどうしても手放せなかったとおずおずと言い訳する、手の中のぼろぼろの栞を無意識に握り締めていた。詰められる、と拳を握りしめるが杞憂に終わる。リボーンは帽子を深く被り直した。

「何も聞かないの?」
「高橋さんが何も聞かないんだからオレも聞かないよ」
「じゃあ話したら教えてくれるんだ」
「なんだ八重、知りたいか?」
「……やっぱりいいです」

 にやり、愉悦に満ちた表情が垣間見える。なんだか嫌な予感がしてやっぱり聞かないことにした。とりあえずお前はこってり絞られてこい、と為す術もなくまっすぐに母屋の方向を指さされて冷や汗をかく。考えないように、後回しにしていたが最後の砦が残っていた。生きて帰れる確率は限りなく低いだろう。

← /

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -