気がつけば、宍戸の、あの頃の思いは緩やかに思い出となっていた。ただしそれはセピア色のようなものではなく、美しい思い出として、だ。いわば、あれは初恋だったのだと、宍戸は今さら思う。記憶の中の彼女は、笑ったかと思えば泣く、泣いたかと思えば笑い出す、忙しいひとだった。


 あれから何年経ったのだろうか。おおよそ、……10年くらいであろうか。数年前、関西の地から宍戸(正しくは元レギュラー全員)の元に、彼女の結婚報告を兼ねた写真付きの引越しを知らせる手紙が届いたのだが、知らない男の隣で、あの頃の笑顔よりもっと幸せそうに笑う彼女を見て、確かに自分の心の中の彼女は思い出であることになんだかおかしくなって笑みを零してしまったのと同時に、宍戸は素直に彼女の幸せを願えた。いつかの日に夢見た、彼女を守るべき誰かが自分ではないことを、素直に受け入れられたのだ。

 きっとあの頃ずっと抱いていた熱情は、唇を交わし、彼女に背を向け帰路についたとき、あの古いストリートテニスのコートにきちんと置いてきていた。もう宍戸は歩き出していたのだ。










季節は変わる。時を経て、あの初恋は優しく宍戸の胸の内で笑っていた。










 白いタキシードに、ぴっしりと整えられた髪の毛。なんだかむず痒くて、宍戸はむすっと鏡の向こうの自分を睨みつける。

 …どうしてこんなにも似合わないのだろうか。髪をいじろうとした瞬間、右手を「だめです!」と大きく怒鳴られとられた。むすっとした宍戸とは打って変わって、女の子のようにはしゃいでいるのは、昔一緒にテニスをしていた後輩である鳳であった。その手にはデジカメが握られていて、「げえ、」と宍戸はもっと顔を顰める。



「せっかくかっこいいのに!崩さないでください!今撮りますから!」

「撮るなって!!こら、ちょーたろー!」
「せっかくの結婚式っちゅうんに、何騒いでるん………ぶふっ」

「うわっ亮きまってるー……ぶふっ」

「えーどうしたんだC………ぶふっ」

「お前ら本当失礼だな」



 いらっとしながら懐かしい面々を睨みつけると、颯爽と跡部が現れた。相変わらずだ、と凛とする立ち姿に思わず笑ってしまった。「ほら、これやるよ」そう言って渡されたのは跡部のきつい香水がついたハンカチだった。しかもローマ字の筆記体で「ATOBE」と綴られていたから、やんわりと断って自分のものを身に付ける。


「そろそろお時間です」


 そう言って準備にかなりお世話になった役員のひとが呼びに来てくれたので、宍戸は自然と背筋を整え、「はい」と返事をして部屋をでる。 そんな姿に周りは頼もしさを感じ、あとでな、とそれぞれに宍戸の背中に喝を入れ、本人は「ああ」と笑って背中を向けた。 宍戸はしっかりと前を見据える。この先にあるのは、未来と、共に生きていくと決めた大切なひとだ。カナではない、俺の大切なひと。―――少しだけ、彼女の話をしようと思う。









 彼女と出会ったのは大学のテニス部でだった。

 マネージャーとして同期で入った彼女とは、最初はあまり接点はなかったけれど、 なんとなく一緒にいるうちにだんだんと惹かれ、恋に落ちていた。彼女は明るく活発なひとではあり、存在は大きく、人に安心感を与えるひとだ。そういうところは、少しカナと似ているかもしれない、と宍戸は思う。だけど、白く綺麗に並んだ歯をにかっと見せ、目尻をくしゃっと させて笑う無邪気なところは、カナが宍戸にときおり与えた熱情のような不安定なものとは違う、別の大切な何かを刺激させる、温かな気持ちを覚えさせた。


 彼女を知っていくうちに、カナへの初恋はどんどんと思い出へと形を変えて行き、同時に宍戸の二度目の恋は少しずつ愛へと変わっていったのだ。


 ギィ、と開けられた扉の向こうには、親族や友達がたくさんいた。みんな宍戸を見て笑顔で拍手をしながら迎えてくれて、宍戸はなんだか涙腺が緩んでしまいそうだった。だけどそれはやっぱり“激ダサ”だから、と微笑む神父を見ながらゆっくり歩んで、階段を上がり、くるりと振り向いて彼女を待つ。

 すると、一番後ろの席に、いつか見た男と、カナと―――どちらの面影も兼ね備える――小さな男の子がこちらを見て微笑んでいた。

カナはにっこりと笑って、「大丈夫!」と口パクで言った。その口元から除く八重歯と、頬にある笑窪にふっと笑みが零れて、宍戸は温かな気持ちを感じる。幸せそうに二人の真ん中に座るカナを見て、思わず宍戸も幸せになる。自分も、あんな風に、……いや、彼らより幸せになろうと思った。

 ギィ、と扉が開いて、純白のドレスに身を包んだ彼女が現れる。緊張した面持ちで、ゆっくりと宍戸のもとにやってくる。ほんのりと頬を赤く染め、瞳を薄い涙で覆いながら笑って宍戸に答える姿に、宍戸はどうしようもない愛おしさを感じて、柔らかく微笑んだ。

 優しい愛情と幸せと祝福の拍手に囲まれて、宍戸は親指で自身から溢れる喜びの涙を拭った。

「大丈夫だよ」

 そう笑って、目の前の彼女が宍戸の手を握った。宍戸はいつかにカナに言われていた言葉を彼女に言われ、これまでの過去の 愛おしさに感極まった。昔の俺が居て、今の俺があって、……そうして未来は出来上がっていく。全ては繋がっていて、今の 自分を支えてくれているのだ。ひとつも無駄じゃない。全部があって、今の目の前にいる彼女と歩んでいける。


 初恋はもう時を刻まないけれど、今抱く愛は形を変えても、緩やかに美しく、輝き続けていくと信じている。 自分を信じてくれるひとを、宍戸は彼女を、彼女は宍戸を心から愛しているのだ。

 そうしてふたりは、永遠を誓い、ゆっくりとキスを交わした。温かな熱情が、二人の愛の始まりを祝福した。


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テーマ「人外ファンタジー」
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