■ 神様に恋をした

 ゆらり、影が揺れる。

 早朝のプラットホームの人影はまばらだ。昇りきっていない太陽の光は乱立するマンションやビルに遮られ、普通電車しかとまらないこぢんまりとした駅にその影は余りにも不釣り合いで、忍足には何故かそれがとても綺麗に見えた。
 快速電車の通過を知らせる軽快な音楽がホーム中に響き渡る。黄色い線の内側の世界にいる人々とは裏腹、ホームの縁ぎりぎりに立つ…―少年。
 向こうの方から耳をつんざくような警笛が鳴り響く。ああ、多分あの少年はここから黄色い線の向こう側へ飛び込もうとしているのだ。
「――……ッ!」
 そこからの記憶は曖昧だ。そう、体が勝手に動いていたのだ。

 ふわりと浮いた体が重力にまかせて落ちていこうとする。もとより力比べには自信があったが、流石に自分もそのまま落ちてしまったらどうするつもりだったのだろうか、と今さらながらに忍足は思った。
「………おまえ、自分何しようとしとったんかわかっとるんか……?」
 息も絶え絶え、忍足は少年の顔を軽くはたいた。少年に表情はなく、虚ろな視線を宙にさまよわせるばかりだ。
 少年をよくよく見ればどこかで見た覚えのある顔だった。確か神奈川の立海、幸村という名前だったか。曖昧な記憶であるが、多分間違いない。
「お前には関係ないだろう、離してくれないか」
 棘のある言葉を吐き出す唇は、微かに震えている。それはそうだろう、この場に忍足がいなければ彼は確実に死んでいたのだから。
「見栄張らんでええて、ほら……震えとるやんか」
「……震えてなんか、ない」
「…ま、そういうことにしといたるわ」
 幸村の服装に何か違和感を感じると思えば、幸村はパジャマ姿のままだった。薄い水色のパジャマの上下に軽い薄手のパーカーを羽織っている。そこで忍足はようやく合点がいった。
「おまえ……病院抜け出してきたんやな?」
 特に咎めるわけではないが、やはり病院に送り返した方がいいのだろうか。幸村の方に視線をやれば冷たいアスファルトを見つめながら、彼は下唇を噛みしめていた。
「病院は嫌だ」
「なんで?親御さん心配しとるやろ」
「もうあんな場所いたくない」
「……ここおったら目立ってまうから、とりあえず俺ん家きたらええわ」
 跡部には申し訳ないが、このまま幸村を放っておいてまた飛び降りてもらっても困る。
 忍足は手短に跡部に休日練習を欠席する旨を送るとその場にうずくまる幸村の手をとった。
「ほら、行くで」
「……ねぇ、」
「なんや?」
「みんなにはこのこと、内緒にしておいてね」
 幸村の言うみんな、とはきっとチームメイトのことをさしているのだろう。忍足が浅く頷くと幸村はありがとう、と言ってその場からゆっくりと立ち上がった。




「もう、テニスができないかもしれないんだ」

 幸村の病気については人づてに話には聞いていた。ほんの少しずつではあるが幸村の筋力は次第に弱まってきているらしい。それを再認識するたびに、幸村は絶望の淵を歩いているような、そんな感覚にとらわれるのだという。
「だから死のうとしたんか?」
「……馬鹿みたいな理由に聞こえるかもしれないけど、俺にとってテニスは……立海大附属は、生きる理由なんだよ」

 それをなくす前に消えてしまいと思ったんだ、と幸村は声を搾り出すように唇を震わせた。
 忍足はそれ以上は何も言わず幸村の頭をゆるゆるとなぜる。
「今は泣いても喚いても、誰も見てへんし聞いてへん……一人がいいていうなら俺も席はずすで?」
 幸村は無言で首を左右に振ると忍足の胸元に顔をうずめ、声を押し殺して泣いた。仕切りに上下する今にも折れてしまいそうな肢体を労るように撫でながら、何も言わずに流れ行く時が彼の悲しみを溶かしだしてくれるよう忍足は切に願った。


**


 幸村は無事に病院へと戻り、事は何とか収束したらしい。勿論自殺未遂のことや幸村が忍足の家にあがりこんでいたということは幸村と忍足だけの秘密だ。

『来週末会わへん?』

 都合良く聞き出した連絡先には時々メールをしている。幸村はいつも無視もせずしっかりと返信をくれるのでその度に忍足はえもいわれぬ高揚感に苛まれる。幸村のことが心配だ、というのはただの建て前。



(俺、幸村のこと好きになってもうたかもしれん……)



 儚げに揺れる瞳を、小刻みに震える肩を、縋るようにのばされた腕を思い出す度に、胸の奥の方からせりあがってくる熱をともなった感情。


 忍足は神の子に恋をしてしまった。



end.
2013/2/22
御題:たとえば僕が



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