86

 名前達は疲れ果てていたので、真夜中に廊下を歩く名前達を怪しむ絵画達の視線も、泥だらけのローブが廊下を汚している事も、何も気にならなかった。
 ダンブルドアは宴会を行うと言っていたようだったが、名前としては早くシャワーを浴びて、このまま眠ってしまいたかった。しかしながら、廊下の先から見知った姿が現れた時、名前は胸がいっぱいになった。
「ハーマイオニー!」ロンが叫んだ。
 そのまま走り出し、ロンがハーマイオニーに抱き着く。「良かった、目を覚ましたんだ!」
「ロン! 本当に――あなた、何でこんなに泥だらけなの!?」
 初めは感激していたハーマイオニーだったが、松明に照らされた自分の親友がヘドロと泥にまみれている事に気付くと悲鳴を上げた。名前はすっかり慣れてしまったが、名前達は確かにかなり汚い。そしておそらくかなり臭う筈だ。
 ロンは「アッ、ごめん……」と言ってハーマイオニーから離れたが、それでも嬉しそうだった。
「これぞまさに青春だ! そう思いませんか?」
 隣に立つロックハートがにこにこと名前に言った。ロン達の様子を見ていたようだ。名前は返事に迷い、「あー……まあ、そうですね……」と答えようとした。しかしながら、言い終わる前に言葉が途中で終わってしまった。走ってきたジャスティンが、力一杯名前を抱き締めたからだ。「ありがとう、僕達を助けてくれて!」
 ぎゅうぎゅうと抱き締められ、名前は慌てた。
「ジャ、ジャスティン……?」
 返事の代わりに頭上から嗚咽が聞こえてきて、名前は困ってしまった。よく見えなかったが、声からして間違いなくジャスティンらしい。名前は恐る恐る彼の背中に手を回し、小さくその背を撫でた。

 すっかり普段の調子を取り戻したらしいハーマイオニーが、「わたし達、ついさっき目を覚ましたの」とはきはきと言った。
「マダム・ポンフリーがマンドレイク回復薬を飲ませてくれたわ。それにしても、ロン、一体どうやったの?」
「ハーマイオニーのおかげだよ。君、バジリスクについての本を破っただろ」
「ああ、うーん……」
 ハーマイオニーは若干恥ずかしがっているようだった。
 どうやら、石化したハーマイオニーがバジリスクについて書かれたページを握っていて、ハリー達はそれに気付いたおかげで怪物の正体を知ることができたらしい。
 話題を変えようとしたのだろう、ハーマイオニーが「ハリーはどうしたの? てっきり一緒だと思ってたわ」と口にした。ロンは尚もからかいたそうにしていたので、彼の言葉を遮り、名前が「ダンブルドアと居る……」と返事をした。もっとも、未だジャスティンに抱き締められたままだったので、ハーマイオニーに聞こえたかは解らなかったが。
「なあ、おい、そろそろ放してやれよ……」
 名前が頭を潰されそうになっている事に気付いたのか、ロンがジャスティンにそう声を掛け、名前は漸く新鮮な空気を吸うことができた。ジャスティンは依然としてさめざめと泣いていたが、彼の「君は命の恩人だ」という言葉に、名前も少しだけはにかんだ。


 それから名前達は五人で医務室に向かった。マダム・ポンフリーは泥と汗でどろどろになった名前とロン、それからロックハートを見て、「汚い!」と狂ったように叫んだ(彼女の杖の一振りで、五人はすっかり綺麗になった)。
 しかしながら、お説教が始まる前に「ロックハート先生の様子が変なんです」と口にする。彼女はぴたりと動きを止め、ロックハートを見た。
「杖が逆噴射しちゃって……」
「忘却術が自分に掛かっちゃったんです」
「杖が逆噴射……?」
 名前とロンの言葉に、マダム・ポンフリーは唖然としていた。杖が逆噴射した事に驚いているのか、ロックハートが忘却術を使おうとした事に対して驚いているのか、名前には判断がつかない。しかし少し前まで怒り狂っていた筈なのに、すぐさまきびきびと動き出した。マダム・ポンフリーは幼児のようになっているロックハートにあれこれ質問をし、カルテに書き込んでいく。
 医務室には石化被害者達が何人か残っていて、泣きながら友達と再会を祝っていた。ミセス・ノリスの姿は無かったが、恐らくフィルチに連れられていったのだろう。奥の方では、ジニーがウィーズリー夫妻に挟まれ、何かを懸命に話している様子だ。ちらりと見えたジニーの横顔は、先ほどよりずっと血色が良くなっていた。

