今夜も幕開けです。
「よしこ居るかー?」
今日も1日が無事に終わって、仕事から解放された心地よい疲労感に包まれながらベッドでゴロゴロしていると玄関のチャイムが気だるい音を鳴らした。突然私の至福の時間に終止符を打ち込んできたこの非常識な男の名は鉢屋三郎である。こいつは隣の部屋に住む男で、5年前に私がこのアパートに引っ越してきてきた時からなんだかんだで仲良くなったというかなんというか、不思議な関係だ。別に異性としての関係があるわけでもなく、知り合って5年も経っているのにお互いの連絡先も知らないし、友達と呼べるほどの親しい間柄でもない。本当にただ部屋が隣というだけだ。
「突然なにー?」
「お前、鍵くらい閉めとけば?不用心だぞ」
「アンタがそれ言う?いきなり入ってくるのが非常識なのよ」
「まあまあ、俺とよしこの仲じゃん?」
なーにが俺との仲だ。只のお隣さんでしょ、と不平を漏らす。いいじゃんいいじゃん、とか言いながら手慣れた動作で人の家の冷蔵庫を物色しだす三郎。全くホントに図々しい奴だ。5年前の私なら思いもしないかもしれないが、こいつがこうして訪ねてくことが今や当たり前の日常になりつつある。ひょんな事から、近所のおばちゃんがお隣さんに上がり込んで来るといった感覚で、こうしてただダラダラと喋るために私の部屋を訪ねてくるようになったのだ。
「お、酒はっけーん」
「ちょっと、私もう寝るんだけど」
「あ、なんなら一緒に寝る?」
「寝言は寝て言えこのタコ助」
「ちぇ、相変わらず釣れねーの」
三郎は口を尖らせながら人のベッドに腰を下ろして、今日買ってきたばかりの発泡酒の蓋に手をかける。プシュッと空気の抜ける音と泡の弾ける音が耳をくすぐった。お前も飲めば?と進められたけど、寝酒はしない質なので断った。というかそれ、私のなんだけど。発泡酒よりビールが良かったなー。なんて人様の買ってきた酒に文句を垂らしているこのクソ野郎にひと蹴りお見舞いしたところで、私はマグカップに淹れたはちみつ生姜湯に口をつけた。
「で?」
「んー?」
「今日は何?」
「んー」
こいつが勝手に人の家に上がり込んでくる理由は大抵決まっている。そろそろ来る頃だと思っていたのだ。この奇妙な「お隣さん」を5年もやっていればさすがにもう慣れてしまったけれど。しかしながらいい加減、私の睡眠時間だけは削らないでいただきたいところだ。
「私もう寝たいんですけど」
「んー」
「明日も朝早いんですけど」
「んー」
「鉢屋三郎のどちくしょー」
「…んー」
人の寝床を陣取って生返事を繰り返す三郎に仕方ないなあ、と内心ため息をついた。さあさあ、今日もまた困ったお隣さんに付き合わされる夜の幕開け。