「ねえ、あやちゃん」
「なんです?」
「いい加減に、それ、返してくれないかな?」
「それってどれですか?」
下校のチャイムを聞いてからどのくらいの時間が経ったのだろうか。この問答も何回目になるかわからない。日も沈みかけているし、とりあえず観たかったドラマの再放送が既に終わってしまっていることは確実だ。今日は録画を忘れてしまったからダッシュで帰ろうと思っていたのに、まさか下駄箱にこんな邪魔キャラが潜んでいるなんて誰も思わないじゃないか。
「だから、君が持ってる私のローファーに決ってんでしょー」
「嫌です僕が困りますから」
「いや、私も靴がないとまじ困りますから」
「もし僕がこの靴を返したら先輩は何処に行っちゃうんですか?」
あやちゃんは私の靴を大事そうに抱えながらお得意の電波発言を口にする。常に無表情の彼から表情を汲み取ることは難しいけれど、その瞳はどこか縋るような目をしていると思った。
「何処って、家に帰るんだけど…」
「じゃあ帰らないでください」
「はあ?」
「大丈夫、僕も帰りませんから」
「うん、意味が解らないよ」
なにがどう大丈夫なのかさっぱり解らないが、マイシューズを手放してくれる気はこれっぽっちも無いらしい。あやちゃんの変に頑固なところは出逢ったころから全然変わっていないんだから。
「先輩はずっと此処に居てください。もう留年するまでずっと居てください」
「いやいやいやいや、中学生で留年はいかんでしょ」
「いいじゃない、来年僕と同じクラスになるかもしれませんよ?」
ああ、そうか、もしかして。やっと彼の言いたいことが解ってきた。この子は本当に分かりにくいんだか分かりやすいんだか、可愛らしいったらない。
「あのね、あやちゃん。卒業式はまだ先だよ?」
「だって、先輩が居なくなったら僕はどうすればいいと言うの」
「そんな大袈裟な。今生の別れじゃないんだから」
「先輩が居なくなったら滝と三木の面倒を僕が見なきゃいけないじゃないですか」
「いや、それはむしろ逆なんじゃないかな」
あやちゃんは決して寂しいとは口にしない。多分それを口したら「お別れ」を目の当たりしなければならないから。でもその「お別れ」は最後じゃない。あやちゃんだってきっと分かっているはず。少し表情を曇らせて頬を膨らませながら、私のブレザーの裾をきゅうっと握って離さないあやちゃんを優しく諭すように彼の頭に手を置いた。
「先輩は三木や滝の方が可愛いっていうの」
「そうじゃないよ、みんな可愛いの。あのね、卒業したら確かに逢える回数は減ってしまうけどお休みの日には逢えるし、普段だってメールや電話はできるでしょう?だから大丈夫だよ」
「じゃあ、朝から晩まで電話かけまくってあげます」
「あはは、受けて立とうじゃないの」
どうやら少し機嫌を直してくれたようで無事マイシューズが帰ってきた。この際観たかったTVドラマのことは水に流そう。日が沈んで間もない薄紫の帰り路を2人手を繋いで帰る。さあ、この学校で過ごす残り少ない数ヶ月、可愛い可愛いわがままな後輩たちをいっぱいいっぱいかまってあげようじゃないか。
君等とならばいつまでも