■ 散るが花というならば

 この世のすべてを焼き切れ。その想いを夕焼けに焦がせ。
 それが今おまえに出来る事の全てだと、コーちゃんは言った。

* * *

 他人の死なんてごくありふれた日常であったし、死体のひとつやふたつが道端に転がっているような治安の悪い所に住んでいたものだから伊作はヒトの死に関して酷く鈍感だった。
 親が死のうが友が死のうが、沸き上がってくるのは悲しみでもなんでもない。正直に言えばそんなことどうでもよかった。血が繋がっていようが、近しい間柄であろうが、所詮は他人。他人に気をかけていられるほど裕福な家庭ではなかったし、食べていくのにもお金がないほどに困窮していた。盗みを繰り返しては空腹を満たし、盗みに失敗した時はそこらに生えているものを適当に口にしていた。そのおかげで何度も食中毒で生死を彷徨ったがじきに植物の見分けもつくようになって、慣れた頃には自ら死にに行くような真似はしなくなった。

 そんな伊作に訪れた転機は本当に突然のことだった。
 道に生えている草を喰い漁っている最中ふいに肩を叩かれ振り向いた先、柔和な笑みを浮かべた青年がにこりと伊作に笑いかけていたのだ。一体何の用なのだろうか。道案内なら金か食べるものを恵んでもらおう。滅多に人の通らない獣道で伊作は胸を躍らせた。

「きみ、名前なんていうの」

 口に突っ込んでいた草を急いで飲み込みながら、伊作は早口に自分の名を告げる。

「いさく」

 青年は目が飛び出るのではないかというくらいに目を見開いて、伊作を凝視した。

「君のお母様に頼まれて、連れ戻すよういわれたんだ。僕に付いてきてくれないか」

 今度は伊作が驚く番だった。
 そして同時に口を噤んだ。 母親なんてとうの昔に野垂れ死んだものだとばかり。禄な食べ物も与えてもらえず、塵同然に捨てられた。挙げ句の果てに人買いに売り飛ばされて。賃金もなしに散々働かされて、それこそあの時死ななかったのが不思議なくらいだ。なんとか逃げ出して行く宛もなく彷徨い歩く日々を過ごし、ようやく雨風の凌げる場所まで辿り着いたのだ。それを今更帰って来いなんて、そんな馬鹿な話があるか。

「……僕は、ついていかないよ」
「何故?」
「僕を捨てた女の元に戻る必要なんてないね」
「……母さんが憎いのかい?」
「ああ憎いさ。……この手で殺してやりたいほどに、」

 伊作は少年とは思えないほどに低い声で唸るようにそう言った。今は追い剥ぎから拝借した武器も持っているし、青年が無理矢理連れて行くというのならば殺せばいいだけの話。
 しかし伊作の予想とは裏腹、青年はにっこりと微笑んで伊作の頭をくしゃりと撫でた。

「じゃあこうしよう。僕が母さんを殺すのを手伝ってあげるから、僕と一緒に来てくれないか」
「……あんた、あの女の子供か」
「ああそうだよ。腹違いだけど、あの女(ひと)の子に変わりはないよ」

 青年の意図はわからなかったが、伊作は彼に着いていってみようと思った。はっきりとした理由なんてないが、彼についていきさえすれば伊作の何かが変わる気がしたのだ。

「あんた、名前は」
「適当に呼んでくれてかまわない。あの人から与えられた名前なんて、使いたくないからね」
「でも、名前がないと不便だ」
「う―ん…じゃあ、コーちゃん。コーちゃんって呼んでくれ」



 コーちゃんは医学の知識については度肝を抜かれるほど、申し分ないぐらいに豊富だった。すべて独学、というよりも実体験で得た知識なのだという。なんでも、食い繋ぐ為に戦場で盗みついでに手当てしてまわっていたらしい。
 そして今は忍術学園という所で医術やその他の学問について学んでいる、と。
 ただの気まぐれであれども感謝をされるのはあながち悪い気分ではなかった、とコーちゃんは笑った。

 死にかけている人間を助けるなんて馬鹿な行為だ。最終的に自分さえ生き残ればいい。他の人間なんてどうなってもいい。伊作は“生きたい”という欲にはどこまでも貪欲で、手段を選ぶということをしない。必要があれば人だって殺す。人道に背こうが野垂れ死ぬ屈辱に較べればやすいものだ。

「さぁ、ついたよ」

 コーちゃんが指差した先、立派な家門が見えた。あの女のことだ、富豪の懐にでも潜り込んだのだろう。膨大な敷地を誇る其処は地方でも有名な大地主のもので、伊作の見たことのない大きな庭園や屋敷に目を奪われるばかりだった。

「これを被って、」

 大きな布を被せられて、伊作は屋敷内でも一際大きい一角に連れられていく。
 と、襖の向こうから耳障りな笑い声が聞こえてきた。あの女の声だ。

「奥様、伊作を連れて参りました」

 開け放たれた襖の先。煌びやかな服に身を包んだ奴が笑みを崩さぬままに伊作をじっくりと舐め回すように見つめていた。

「久しいのぉ伊作。さぁこっちへおいで」

 広げられた腕の間。隠し持っていた木片を心の臓に突き立ててやろうと懐に手をやる。
 自然と零れた笑み。

駆け出しだ先、まるで母に向かって抱擁を求めるように。
被された布がふわりと宙を舞い、
目の前を飛び散る血飛沫。
空間に響き渡る悲鳴と高笑い。
高まる高揚感に血が騒ぎ出す。
このまま心の臓を食べてしまおうか。
それとも体中切り刻もうか。

「大好きだよ母さん、……僕が修羅になれたのは貴女のお陰だ」

 既に息の根が止まった亡骸の首にもうひと突き、最後は血で彩って、それでおしまい。
 あまりに呆気ない終焉だ。

「コーちゃん!そこにいるんでしょう?僕も殺さなくちゃいけないんだから、はやくでておいでよ」
「……おや、最初から分かっていたのかい。伊作」
「どうせあの女の暗殺の命令でも出されて、くだらない情でも湧いて殺せなかったんでしょ?」

 すべて見透かしたような口振りにコーちゃんはにこりと笑みを深めたけれど、次の瞬間にはコーちゃんから笑みが消えていた。

「そこまでわかっていてどうしてわざと利用されたんだい?」
「修羅になりたかったんだよ。親殺しという業を背負いたかった」

 人一人殺せない意気地無しが僕みたいな餓鬼に汚い仕事を押し付けて。そんなこと知れてしまえばいい笑い者だから手柄を自分のものにするために、僕を消す必要があるんだろうけど。


「それにしても伊作、少々やりすぎたね………まぁ、当初の目的は果たせたから、」

――おまえはもう用済みだよ、伊作。


ほら、やっぱり。

 勢いよく振り下ろされた壺をかわせば、そのまま床にたたきつけられて壺が粉々に砕けた。

「これも最初から?」
「勿論。でもコーちゃんに殺されてなんてあげない。ごめんね」


 その後のことはよく覚えていない。
 ただ気が付いた時には屋敷に火がついていて、目の前には血塗れのコーちゃんが横たわっていた。

「コーちゃんも所詮は、ヒトだったんだね」
「……、………」
「コーちゃんが焼け死んだら、標本にしてあげる。……修羅の名残として、永遠に曝し者にしてあげるよ」


 響いた声は笑っていたのか、泣いていたのか。

 今となってはもう、思い出したくもない汚い思い出だ。



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