82
ガブリエルと共に寮の外に出ると、朝に会ったばかりのグラブリー‐プランク先生が待っていた。先生はガブリエルに「すまないね」と声を掛けてから、「行くよ」と言ってすたすたと歩き出すので、名前も慌ててその後を追い掛けた。
話を聞きたいというのは、もう一度秘密の部屋の怪物の事を話して欲しいという事だろうか。グラブリー‐プランクは昼間、あまり興味が無さそうだったが、後から考え直し、もう一度改めて聞きたいと思ったのだろうか。あまり納得はできないが、それ以外に考えられない。
グラブリー‐プランクはてっきり、職員室の辺りにある教職員用の自室に向かっているのだと思っていたのだが、辿り着いたのは変身術の教室の、その隣の部屋だった。
「さあ、お入り」
先生に促され、名前はおずおずと部屋の中に入った。――部屋の主である、副校長のマクゴナガルが居ることは予想出来ていたが、部屋の中には、スプラウトとフリットウィック、そしてスネイプを合わせた四人が待っていた。ホグワーツの寮監、その全員が揃っている。
大変な事になった――名前はそう思ったが、後には引けなかった。グラブリー‐プランクがドアを閉めると、よりいっそう緊張する。彼女は名前の話に興味が無かったのではなく、重要だと思ったからこそ、こうしてマクゴナガル先生達に話してくれていたのだ。名前は自分を恥じた。
「――本当なのですか? ミス・名字、秘密の部屋の怪物の正体が解ったというのは?」
マクゴナガル先生が静かに尋ねた。半信半疑といった様子だ。スプラウト先生は心配そうに名前を見ているし、スネイプは逆に値踏みするように名前を見ている。
「あの……はい……」
名前はもごもごと言ってから、やがて話し始めた。
ハリー達がハグリッドに、蜘蛛を追い掛けるよう教えられた事。蜘蛛が列を成して逃げているのを見たという事。バジリスクは蜘蛛の天敵だという事。バジリスクは毒蛇の王とも称される巨大な魔法生物であり、スリザリンの怪物として相応しいという事。バジリスクは何百年も生きられるという事。それから、スリザリンの継承者のみが操れるという伝承は、スリザリンがパーセルタングであり、パーセルタングならバジリスクとの意思の疎通が可能であるからではないかと考えた事。
ハリー達と共に蜘蛛を追い掛け、夜中に禁じられた森の中に入り、そしてアクロマンチュラに食べられそうになった事は省いたが、それでも寮監達を驚かせるには充分だったようだ。先生達は皆、険しい表情をしている。名前の言葉が突拍子の無い嘘だと思ったのではなく、信憑性がある話だと思ってしまったのだろう。
「バジリスクというのは、巨大な蛇の魔法生物じゃったと思ったが、蜘蛛の天敵というのは本当なのかね?」フリットウィック先生が普段と同じキーキー声で尋ねた。名前は答えようとして、彼の視線がグラブリー‐プランク先生に向いている事に気付き、口を噤む。
「そうだね。蜘蛛が逃げ出すのはバジリスクの現れる前兆だと言われている。まあイギリスではここ数百年、そんな話は聞かないがね」
そのままグラブリー‐プランクが名前に視線を寄越したので、名前はどきっとした。
「お前さんが言っている事は妥当だと思うがね、バジリスクに石化させる能力は無い筈だ。バジリスクは目を合わせるだけで相手を殺せる。わざわざ石化させる必要は無いと思うがね。もちろん、あたしらが知らないだけで、そういう事もあるかもしれないが。コカトリスも近い生き物だしね。どう思うね」
「あの、わたし、それも考えたんですけど、被害者の皆、誰も直接目を見てないんじゃないかと思って」
「と、言うと?」
マクゴナガル先生に促され、名前は一つ一つ考えながら言った。
「ミセス・ノリスが石になった日、あの廊下は水浸しだったって聞きました。なのでミセス・ノリスは、水に映ったバジリスクの目を見たんじゃないでしょうか。コリンは、お父さんに貰ったカメラを大事にしていました。あの子は普段、ずっとそれを持ってて……もし目の前に大きな蛇が居たら、まず写真に撮ろうと思っても、あんまり不思議じゃないかもしれないって思ったんです。だから、彼はカメラ越しにバジリスクを見た。それに、ジャスティンは……」
名前は言葉を区切った。何故あの日、ジャスティンが廊下をうろついていたのか解ってしまった気がしたからだ。
――ジャスティンはあの日、決闘クラブで一方的に怒ってしまった事を、ハリーに謝ろうとしていたのではないだろうか。ほとんど首無しニックと一緒に居たのは、ハリーの居場所を知らないか聞く為だったのではないか。
