私はひっそりと生きていたので、彼のファンや彼自身にも関わりなく過ごしてきた。―――過ごしてきた、はずだ。なぜ、どこから、なんでよりによって、仁王くん。私は混乱して、絆創膏を張ろうとしていた手を止めて見上げて凝視してしまう。

 状況の整理をすると、まず、私は保健委員である。今日の職員会議中の当番が私だったので、放課後保健室にいたのだ。そこに怪我をした仁王くんがきて、治療をしている途中でさきほどの会話に戻るわけだ。
 硬直する私の手から絆創膏を攫い、仁王くんは自分でそれを傷に貼った。そこでは、と気付き、「あ、ごめん」と謝ると、しゃがみこんでいる私に、椅子に座っている仁王くんは、ぐ、っと顔の距離を詰めてきた。にや、と笑う彼が、同級生たちが「大人っぽい」と称することが分かった。何かを含んだような妖艶な笑みは綺麗で、思わず体が硬直してしまう。



「あたり?」
「え、あ、…ど、どうして」
「どうしても何も、ブンちゃんが教えてくれたナリ」
「え?」
「ようお前さんのこと気にかけっとったけぇ、何かあるんかと聞いたら」
「そ、そう…。あの、どうでもいいから、その、ちかい」
「ほーう、お前さん可愛いのう。ブンちゃんが気にかけるのもよう分かる」
「え?」
「もうちょいブンちゃんと仲良くな」



 先ほどよりも子どもらしい、無邪気な笑いが向けられる。どういう意味、と聞こうと口を開いた途端、騒々しい足音が廊下から聞こえて、私がそちらに目をやると仁王くんは「ちょっと協力してくれん?」と言って、私の返答を聞かずに肩に手を置いて、少しだけ顔を傾けて、あ、あ、あ、近い、け、ど、でも、ただそれだけだ。何がしたいのだろう、と思った瞬間、バン!と勢いよく扉が開いて、「来たぜよ」と仁王くんが笑った瞬間、彼は立ち上がって「よう」と扉を開けて動かない人物に手を上げていた。私が体を少し右にずらすと、そこにいたのはブン太くんだった。唇を噛み締めて、目を見開いて、ユニフォームを着た彼は立ち尽くしていた。その表情はあからさまに怒っていて、私はそっとカーディガンの裾を握り締める。「ブン太くん、?」そっと名前を呼んでみると、ブン太くんは、はっと気付いたように肩を小さく揺らし、途端に仁王くんをにらみつけた。するとにやにやと笑いながら仁王くんは「じゃあの。絆創膏ありがとさん」と言ってきちんと扉を閉めて出て行ってしまった。




 静寂が訪れた保健室は、ブン太くんがいることもあって、妙な緊張感を漂わせていた。もう一度彼の名前を呼ぶと、ブン太くんは上履きを少し引きずりながら、私の前まで来て、しゃがみこんだ。同じ目線になるけれど、彼は俯いて「あー…」と頭を掻いていた。



「あ、あの、」
「…仁王に何もされてねーよな?」
「あ、うん、普通に話してただけだよ」
「ならいいんだけどよ、あー、やられた…」
「……あの」
「…ん?」
「ひ、久しぶり…?」
「………ふざけんなコノヤロー」



 ぐいーっと片方の頬をつねられる。痛い。頬に触れる彼の指先は、昔のような柔らかさはなく、男らしいごつごつした肌の上にまめが出来ていて、男の人を匂わせていた。途端に恥ずかしさが駆け巡り、顔が真っ赤になる。痛いよ、と反論しつつ、もう怒ってないようで心の内でそっと安堵の溜め息を吐いた。でも、まだ少し怒っている。「お前さー、」と少し唇を尖らせ、私の頬から指先を離し、大きな瞳で見上げられる。


「お前、なんで俺のこと避けてんだ」
「だ、だって、それは、」
「お前の側は俺のもんだし、俺の側はお前のだろぃ」
「う、うん」
「だからさ、あんま遠くに行かれると困んの」
「うん…?」
「まあ、お前鈍くさいしさ、」
「ひ、ひど…」
「いつでも守れるように、俺の隣にいれば?」



 横暴で、それでも素直じゃない彼らしい言葉だった。な?と私の顔を覗き込み、彼は昔と変わらないくしゃくしゃとあたたかな笑みを向けた。それだけで私が張っていた境界線をいとも簡単に壊してしまった。手を差し伸べられて、私はそれに重ねるように手を差し出すと、ブン太くんはしっかりと握り返してくれた。


「男の子は女の子を守るんだって、お父さんに言われたから?」と茶化すように笑うと、ブン太くんは「お前だから」と私の手を自身に引いた。優しく細められた瞳と、私の視線が交差する。彼はこんなにも成長して、けれどあの頃のままだ。あの頃の関係を取り戻すには成長しすぎていて、それ以上の関係を築くには臆病だった私の、――― 私たちの境界線が、彼の一言で壊されて、世界までもが交差する。ずっとこうしたかった。望んでいた。触れた唇は、熱を孕ませた。




「好きだ」





そうやって笑った彼は、本当に、私だけのヒーローとしてここにいた。


私の英雄

100212 執筆(星空)
101220 加筆修正(洗顔)


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