■ 誰もこの味を知らない


 人気のない生徒会室の隅、黙々と算盤を弾く文次郎の耳に微かな雑音が混じる。

「仙蔵か、」
「あぁ」

 ぎぃ、と軋んだ音を立ててドアが閉められる。立て付けが悪いから直してくれ、と何度も頼んではいるのだがいくら食い下がっても予算を出してはくれないらしい。そんなに直したいなら潔く自腹を切れ、と。

「いつ来ても気味の悪い音がするな、これ」

 そう言って耳を塞ぐ仕草をして仙蔵は眉を顰めてみせた。

「仕事は終わりそうか」
「ん、あともうちょい」

 そうか、といって仙蔵は文次郎の隣に座ると読みかけの文庫本を開く。
 そうしてそれっきり会話は途切れる。そう、いつもの光景だ。

「なぁ文次郎」
「なんだ」

 文次郎は一瞬手を止めかけたが作業もあと少し、話しながら出来ないわけでもないので仕事を続ける。
 基本的に仙蔵は文次郎の作業が終わるまでは話しかけもしなければ本を読むという以外の行為もしない。
 そんな奴が一体なにを言い出すのかと耳を傾ければ、思わぬ一言が鼓膜を震わせた。

「ちゅーして」

 思わず舌を噛んだ。
 痛みを堪えると同時に普段の仙蔵なら口が裂けても言わないであろう台詞が頭の中で何度も何度もぐるぐると回る。

「な、いま、なんて」
「だから…、」

 ちゅーして、と。仙蔵が目を瞑る。

 文次郎は大きく見開かれた目を白黒させる。
 気が動転するとはこういうことなのだろうか。

「まじ、で?」
「うん」

 唇を寄せてもう一度、本当にいいのか?、と確認する。

「はやくしろ」
「お、おぅ」

 口付けたらやはり唇は女のそれで、柔らかくて、フレンチまでと決めていたのに思わず舌をいれて。

「ん、ん…ッ」

「どうしたんだよ、急に」

 唇を離しざま、目を逸らし気味にそう問えば仙蔵も俯きつつ素っ気なく答えた。

「これにかいてあった」

 仙蔵の指す“これ”を見てみれば先ほどまで読んでいたはずの文庫本。しかし何か違和感を感じると思えば成る程、通常ならば右側から開く本がどうしてか左開きだからだ。よくよくと見てみるが謎は深まるばかりである。

「これ、伊作に借りたんだけどな。近頃巷で流行っている携帯小説というものらしい」

 仙蔵が云うに、その携帯小説とやらはその殆どが恋愛を扱ったもので、通常なら縦書きのところを横書きにしてあるのだという。

「よみづれぇなこれ、」
「私もはじめこそ慣れなかったが慣れてみれば案外いけるぞ?」
「で、それになんて書いてあったんだ?」

 仙蔵は一瞬躊躇う素振りをみせるが意を決したように口を開いた。

「この話に出てくる二人が…私達にそっくりで、主人公が悩むシーンがあるんだ。部活で構ってくれない相手の男がどうしたら構ってくれるかって」
「…で、さっきのあれか?」
「……そう」

 終始真顔で事情を話し終えた仙蔵は耐えきれないというように顔を俯かせた。
 どうしようか、嬉しい状況ではあるんだけれどもここで喜びをあらわにしてしまえば確実に怒らせてしまうだろう。それは回避したいが如何せん、どうしたらいいのか皆目検討がつかない。

「馬鹿、云いたいことがあるならはやく云えばいいものを」

 俯く仙蔵の頬に両手をぴたりとあて、こちらを向かせる。いつもは白い肌が、今は耳まで赤く染まっていた。

「文次郎の唇、やわらかかった」
「……じゃあ、もっかいするか?」

 こくり、と仙蔵が頷くのを確認して、文次郎は再び仙蔵と唇を合わせる。



誰もこの味を知らない



↓後日談
文「そういや、あれの作者ってなんていうんだ?」
仙「売れっ子携帯小説家、てぃんくるだ」
文「きいたことねぇな」
仙「おまえも読むか」
文「おぅ」


伊「文次郎がてぃんくる読んでる…!?」
長「…もそもそ」
伊「文次郎もとうとう恋愛に目覚めたって…ないないないない!どういう風の吹き回し!?」
長「…たまには違う趣向のものを読むのもいいだろう」
伊「長次、今日はえらく饒舌じゃないか」

 長次は脇に抱えた原稿に一瞥くれると、小さく笑う。
 てぃんくるというペンネームで活動し始めてもう一年ほどか。
 待望の新刊の原稿を書き終えた長次は、酷く上機嫌だった。



end.
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まさかの長次オチ。てぃんくるって響きが妖精っぽいよねっていう。
甘甘な文仙が書きたかったんです。甘くなってるかどうかは別として。
あと携帯小説読んでる文次郎の図はシュール極まりないと思う(笑)

御題はTOY様より
●キスのシチュエーションで20題(その2)
14:「ちゅーして」と目を閉じられたので


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