■ 後に残るのは少しの罪悪感と

 がりがり、がりがりと。

 綺麗に整った爪が、歪に変形する。

「どうしたんですか、それ」
 綾部に指摘され自身の爪を見れば成る程、滑らか曲線を描いていた其れが見事に形を崩していた。
「最近おかしいですよ、先輩」
「おかしい?何がだ?」
「首の痣、とか」
「……何の話だ」
「誤魔化しても無駄ですよ」
 顔に出てますから。綾部は無愛想な顔で辛辣にそう言ってのける。
「余り上級生をからかうな。度が過ぎると痛い目をみるぞ」
「言われなくてもわかってますよ」
 分かっているなら、そう言い返そうとしたが止めた。
 人を手の上で弄ぶのは好きだが弄ばれるのは真っ平御免だ。
 ましてや相手は綾部。未だ子供の部分が抜けきらない所があるとはいえ奴は人より勘がずば抜けて鋭い。あながち侮れたものではないのだ。
「予算会議が迫っている。そんな下らない詮索をする前にするべき事があるだろう?」
「…すいません」
 あっさりと引き下がった綾部に内心ほっと胸を撫で下ろす自分に苦笑する。
「次回の活動は中止だ。皆にもそう伝えておけ」
「…はい」
 複雑な顔で、委員会室を立ち去る綾部の背を無言で見送る。

 それにしても、こんなにも簡単に感情を面に出すなんて自分らしくない。

 其れほど迄に追い詰められているのか、それとも。
 然しそんな考えも直ぐに吹き飛んだ。
 向こう側から、聞き慣れた足音が近付いてくるのを感じたのだ。
 自然に綻ぶ唇を無理矢理引き結び、仙蔵は勢い良く障子を開け放つ。

「うわぁっ!!」

 突然目の前に現れた仙蔵に驚き、山積みのトイレットペーパーを抱えた伊作が思い切り前につんのめる。
 予想以上に派手な音が廊下に鳴り響き、鼻の頭を真っ赤にした伊作が涙目の顔をあげる。仙蔵はそんな伊作に飛び付き額を擦り付けた。
「伊作、伊作だ…」
 飼い主の帰りを待ちわびていた犬のようにはしゃぐ仙蔵の頭を撫で、伊作は散乱したトイレットペーパーが向こうへ転がっていくのを見送る。
「なぁに仙蔵」
 諭すような口調で問い返せば、軽い調子で返事を返される。
「ここ数日、ずっと眠れないんだ」
 と、仙蔵がうっすらと目元を縁取る隈を指差してみせる。
「渡した薬、効かなかった?」
 こくりと仙蔵が頷いてみせると伊作が表情を曇らせた。
「そっかぁ…。うん、わかった。じゃあ今夜ね、僕の部屋来られる?」
「ああ。では、子の刻辺りでいいか?」
「うん」

 ひらりと手を振って、暫しの別れ。
 其れを惜しむように何度も振り返り、両手を、握り締めた。


* * *


「ゃ…ぅ、伊作ッ」
「力、抜いて?苦しいのは嫌でしょ?」
「だっ、て」
「ほら口あけて」
「ふぁ、ン…」


――嗚呼、こんな所来るんじゃなかった。

 穴を掘る手を止めて、額の汗を拭う。
 濡れた声が空気を震わせる。もう少し声を抑えればいいものを。以前の色の実習で其の声ははしたないと注意したのは何処の誰だったか。

――立花先輩と、この声は…善法寺先輩か。

 やけに冷静な思考でそこ迄推測し、地面に突き刺した鋤を引き抜く。
 先日の首の痣は矢張そういう事だったのか。

「ばかみたい」

 誰に言うでもなく、そう吐き捨てるように言ってその場を後にする。
 逃げるように、ひたすら走った。




――あー、あれは。綾部、かな。

 漸く寝付いた仙蔵の髪を梳きながら僅かに開いた障子の隙間から走り去っていく影を目で追う。
 こんなやり方、間違っているのは分かっているのだけれど。知恵を絞った結果が此なのだから仕方がない。実際眠れたのだからさして問題ではないだろう。
 まぁ少しも罪悪感がない、といえば嘘になるが。

 規則正しく寝息を吐き出す唇。

 病的に白い肌に指を這わせる度、恍惚とした表情で乱れてみせる。其の姿に、欲情する汚い自分がいた。
 与えている薬も、あれも只の粉だ。効果も何も、ないに決まっている。何も入れていないのだから、当然。
 それによって何が起きるとかでなく、其の意味の為さない粉を求めてやって来る仙蔵を見て支配感に浸る。其の行為による快感を味わってからやめられなくなった。此は麻薬だ。極めて中毒性の高い麻薬。やめることなんで出来ない。あの快楽を一度味わってしまったらもう戻れないのだ。

「堕ちておいで」

 はやくここまでおいで。そして僕と一緒に此の快楽を味わおう。そうしたらきっと、君も虜。
 
 嗚呼愛しい。もっと愛しんで、壊れる迄なぶって乞わせて、自ら手にしたい。
 肌を重ねる度に従順になる体を。

 此こそ歪んだ愛情。最早原型を成し得ない、歪んだ愛情なのだ。


* * *


「もっと声、抑えた方がいいですよ」

 皮肉を込めて、全てを見透かしたような目を見つめて言ってやった。
「ああ、すまない。今度から気を付けよう」
 こんな事を言っても動じないのだから余計に憎らしい。


「あ、爪。戻りましたね」


end.
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不眠症気味の仙蔵さんを寝かしつける伊作お母さんの話でした←
あまり深く語ると長くなってしまうのでさっくり話してしまいますが、私の中でこの話は伊仙←綾という前提のもとに書き始めたはいいが最終的にCPなのかなんなのかよくわからなくなった、という代物です。なんだかんだで長ったらしいですね(笑)すいません。
伊仙は恋愛感情なんて小綺麗なものではなくてもっと別のどろどろした感情が折り混ざってさらに依存とか中毒というスパイスをふりかけてできた未知の食材なんです。例えがわけわからないのは仕様です。そういうことにしておいてください。

御題はDiscolo様より



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