「あのさー、なまえってまだ双子の面倒見てるわけ?」

 大学構内のカフェで休憩中の出来事だった。友達の疑うような視線に目を逸らす。歯切れ悪く答える私にどんどん追撃の矢が放たれる。

「面倒見てるってゆーか……」
「一緒に住んでるんでしょ?」
「うん、まあ」
「三人で?」
「そうだよ」
「あんたたちってほんとに何もないわけ?」
「ないないないない! あるわけない!」

 彼女の言いたいことを理解した瞬間勢いよく首を振った。まさか、そんなわけ、あの双子と、あの野蛮を絵に描いたようなベルと? ないない。ありえない。百歩譲って片割れの兄のほうはわりと真っ当な人だけど、ベルは論外すぎる。
 私があまりにも否定するので友達は逆に怪しんでいた。

「いや、ほんとだから。お兄さんはともかく、弟のほうはちゃらんぽらんでダメダメだよ」
「ふーん、ラジエルとベルフェゴールだっけ。でもなまえってそういうのほっとけなさそうだよね」

 そこはちょっと痛いところだ。私はたしかに人にお節介を焼くのが好きだし、正直ベルみたいなタイプは放っておけない。相手からすれば鬱陶しいのだろうなと思うけれど構ってしまう。悲しきかな、長女の性だ。そんなことをしているうちにスーパーの特売日だったことを思い出して私は帰り支度をする。ちょうど、授業が終わるチャイムが鳴ってカフェも人が増えてきた。

「夜ご飯の買い出し?」
「うん、うち三人だから早めに行かないと」
「主婦みたい……」

 よくやるねえと呆れた様子の友達に別れを告げて席を立つ。

「明日小テストだから遅刻しないでよ」
「そうだった!」
「じゃあね」
「またねー」

 一歩外に出た瞬間、鼻の奥にツンと染みる空気に包まれる。近頃はさすがに冷え込んできて、冬はもうすぐそこまで来ているのだなと思い知らされる。今日の夜はオムライスを作ろうかな。でも一昨日ナポリタンだったからベルに文句を言われるかな。あれこれ考えて、また基準がベルになっていることに自分でも呆れた。だってベルはわがままなのだ。お兄さんが品行方正な人だから言うことの聞かない子供みたいなベルを甘やかしすぎた。
 今週も代返してあげたし、レポートも内容を教えてあげたし、私はしてあげてばっかりだ。このままじゃダメだと頭を振って決意する。ベルに厳しく、なんと言われても今日の夜ご飯はオムライスでいこう。

「なあ、この間もナポリタンだったじゃん」
「文句言うなら自分で作ってください」
「オムライスとナポリタンってほとんど中身変わんないだろ、手抜きかよ」
「わがままだな、もう」
「王子なんだから当たり前だろ」
「冗談は顔だけに、いたたたたた」

 食卓では全く予想通りの展開だった。無遠慮に私の頬をひっぱるベルと掴み合いになる。こんな子供みたいな喧嘩は不毛だと分かっている。くそ、負けたくない。麺と米の違いも卵があるかないかも大きな違いだろう。こんなにふわふわの卵を作れる人はこの家で私だけなのだからもうちょっと感謝をしてほしい。男二人じゃろくにご飯も作れないだろう。その他の家事は自分たちで出来るとしても、この家の権力バランスは唯一の料理スキルを持つ私が頂点だ。

「うっせーなベル、なまえちゃんもこんなやつほっとけよ」

 いつの間にかキッチンに立っていたお兄さんがベルに向かって虫を追い払う仕草をする。それにカッとなったベルが怒りの矛先を変え、そこからまた一悶着あった。なんでこの家の双子はこんなに仲が悪いんだろうと不安になる。親御さんもよくこの二人を一緒に住まわせようと思ったものだ。

「火曜の四限のレポートいつまで?」
「来週の水曜。内容教えてあげたんだからちゃんと出しなよ」
「へいへい」
「ケチャップ取って」
「自分で取って」
「ケチ女」
「……」
「ジル、ケチャップ」
「お前は人に命令しないと気がすまねーのかよ」

