代返しておいて。慌ただしく家を出る私に向かって投げられた学生証を反射でキャッチする。とりあえず受け取って、スニーカーを引っ掛けながら後ろを振り返るともうすぐ一限が始まる時間だというのにソファから全く動く気配のないベルが寝返りをうっているところだった。

「うわっ、ねえ、一限サボるつもり?」
「そーだよ。だから代返ヨロシク」
「最低。どうせ飲んでたんでしょ」
「レポート手伝ってやるからさっさと行けって」
「それが人に物を頼む態度か!」
「あんまデカい声出すなって。頭に響くだろ」

 ぶつぶつ文句を言う私を他所にベルはしっしと手で払って玄関を飛び出す私を見送った。ベルはよく飲みに出かけて始発で帰ってくる。きのうも飲みに行っていて、さっき帰ってきたに違いない。こういうことが続くならもう代返はしないと前にも言ったはずなのだが、全く改善される様子がない。呼ばれたら深夜でも出ていってしまうフットワークの軽さはいっそ尊敬するが、こういうノリは大学生らしいなと思う。私もベルと同じ大学に通う大学生であるはずなのに、未だに朝帰りをしたこともなければクラブに行ったこともない。友達と飲みに行くことはあれど終電までに解散するし、周りはみんな彼氏がいたり、そもそもクラブに行くようなタイプではない。自分もそういう場を楽しめる自信はないが、人生経験として一度くらいは行ってみたいな、と思っている。つまり、まあ、思っているだけである。
 大学までは徒歩十分。この距離なら二日酔いでもなんでも出席出来そうだが、二年生になってからベルは完全にサボり癖がついていた。去年は上手くサボりつつ大学に行っていたが、半年の留学から帰ってきて以来よほどイタリアが楽しかったのか大学で見かける日は少ない。たまに中庭のベンチで昼寝していたり、女の子をナンパしているのを見かけるくらいだ。好きにしてくれと思いつつも私は奔放すぎるベルが少し心配だったりする。最初に言っておくと私はベルの彼女ではない。ベルに恋をしているわけでもない。ではなぜ一限がはじまる前にベルの家から通っているのかと言うと、彼の家で厄介になっているからである。奇妙な同居生活が気づけばもう三ヶ月ほど続いている。きっかけを一から十まで説明しようと思うと、季節をもっと遡ることになる。

 大学生の春休みは長い。
 私がこのアパートに引っ越してきて二年目の春、上の階に空きがあったのか新しい住人が引っ越してきた。おそらく相手も大学生で、たまに家を出る時間が被ることがあった。ちらっと視界にうつった金髪に怖気付いてしまってはっきりと顔を見た事はない。この辺りは学生街だから駅も近くてスーパーにも困らない。一人暮らしの学生にはもってこいの土地だった。大きな施設は無いけれどアクセスもいいし、治安も心配いらない、だから私は一人暮らし先でこんなことになるとは露ほども思っていなかった。上の階のひと、ちょっと騒がしいなと思い始めたのはそれから二週間ほどで、私もバイトがあって毎日家にいる訳では無いので最初はそんなに気にしていなかった。それに、騒音というほどでもない。たまに気になる程度だったのでしばらくは放っておいたが、一ヶ月経つ頃には明らかに足音や話し声が響いてきて、これはおかしいぞと不審に思った。お隣からはそんな騒音今までなかった。話している内容こそ聞こえないものの、どうやら言い合いになっているらしいことは伝わってくる。彼女と同棲でもしていて、喧嘩になっているのだろうか、と心配しているうちに、ミシ……という嫌な音がして、床が抜けた。アニメみたいに大きな音がして、土煙があがって、床が抜けた。ついでに、上の階の住人が落ちてきた。そんな光景を見ることができるなんてむしろツイてるよと事件後に友人は言ったけれど、私は全く笑えなかった。二階から落ちてきた金髪の男の子が存外かっこよかったこととか、その男の子にそっくりの双子が上から覗いていたこととか、もう全部どうでもよくて、真っ先に頭に浮かんだのはどうやって暮らしていくかだった。子供みたいに大声で駄々をこねるくらい困っていた。男の子は悪態をつきながら瓦礫のなかから起き上がって、二階の男の子はお腹を抱えて巨大な穴があいた私の部屋を見つめている。現実離れしたことが起きても、この部屋の凄惨さに頭の中は冷静だった。私にはこの部屋だけが全てなのに、と打ちひしがれて突き抜けて高くなった天井を見上げる。

「なんなんですか、もう、一体この部屋どうしてくれるんですか。このままじゃ野宿です」
「野宿だってさ。友達のとこ泊めてもらえば?」
「そんな無責任な」
「おいジル。元はと言えばテメーのせいだろ、コイツに全部請求して」
「あぁ!? ふざっけんなよベル、お前がしょーもない真似するからだろ、ネカフェ代くらい出してやれよ」
「知らねーやつにそこまでする義理ねーだろ」
「おめでたいやつだな。床ぶち抜いたの誰か忘れたのかよ」

 責任の押し付け合いのような応酬が続いて、しびれを切らした私が大声で叫ぶと男の子たちはぴたりと黙った。こんなことになってどっちが悪いとかじゃないだろう。管理人さんに電話して、ふたりはこってり絞られて、私はなんとか管理人さんに代わりのアパートを探してもらったけれどきょうは流石に見つからなくて友達の家に泊めてもらうことになった。工事が手配されて、すぐに代わりの場所に住めるようにするからという言葉を信じてその日は友達の家のベッドで一緒に眠った。
 双子がどうしているのかは知らないけれど大して困った様子も反省した様子もなかったので信じられなかった。次の日の昼頃に非通知の電話番号から電話があって、管理人さんかと思いきやあの双子の片割れだった。どうやって電話番号を知ったのかは分からないが管理人さんからの伝言らしい。彼の言葉で、私の一縷の望みは粉々に砕かれることとなる。

「あのさー、代わりのアパートだけど見つかんなかったって」
「ああ……」
「で、俺らは別に困んないって言ったら前まで住んでたとこに工事が終わるまであんたも一緒にって。それくらいしろって管理人が」
「ええ」

 賃貸の部屋を破壊するような人たちとは一緒に住めませんというのが正直な気持ちだったが、何日も友達の家に居座るのも申し訳ない。かといってネットカフェに何泊もできるほどお金に余裕もない。藁にもすがる思いで私は泣く泣く頷いた。
 とにかく、こうして私と双子の奇妙な同居生活ははじまったわけである。
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