※ヒロインは侑士の姉設定。年齢以外は公式を無視してます。













「急な転勤になってな、4月から東京行くことになったんや」






小さく、だけどしっかりと放たれたお父さんの言葉は、リビングに静寂をもたらせた。


ソファーに腰掛け、テレビを見ていた私と侑ちゃんは目を見開いて固まってしまった。「都会やで〜」とはしゃぐお父さんに「東京やー」とうきうきするお母さんとは打って変わって、私たちは呆然としてしまった。




「ま、待って、私学校どうすれば…」

「あら、あんたはそのまま通わなアカンよ」

「え、ほなら俺は?」

「あんたはちゃう、東京やで。ちょうど中学入学といいタイミングやないの」




何より都会やで!と盛り上がる両親を前に、自分は大阪に残れる安堵を感じつつ、侑ちゃんも東京に行ってしまうことにショックを受けた。侑ちゃんは自分も残るって説得するはずだと思っていた。しかし、そんな私を無視して侑ちゃんは、「まあ、ええか」と眼鏡を掛け直して、再度テレビに集中する始末。さっきまで重要な話をしていたはずなのに、なんだこのさっぱりした感じ。





「私ここに一人で暮らすん?」

「まあそうやね。マンションやし、謙也くんちも近いから安心やろ?」

「えええ…」





いくらそうでも一人は寂しすぎる、と横に座る侑ちゃんをじとっと睨みつけると、馬鹿にしたような顔でにやりと笑って、鼻で笑ったのだ。(なんだこいつ!)




「まあせいぜい一人の大阪気張りやー」

俺は都会人になるんや、とにやにやするアホな弟の太腿を、とりあえず抓った。
くそう。












そんなこんなで私の大阪での一人暮らしが始まってから、早3年。大学1年生になり、この年になってようやく一人暮らしが板に付いて来た。


本当は、東京の大学を受けようかと迷ったけど、やっぱり、関西がよかったのだ。


――大阪を離れたくはなかった。住み慣れた土地を離れ、新しい場所で過ごすには、ここは居心地が良過ぎたのもあるし、私が子どもなのもある。まあ、とにかく私は元気でやっているし、侑ちゃんもなんだかんだで元気にやっているらしい。



そして最近の私の悩みは、侑ちゃんではなく、イトコの謙也くん。


私が少し遠目の大学へ行こうと家を出ると、朝練に行こうとする謙也くんに遭遇する。謙也くんを嫌いなわけでは全然、まったく、ない!!断じて!むしろ、まあ、好きなんですけどね。あの、家族じゃない意味で。うん。一緒にいれるのは嬉しいんだけど、何分最近の中学生は大人びていて、緊張してしまうのだ。それとも、謙也くんだから?




「あ、姉ちゃん!」

「え?」






今日は日曜日なので、とりあえず散歩をしようと外に出ると、後ろから声が掛かる。私を「姉ちゃん」と呼ぶのは東京にいる弟と、あと、イトコの謙也くんしかない。


どきどきと高鳴る心臓を落ち着かせながら、おはよう!とにっこり笑いながら駆け寄ってくる謙也くんに微笑み返す。可愛い笑顔は昔と変わらず、私に向いていて、変わっていくだけじゃないんだなあと嬉しくなった。


「おはよう」と笑うと、謙也くんは、はにかむように「おん」と返事をした。


部活かな、と彼の格好を見ると、Tシャツにジャケットを羽織り、色の深いジーンズにスニーカーという、ラフな格好をしていたので、一瞬デート?と思ったけれど、謙也くんは「あんなーCD取りに行こ思ってたん」と勝手に話し出したから、内心少しホッとした。





彼女とか、いるのかな。






だけど、いたら嬉しすぎて私か侑ちゃんに言うはずだ。謙也くんの性格上。


……でも、いてもおかしくない。親戚の贔屓目抜きでも、謙也くんはとても魅力的だ。

きっと学校でも人気者なんだろうなあ、と顔を俯けると、散歩だからと春物のワンピースに適当に羽織ったジャケット、ピンクのパンプスが色褪せているような気がして恥ずかしくなってきた。もうちょっと、せめて大学に行くようなジャケットを着たかった。そしてできることなら化粧も。地元だからと気が緩んでしまった私の浅はかさが…!





「姉ちゃん」

「う、うん?!」

「なあ、これから暇?」




なんか誘われているように聞こえて勢いよく顔を上げる。


謙也くんは両手をジャケットに突っ込みながら、視線を泳がせていた。
その頬はほんおりと赤みがさしている気がする。……み、見間違い?




「えっ、あ、え?」

「あー……デート、とか?」

「そんなんあるわけないで!ひ、暇です!」

「ほなら、俺とデートせえへん?」

「で、デート?!」

「お、おん。あかん、かな。や、やっぱ俺、中学生やしなあ…」

「いや、その、あの、…ええ、よ?」

「ほんま?!」






おおきに、と笑っている謙也くんの笑顔は、本当に侑ちゃんや私と血が繋がっているのかと疑うほど爽やかで、周りを一瞬で幸せにさせてしまう。すごいなあ。



歩き出した謙也くんの隣に並ぶと、侑ちゃんと変わらない身長のはずなのに、すごく大きく見えた。大学にもたくさん男のひとがいるけれど、やっぱり謙也くんのほうがかっこいいな。……恋の贔屓目、か。










不意にぴたり、と急に止まった謙也くんに、私もつられて止まる。幸いまだ私の家の近くなので、朝に近いこの時間帯に、住宅街の人通りはほとんどないので通行人の邪魔にはならない。


どうかしたん、と顔を覗き込もうとすると、両手を、それぞれ彼の手にとられる。大きくて、少しがさついているけど、しっかりとした男の人の手が、私の小さくて情けない手を取っているのだ。


小さい頃はよく手を繋いだものだけれど、いつのまに、こんなに成長してしまったのだろう。


ふらふらと不安げに揺れる瞳とは対照的に、金色の髪は春風に煽られ、きらきらと光沢しながらしっかりと存在を主張していた。切なげに私を見つめるその瞳から逸らすことはできなくて、私はもう一度「謙也くん」と呼ぶ。






「……姉ちゃん」

「ん?なんや、困ったことでもあるん?」

「ちゃう、ちゃうねん」

「ほなら、そない泣きそうな顔せんで。私も泣きそうになるわ」



「…姉ちゃんかて、泣きそうや」






そっと、彼の右手が私の頬に触れる。

いつのまに、そんな私の知らない謙也くんになってしまったんだろう。謙也くんとどんどん遠くなって、四年という埋められない年月を、彼以外のことで歯がゆく思ったことはない。


――切なげに揺れる瞳が、私だけを映している。頬に集まる熱を誤魔化せずに、私はそっと繋がっている彼の左手を遠慮がちに握り返した。




「謙也くんが、遠いからやろ?……私は、追いつけん」

「ちゃうよ、逆やで。俺はいつだって、姉ちゃんに追いつけんのや…」

「謙也くん、?」




彼の指先が、私の唇を優しくなぞる。なんとなく、彼の心を感じ取ることができる気がする。


柔らかく、それでもやっぱり切なげに細められる瞳には慈しみが含められていて、私の瞼がじわじわと熱くなる。「知っとる?」







「イトコは、結婚できるんやで」



重なる唇から、熱が伝わる。このキスが終わったら、彼に言おう。私が駄々をこねれば行けたはずの東京に行かなかった理由と、私の胸に秘められているこの思いを。