■ 傷を残せば忘れない

 六年生の中でも伊作と仙蔵の仲が良いことは周知の事実であり、本人たちもそれは十分に自覚していた。ただし事実は少しばかり違う。
 二人は友人というものの対局に位置するであろう特殊な関係にあった。
 それはあまりにも一方的で理不尽な愛情の裏返しともいえる感情。それを体ひとつで受け止めるのは酷というより正直常人には到底無理な所行だった。

「…く、ぅ……ッ」
 噛み締めた唇から漏れる、低く掠れた呻き声。苦痛の滲むその顔を覗き込みながら伊作は恍惚とした表情で仙蔵を見つめていた。

「どう?今回は少しばかり強めにしてみたんだけど」

 声にならない声が喉から漏れ、はくはくと唇を何度か開閉すればかさついた唇をゆっくりと重ねられた。

「ん、ぁ……っ」

 とうに日の暮れた保健室には小さく明かりが灯り、誰一人いなくなったその密室より数刻前からひっきりなしに喘ぎとも呻きともつかない声が響いていた。
「そろそろ薬がききにくくなってきた頃だろうからねぇ…。ちょっと強めにしても仙蔵なら堪えられるよね?」
 細められた目の奥からは僅かな劣情が見え隠れする。
「やだ…嫌だ…も、無理だ…ッ!」
 嫌がる仙蔵に構わず伊作はさらに粘質な液体を喉の奥に流し込む。仙蔵は吐き出すことも叶わず、そのままその得体の知れない液体を一気に飲み干してしまう。
「…っ…あ、」
 遠退いていく意識はぼんやりと霞み、ただそれに身を委ねて仙蔵は静かに目を閉じる。
 はやくこの悪夢から醒めますようにと、ただそれだけを祈って。


 伊作のもはや二重人格ともいえる裏表の激しさには留三郎も気付き始めた頃は相当戸惑ったものだ。
 日頃の保健委員のお兄さん的スマイルは彼方へと消え去り、まさに鬼ともいえる所行をさらりとやってのける。そしてさらに無表情であるのが相乗効果を果たすのだが。

「おまえに優しくするっていう概念は存在しねぇのか?」
 泥のように眠る仙蔵を横目に見て留三郎は呆れた様子で伊作を見やった。
「優しく、ねぇ……」
 薬を煎じながら伊作はそうぼやくように呟く。
 伊作は他人より独占欲というか、支配欲に人一倍侵されている。それは本人も自覚済みであり、その伊作の特殊な嗜好の真意を知っているのは留三郎だけだ。
 好いた相手を薬漬けにして何が愉しいのか、留三郎は毎度のように抱く感想をぐっと堪えその代わりのようにわざとらしく深い溜め息を長々と吐き出した。

「そんなこと出来るものならばとうの昔にしているさ」

 優しくなんて出来ない、自分に言い聞かせるように伊作は呟く。
 どうしても壊したくなる。俄かに湧き出す破壊衝動にどうしても勝てない、と。

「手に入れないと、不安になるんだ…」

「それによってあいつが壊れちまったら元も子もないじゃねぇか」
「仙蔵は、まだ壊れないよ…それに、」
 薬を煎じる手を止め、伊作は宙一点を見つめながら目を細める。
「やっぱり癒えないぐらいの傷を体中にのこさないと。体にも心にも、忘れられないぐらいね」
 伊作の恍惚とした表情を見て留三郎の背中に冷たい汗がすうっと流れる。
「まったく、つくづく歪んでやがる…」
「僕が歪んでいるなんて今に始まったことじゃないでしょう、ね?」
 もう元に戻れないことなど伊作も留三郎も重々承知している。
「時間も時間だし、部屋に連れて行ってあげようか」
 途中で目を覚まして暴れられても困るので部屋まで送り届けるのは留三郎に任せられる。
「いつもごめんね」
 謝るくらいなら最初からやるな、と言ってやりたいところだがここまでくれば既に留三郎も共犯といって然るべきだ。
「…そういや仙蔵、最近ずっと文次郎に泣きついてるみたいだぜ?」
 先日仙蔵の様子がおかしい、と不本意そうに相談を持ち掛けてきた文次郎のことをふと思い出す。同室の文次郎は誰よりも仙蔵のことが心配なのだろう。本当のところを伝えるわけにもいかず、どっちつかずの答えを返しその場を凌ぎはしたがやはり仙蔵も文次郎も不憫でならない。
「もういい加減、解放してやったらどうだ」
「…そんなコト、僕がするとでも?」
「そう…だよな……」

 これ以上言っても仕方がない。これ以上言おうものならば今度はこちらの身も危険に晒されると判断し留三郎は大人しく引き下がる。気の毒だが何もしてやれない、心の中でしきりに謝罪しながら。