 名前とロンは疲弊はしていたものの、怪我を負ってはいなかったので、祝宴に参加する許可が出た。五分後には大広間に赴いていて、その少し後にはハリーも姿を見せた。大広間には全校生徒が揃っていて、夜中だというのに大歓声が上がっていた。
 名前は目立たないようにハッフルパフのテーブルに向かったつもりだったが、どうやら誰かが――噂好きのゴーストや、絵画の仕業だろう――名前達が秘密の部屋からジニーを助け出してきた事を漏らしていたようで、次から次へと話し掛けられた。
 特別功労賞と、二百点の事も周知の事実となっているようで、名前はその件でも声を掛けられた。名前が貰った二百点のおかげで、ハッフルパフは寮対抗で二位に躍り出ていた。寮生達は口々に名前の事をハッフルパフの救世主だと称した。ここ何年も、ハッフルパフがビリを脱却した事が無かったらしい。
 ジニーを助け出した立役者はハリーであり、名前は成り行きで手伝っただけだと言い張ったが、誰も聞いてくれなかった。ハンナ達の元に辿り着いた時、名前は心底くたびれていた。
 ハンナ達も名前をからかいたそうにしていたが、名前があんまり疲れた表情をしているからか、誰も救世主とは呼ばなかった。
「あなたがちゃんと戻ってきてくれて良かったわ。まさか秘密の部屋に行っているとは、思わなかったけど……」
 ハンナの言葉に、名前は漸く数時間前、スプラウト先生が談話室を出た後、黙って寮を抜け出したのだという事を思い出した。あの後、ハンナ達は名前が居ない事に気付いたのかもしれない。ハンナは名前を叱るのと、帰還を祝うのを天秤にかけた結果、黙って名前にハグをし、それからテーブルに並べられた色とりどりのお菓子を次々名前に寄越した。
 数時間後にはハグリッドも現れ、大広間中で再び歓声が上がった。宴会は一晩中続き、名前達がそれぞれの寮に戻ったのは、朝になってからだった。談話室に戻る頃には、ぎりぎりのところで名前を動かしていた興奮もすっかり冷めていて、今にも寝てしまいそうだった。
 ふと視線を感じ、顔を上げると、ハッフルパフの肖像画が名前達を優しく見下ろしていた。名前は手を振った。
「あの部屋、何かがあった時に生徒達を隠す為に作ったんだと思うよ。だって、すっごく広かったもん」
 名前の言葉を聞いて、彼女はにこりと微笑んだ。それから金のカップを掲げる。「あなた達に、ハッフルパフの加護があるように願っているわ」

 秘密の部屋について聞きたくて、周りの皆がうずうずしているのを名前は感じたが、本当に限界だった。そんな名前を慮ってだろう、監督生達が名前に何も聞かないように言い含め、寮生達を寝室に追い返してくれたので、漸く名前も自分の寝室に戻る事ができた。天窓から柔らかな日差しが降り注ぐ中、ベッドに飛び込むと、着替える間もなくぐっすり寝てしまった。


 石化被害者達が無事に元に戻ったことのお祝いに、期末試験がキャンセルとなったので、名前は悠々と過ごしていた。授業は通常通り行われたが、試験は行われないので、妙なプレッシャーを感じる事も無い。もっとも、OWLとNEWTはホグワーツの物ではなく、魔法省管轄のテストなので、五年生と七年生は泣きながら試験勉強に明け暮れていた。
 秘密の部屋事件から数日経っても、名前はハッフルパフの救世主と呼ばれていた。大体は善意からのものだったので、名前も暫くは我慢していた。しかしあまりにも揶揄われるので、最終的に、今度そう呼んだら禁じられた森に入ると宣言し、救世主呼びをやめさせた。
 石化が解けたジャスティンは、暫くの間、死ぬほど忙しそうにしていた。半年もの間石化していたので、毎日補講の授業が行われていたからだ。名前が一日分の記憶が消えた時、補講授業が行われたが、それだけでも大変だったのに、半年分となると相当疲れた筈だ。
 しかしジャスティンが言うには、一、二年生のジャスティン、ハーマイオニー、コリンよりも、ペネロピーの方が大変そうだったらしい。彼女は五年生で、OWL生だったし、授業内容も名前達よりずっと難しいので、殆ど泣きそうになっていたという事だった(なお、ペネロピーは特別措置として、夏休みの間にOWLを受けられることになったそうだ)。
 ロックハートはやはり今のままでは回復不可能で、聖マンゴに入院する事になったらしく、闇の魔術に対する防衛術の時間は空き時間になっていた。

 この日、名前は防衛術の時間を利用して、三階の女子トイレに来ていた。壁に書かれていた文字は、いつの間にか綺麗さっぱり無くなっていた。
「じゃじゃーん!」名前が言った。
 名前が頑張って用意したゴースト向けのバースデーケーキを見て、マートルはぱちぱちと目を瞬かせた。
 三か月前、屋敷しもべ妖精達に頼んでブルーチーズでケーキを作ってもらい、それにフルーツを載せておいたものだった。正直かなり臭っている。しかしコバエが飛んでいる事さえ気にしなければ、見た目もそう悪くはない筈だ。
「――ふーん、考えたじゃない」
 マートルは小さく何事かを呟いた。ありがとうと聞こえた気がして、名前はにっこりした。
 なお、ゴースト向けとはいえ、当然ながらマートルはそのケーキを食べられるわけではないらしい。名前がどうやって食べるのかと尋ねた所、風味を味わう為のものだと教えてくれた。

 瞬く間に時が過ぎ、ホグワーツを離れる日がやってきた。名前はホグワーツ特急をハンナ達と過ごし、また夏休みに泊まりに行く約束をして、9と4分の3番線のホームで彼女達と別れた。夏はもうすぐそこまでやって来ていた。

[ 921/921 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]