窓開けて、と言われたから、素直に窓を開けた。体を起こして外を嬉しそうに見つめる彼女につられ、俺もベッドの上の、彼女の脚あたりに近いところに浅く座りながら外を見た。
「今日はいい天気だねえ」 「おん、そうじゃな」 「海行きたいな」 「行く?」 「うん、連れていって」
ああ、と返事をしたとき、部屋に三回のノックが響いた。葵が返事をすると、扉が開き、そこにいた人物は小さな花束を抱えて姿を見せた。いらっしゃい、ありがとうと笑う葵と、よう、と声を掛けた俺との両方に「おじゃまします」と笑って返事をしたのは、幸村だった。この病院の元患者で、あまりここには寄り付きたくないだろうに、よく来てくれる。手土産の花も今や葵のお楽しみだ。今日も色鮮やかな花を見て、彼女は嬉しそうに笑うから、俺と幸村は顔を見合わせて笑う。
幸村は、小さな頃から入退院を繰り返す葵に、会いに来てくれる数少ない人のうちの一人だ。あと、俺も昔世話になったから、なんだか幸村には頭が上がらない。本当にいいやつだ。
「ね、幸村くん。よかったら、その椅子使って?」 「ああ、ごめんね、ありがとう」 「なん、幸村来よったらしおらしくなってー」 「詐欺師に言われたくないですう」 「ほぉう?」 「ははは、それくらいにしなよ」 「じゃあ私、ちょっと花生けてくるから」
葵はゆっくりとベッドから降りて、これまたゆっくりとした足取りで出ていった。前に注意したことを素直に従っている姿に、自然と笑みが零れた。ねえ仁王、と呼び掛けられた。そういえばさ、と俺を真っ直ぐ見据える瞳は、落ち着いているようで、鋭すぎる。それに耐えられずに、幸村のテニスバッグに目をやったが、それもなんだか後ろめたさを覚えて、幸村に戻した。
「もうテニス部には来ないのかい」 「その話は―――もう終わったろ」 「終わらせない。俺達のやるべき義務なんだよ。」 「終わっとるよ、あの日に、決勝の日に俺の義務は終わっとる」 「…」 「そういう約束じゃろ」
冷めた表情でじっと見つめてくる。全部見透かされている気がした。気がした…のではなく、見透かされているのだ。落ち着かなくてつい首の後ろをかき、溜息を落とす。
途端に、廊下から「ぎゃあっ」という声とバシャン、という音がした。ああ、またか。立ち上がり、雑巾を取る俺を幸村が見ている。「仁王」と制する声が聞こえる。でも振り向きはしなかった。
「すまんが今日はもう帰ってくれんか。今度、話そう」 「…ああ」
返事を聞いて、俺はすぐに部屋を出た。扉に背を預けて、俯く。何度も何度も心の中で、許しを請うように幸村の名前を呼んだ。忘れてなんかない、だけど、なあ、幸村…。
「…あ!雅治!助けてよ!」
頼むよ、待ってくれ。今は彼女の側にいたいんだ。
俺は立ち尽くす幸村のことを知らずに、笑いながら葵に駆け寄った。
「…変わったな」
その視線に、怒気と失望が含まれているとは、知らずに。
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