「籠に囚えるまでは、逃げないようにね」

 その時伊作の表情が一瞬強張ったのを留三郎は見逃さなかった。


 歪みきった恋慕の矛先が徐々にずれていくのを身に感じながら留三郎はもはや何度目かもわからない方法で自己完結を決め込む。

――所詮は他人、ここは見て見ぬ振りと洒落込もうか。

 最低だ、そんなことわかっている。
 誰よりも愚かしく臆病な自分が酷く憎らしく、誰よりも愛しいのだ。

* * *

「伊作と二人で潜入忍務らしいな」
 俄かにざわめく食堂。思い出したように文次郎がそう言うと仙蔵の表情が一瞬固まる。
「ああ、明日からな。忍務自体は簡単なものであるから二、三日あれば帰ってこれるだろう」
「単位はとれるときにとっておかないとな。簡単なものなら尚更、」
「僕がへましなければ事は円滑に進むんだけどね…」
 遅れて食堂に入ってきた伊作が仙蔵の隣を陣取る。
 微かな震えを悟られぬよう仙蔵は持っていた箸に力をこめる。

 つい先日言い渡された忍務は仙蔵にとってかなり酷なものであった。
 忍務内容は夫婦を装って潜入し、敵情を探れというものだ。
「仙蔵と二人きりで忍務なんて初めてじゃない?足引っ張ったらごめんね―」
 決して目を合わすことはない。
「……では私は先に部屋に戻る」
 逃げるようにその場を立ち上がれば伊作が追い討ちをかけてくる。
「あ、明日の打ち合わせしたいから後で仙蔵の部屋に行くね」
「…ああ、」

 手の震えが止まる気配はない。


 思わず漏れた欠伸を噛み締め、仙蔵は早朝の空気を思い切り吸い込む。
 体中に散らされた赤い斑点が見えないよう気を付けながら着替えを済ませ準備が整えばは組の部屋へ向かう。
「さぁ、行こうか。サキ」
 忍務の間は“サキ”という名で通すことになった。伊作は特に指定はなかったのでそのままで呼べばいいのだろう。
「今日はうんと優しくしてあげるよ」
 耳元で囁かれた甘い毒は脳髄を奥から犯していく。
「………」
「ほら、手だして」
 恐る恐る手を差し出せば伊作の手が仙蔵の真っ白な手を優しく包む。
「はぐれないようしっかりと繋いでおくんだよ?」
 返事は?と手に力を篭められ、小さくはい、と返事を返す。
「そうそう。いい子いい子」
 普段仙蔵の体を痛めつけているはずの手のひらは驚くほどに優しく、柔らかく、尚更それがこわかった。
「店までだいぶ歩かなければならないから、疲れたらすぐに言うんだよ」
 柔らかなそれに手をひかれながら黙々と歩く、歩く。
 あまりに優しくて、仙蔵は戸惑い気味に視線を彷徨わせていたが次第に慣れ特に気にも留めなくなった。

「ねぇ、サキ…仙蔵、」

 忍務中に本名を呼ぶな、と戒めるよう素っ気なく返事をすれば急に伊作の方へと抱き寄せられた。
「……!」
 伊作の胸に顔がぴたりとくっつく。
「本当はね、僕。サキのこと…大切にしてやりたいんだ」
「……、」
 何処までか本音で、何処までが建て前なのか。体に刻まれた傷の一つ一つが鈍く疼く。
「君のすべてが好き」

 そのまま唇を重ねられ、甘い痺れが走る。束の間の優しさに浸されて意識は思いの外、溶けだしている。
「…伊作……私、は」
 忍務はもう明日に回す気であるらしい、腰紐を解くと伊作は口端を歪める。
「…ねぇ、好きっていってよ、」
「……私は、おまえがこわい…おそろしくてたまらない……」
「でも体は僕を求めているだろう?」
 むりくり体を開かれて尚快感を見出す浅ましい体を。

「…ん…ッ…ゃ、」

 優しすぎる手のひらが輪郭をなぞる。

「本当は毎日でもこうやって…君に触れていたいんだ…」
 抵抗は、出来ない。

「だから…だから、仙蔵を全部。僕に頂戴?」


 囚われたのは恋、堕ちたのも恋。

 背中に回した腕はすべての答えで、すべての始まりで…―

 傷は疼く。心は灼かれる。
 灼かれて尚体は欲してやまないのだ。


傷を残せば忘れない


end.
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まつり様より伊仙とのリクでした!!
何故か食満野郎がでばっていますが完全に相楽の趣味です(笑)

個人的にとても楽しく書かせていただきました^^
それではまつり様、リクエストありがとうございました!

御題はDiscolo様より

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