「ミスター・フィンチ‐フレッチリーは、サー・ニコラスと一緒でした。ニックの体越しにバジリスクの目を見てしまったのでしょう。ニックはゴーストなので、死ぬ事ができない」
言葉が続かなくなってしまった名前の後を引き取って、マクゴナガル先生が静かに言った。
「それに、ミス・クリアウォーターはミス・グレンジャーと一緒に見付かったが、近くに手鏡が落ちていた。聡明な生徒じゃから、ミス・名字と同じようにバジリスクに気付いたのかもしれん。曲がり角の先を手鏡で見ることで、対応しようと考えたのではないかな」
フリットウィック先生の言葉に、名前は納得した。ジャスティンが直接見てないから死なずに済んだのではないかと考え、他の被害者達についても考えたが、ハーマイオニー達についてはどうしても説明できなかったのだ。
マクゴナガル先生がバジリスクの目を直接見ていないというだけで死を免れるのは可能なのかと問い掛け、グラブリー‐プランク先生は前例がないから答えられないと言い、スネイプ先生は魔法の中には相手と視線を合わせることで発動するものもある為、一概に否定はできないと言った。
「あ、あの、ハグリッドの鶏小屋で、二回も雄鶏が死んでたんです。あれも狐じゃなくて、継承者の仕業なんじゃないかって」
「バジリスクは雄鶏の鬨の声を聞くだけで命を落とすとされている」
思い出したように名前が慌てて言った言葉に、グラブリー‐プランク先生が説明を付け足した。
暫く、寮監達は黙りこくってしまった。否定できる材料が無いからだ。名前としても、それは違うと誰かに言って貰いたかった。唯一、巨大な毒蛇が城を這いずり回っているのは説明がつかないとスネイプが小さく言ったが、結局誰も肯定しなかった。バジリスクに目くらまし術を掛けたり、小さく縮めておいたりすれば、どうとでもなるからだろう。
やがてフリットウィック先生が口を開いた。「当面の間、鶏を放っておく方が良いと思うかね?」
「バジリスクにとって致命的というなら、雄鶏を辺りに放しておけば、マグル生まれの生徒はこれ以上襲われずに済むという事かね?」
「我々が継承者が使う凶器に気付いたという事を、スリザリンの継承者に気付かれる事は避けた方がよろしいでしょうな」スネイプが言った。
「ミス・名字の言葉通り――」突然スネイプの口から名前が出て、名前はびくっとした。「――スリザリンの怪物の正体が本当にバジリスクだとすれば、これまで死者が出ていないのはまったくの幸運によるものだという事になる。ほとんど首無しニックが巻き込まれているように、継承者を名乗る不届き者は、対象を狙う過程で他の誰かを巻き込んでも気にしない残虐性を持っている事は明らかです。下手に神経を逆撫でするのは好ましくないでしょう」
スネイプの言葉に、マクゴナガルとフリットウィックも納得したようだった。
普段の大人げないスネイプの姿しか知らないので、こうして学校の危機に対し、冷静に対応策を考えているスネイプは、名前にとってかなり意外だった。もしかすると、相手が「スリザリンの継承者」だから、スリザリン寮の寮監として、ある種の責任のようなものを感じているのかもしれない。
スリザリンの怪物への対応をどうしたら良いのかという議題は、段々と、怪物を操ってまで生徒に危害を加えようとしたのは誰なのかという話になっていった。
意外だったのは、グラブリー‐プランクを含め、この場に居る誰一人としてハグリッドを疑っていないらしいという事だ。スネイプでさえ、ハグリッドがアズカバンへ連行された事に、納得がいっていないようだった。
「継承者が誰であれ、いくらなんでも殺そうなどという気はなかったとは考えられないかね」
「致死の目を持つバジリスクを操っておいて、その弁明は通らないでしょうな」
一縷の望みに掛けてフリットウィックが呟いた言葉を、スネイプは冷静に否定した。「我が輩としてはこの件にポッターが深く絡んでいると思うが。首を突っ込まないではいられない性質だ」
「ポッターがいかにトラブルを引き起こすとはいえ、マグル生まれの生徒を害しようなどとは絶対に考えないでしょう。それも、命を奪おうなどと」
「本当にそうですか、ミネルバ」
「何を言いたいのです」
マクゴナガル先生がきつく問い質したからなのか、スネイプはそれ以上言わなかった。
「――やはり今一度、五十年前の事件の事を知るべきでしょう。アルバスは我々教師にも、秘密の部屋が開かれた時の事を話しませんでした。彼の名誉の為に……」
マクゴナガル先生の言葉に、名前ははっとした。アラゴグが話してくれた通り、五十年前に部屋が開かれたのは事実なのだ。であれば、その時の事を知っている人は居る筈だ。教職員の中にも。「シルバヌスは、アルバスが校長職に就く以前から教鞭を執っていた筈です。彼なら、当時の事も知っているかもしれません」
