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最果てに2人


 乾いた枯葉が擦れ合うような、力無い咳が尾形の口から吐き出る。
 厳しい訓練と古参兵からのしごきで鍛えられた体は疲労しきっていて、雪に覆われた大地を踏みしめるたびに悲鳴を上げていた。
 尾形の後ろから、苦しげな喘ぎ声が聞こえる。

「…尾形」
「なんだ」

 掠れた声に喉が刺激され、尾形はまたしても咳き込んだ。
 もう、もううんざりだ。
 この場所も、咳も、痛みも。

 何も考えず、暖かい場所で眠りたい。

 あの場所に…、吹雪の先に見える灯へたどり着けば、それもきっと叶うはずだ。

「…………」

 尾形の後ろにいる女の顔は、明らかに疲労しきっていた。
 目も虚ろで、彼女の腕を掴んでもぐんにゃりしていて手応えがない。

「月島軍曹や杉元たちが追ってくる。あの場所に潜めば見つからない」
「………? 軍曹?杉元? 誰の話?」
「誰だだと…?」

 尾形は顔を潜め、訝しげな表情でこちらを伺う彼女の顔を睨みつけた。

「……誰だった?」

 途端、記憶が曖昧になり、無意識の中へ霧散する。
 尾形は目を抑えて、雪の上に座り込んだ。

「……尾形?」
「少しだけ座る。お前も座れ…」

 体がぐったりと疲労しきっているのに、眠気は全く感じない。
 記憶が曖昧で、自分がなにをしているのかという点が曖昧だ。
 ただ、早くあの場所へ行かないとという使命感だけが、強く脳に訴えかけてきている。

 そう思って、もうどれくらい歩いている?
 ずっとこうしていないだろうか。

 尾形は首を振った。
 違う、これは疲労感特有の時間感覚の希薄に過ぎない。せいぜい十分程度の話だ。

「……何か話せ」
「え?」
「何か話せ」
「………」

 彼女は言葉に詰まってしまった。何一つ思い出せない。
 どうして雪の中を歩いているのか、尾形は何者だったかさえも…。
 自分は高校生だった気がする、男のフリをして帝国陸軍に紛れていた気がする、大切な家族に裏切られた気がする…。

 でも、どの人物像も自分なのに一致しなかった。
 これはありえない事だ。
 鏡を覗くと、全く違う自分が写っている。そんな矛盾を孕んだ違和感…。

「俺には娘がいる」

 尾形の方が耐えかねたのか、口を開いた。
 珍しい事だ。この状況に相当参っているのだろう。

「…娘?初耳だね」
「………? いや、違う。娘なんていない。……塾講師だった?」
「…何言ってるの?噛み合ってないよ?」

 2人は黙り込んでしまった。気まずくなるほどの余裕も互いにない。
 このまま、ここで昏睡してしまえばどれだけいいだろう。
 でも悲しい事に、倦怠感はあっても目はさえ切っているのだった。

「私たちって、どこを目指してるんだっけ? あの光は何?」
「……………」
「私たちってどういう関係だっけ…」

 最後の言葉は自問に等しかった。
 2人の間に気の悪い、不気味と言ってもいい空気が流れる。

「無駄口を叩くな。歩くぞ」

 尾形は立ち上がった。
 頭の中に浮かんだ、おぞましい可能性を振りほどきたかったのだ。

「とっくの昔に私たちって死んじゃったんじゃないの? あるはずのない場所を目指して永遠に歩く…。そういう地獄なんだよ」
「……………」



 そんな事はない。
 そんな事はないんだ…。

 あの場所にたどり着けば、全てが終わるんだ。

 尾形は半ば、自分に言い聞かせるように女の手を握りしめ、吹雪の先に見える光へと、また一歩進むのだった。


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