 定位置に着いてからもベルはなにかと私やお兄さんにつっかかる。なんやかんやで半年。大きな子供がいるみたいな生活にも慣れた。私は無視をすることにした。

「あ、私次の木曜日帰らないからご飯自分たちでなにか食べてね。リクエストあるなら作り置きするけど」
「なまえちゃんが夜出かけるの珍しー」

 スプーンを口に運んでいたお兄さんの手が止まる。すかさずベルが「男?」とからかってきたのを無視する。お兄さんだけに答えるように彼の目を見た。

「友達と遊びに行くんですけど、ちょっと遠出する予定で終電ギリギリになるからお泊まりすることになったんです」
「週末は?」
「いますよ、バイトなのでそのままこっちに帰ってきて夜には家に着きます」
「ふーん。そっか、楽しんで来いよ」

 あっけらかんと笑ったお兄さんは一度だけ私を見て、それからまたオムライスを咀嚼し始める。一番最初にオムライスを平らげたベルはシンクにお皿を運ぶとすぐにソファに横になった。なんだか私もどっと疲れていて、そのまま横になりたい衝動をぐっと堪える。お風呂もまだ、化粧も落としていない。電気をつけたまま眠るなんて普段ならありえないのに、私の瞼はぴったりくっついて離れない。ベルかお兄さんか、誰かが声をかけた気がしたけれど返事もままならなかった。
 次に目が覚めたとき、私の体は心地よいだるさのせいでなかなか起き上がってくれなかった。一瞬目を開ける。オレンジ色の蛍光灯がぼんやり灯っているのが見える。……あれ、いつの間にベッドに移動したんだっけ。人の気配がして、私ははっとした。視界の端にさらさらの髪の毛が揺れて、私は急いで体を起こす。ベル、と呼んだ声は掠れていた。なんとなく、目の前にいるのがベルだと思った。

「……」
「あの、ごめん」
「起きてそれ? 日本人ってすぐ謝るよな」
「ね、寝ちゃった」
「疲れてたんじゃねーの」
「そうかも」

 妙にベルが静かなので私は内心ヒヤヒヤした。大人しいベルって逆に怖い。じっと私を見透かす視線にどきりとする。

「……お前、なんかあつくね?」

 予想もしなかった問いかけに間抜けな声が漏れる。そう言われたらなんとなく体があつい。病は気からというけれど私の体は単純すぎやしないかと心配になる。伸ばされたベルの手の冷たさに驚いた。手際よく体温計を差し込まれ、呆けているうちにピピッと電子音が鳴る。

「37.6度。なんかいる?」
「飲み物……」

 夢みたい。ベルが黙々と私の面倒を見ている。体はたしかにあついけれど、しんどさはない。しかしこんなベルが見られるのも珍しいので私はちゃっかり甘えることにした。

「ベル、なんか変だよ」
「はあ? 体調悪そうだから気使ってやってんの」
「ありがとう」

 体をやわらかいベッドに押し戻される。狐につままれたような気持ちで私はもう一度目を閉じた。
 小学生の頃ズル休みをしたときの懐かしい感覚がよみがえる。
 少しのあいだ眠っていたような気がする。玄関のドアが開く音で目が覚めて、ベッドのなかでじっとしていると外のにおいをまとったベルが入ってきた。上着はひんやりしていて、思わず冷たい空気に肩を竦ませる。すっと絡ませられた指先の温度に、その無骨さにいよいよ目が覚める。驚いて何も言えない私の顔をのぞき込むベルがそのままぐっと近づいた。息が詰まりそうだった。
 反射的に目を閉じると、ややあって額にベルの手が置かれて、そして離れていった。

「ごめん」

 ごめんってなに。私に女の子にするような態度をしたこと? それとも結局私がそういう対象じゃないって思い直してやめたこと? どれに対して? 異性に対する扱いを受けたことより、対象外と見なされたことより、私はベルが今までの関係を壊してしまおうとしたことに傷ついた。パタンと扉が閉められて、小言のひとつも言えずに毛布に包まる。ベルのバカ、もう知らない、明日気まずいのどうしてくれるの。
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