「それは不可能だね。ケトルバーン先生は聖マンゴだ。面会謝絶、梟も無理さね」
「……もう! あの人はいつもそうなんですから!」
マクゴナガル先生はぶつぶつと文句を言った。ケトルバーン先生が停職になったのはこれが初めてではなく、どうやらこれまでにも何度かあったようだ。確かに、昨年も春先に怪我をして休んでいた。
名前は漸く、去年の冬に秘密の部屋の怪物についてケトルバーンについて尋ねた時、彼が何故自分に聞かなかったのかと拗ねた理由を察する事ができた。ケトルバーンは、前回部屋が開かれた時の事を知っていたのだ。――そして、ハグリッドが無実の罪を着せられ、ホグワーツを退学させられた事も知っていたからこそ、彼に尋ねないように名前に念を押したのだ。ハグリッドを傷付けない為に。
「……その」小さな声がマクゴナガルの事務所に響いた。
スプラウト先生だった。彼女がこれまで一度も口を利いていなかった事に、名前は今漸く気が付いた。
先生は青褪めていた。「その、もしかしたら、当事者に話を聞くことができるかも……」
名前はぽかんとしたが、他の先生達も同じだったようだ。全員、驚いたようにスプラウト先生を見ている。
「どういう意味です? 当事者?」
マクゴナガル先生はスプラウト先生の言葉のままに繰り返しただけだったが、スプラウト先生はぎゅっと口を引き結んだ。まるで、何か、叱られる前の子供のような――。
「つまり……つまり、私は今まで、それを彼女に思い出させるのは、とても酷な事なのではないかと思っていて……聞くことができなかった……」
「いったい、誰の事を……?」
名前は思わず「あっ」と声を出してしまい、慌てて口を塞いだ。しかし部屋中の目が自分に注がれていて、「その」と小さく呟く。
「その、もしかして、嘆きのマートルの事じゃないですか……?」
――スリザリンの怪物に殺された女の子は、トイレで発見されたとアラゴグが言っていた。マートルは、今年の六月に死んで五十年目になると言っていた。
名前は、マートルが死んだのは何かの事故だと思っていた。彼女が死んで尚ホグワーツのトイレに居るのも、あそこでよく過ごしたからというだけなのだろうと。マートルは事故で死んだのではなく、トイレで殺されたのだ。
青褪めたままのスプラウト先生が小さく頷き、それから前回の秘密の部屋が開かれた時、自分がホグワーツの一年生で、被害者が三階の女子トイレで見付かった事を告げた。
部屋の中は暗い沈黙で満たされた。やがて、スネイプが「それほど重要な事を黙っていたとは……」と小さく呟くのが聞こえた。もっとも、責めている口振りではなく、むしろ、スプラウト先生を慮っているようだった。
「話せなくて当然です」マクゴナガル先生が力強く言った。「ダンブルドアは、前回の秘密の部屋事件について話さないよう私達に言い含めていましたし、そうでなくとも辛い経験だったでしょう。ポモーナ、よく教えてくれましたね」
「ええ……」
スプラウト先生は未だ顔色が悪かったが、先程よりはいくらか持ち直したようだった。
それから、先生達はマートルに話を聞きに行くべきかどうか、真剣に議論し始めた。マートルが癇癪持ちな事に加え、自身が死んだ時の事を尋ねるというのは、人道にもとる行為なのではないかというのが彼らの考えらしい。
小さく肩を突かれ、振り返ると、グラブリー‐プランク先生が名前を見下ろしていた。
「もうここらで良いだろう。行こう、寮まで送っていくよ」
名前はグラブリー‐プランクに連れられ、マクゴナガルの部屋を出た。
先生の後について歩きながら、名前はさっきまでのやり取りを思い返していた。時間にすれば十数分の出来事だろうが、随分長く感じられた。
秘密の部屋の怪物はバジリスクなのではないか。名前の突飛な推論を、先生達が信じてくれた様子なのは嬉しかったが、同時に伝えてしまって良かったのだろうかという不安は拭えなかった。恐怖心を無駄に煽っただけなのではないか。
スリザリンの継承者を名乗る誰か。その誰かが居る限り、バジリスクは何度でも現れるに違いない。それでは、対応のしようがないのでは――。
悶々と考えていた名前は、いつの間にかハッフルパフ寮の前に辿り着いていた事に気付かなかった。名前はグラブリー‐プランクに礼を言おうとしたが、それより先に先生の方が口を開いた。
「あたしはバジリスクが怪物の正体だなんて思わないがね。けど、おまえさんの論理は筋が通ってた。事件解決の一助にはなる筈さ。犯人が捕まったなんて気を抜かず、少しでも思ったことを先生に伝えたのは偉いと思うね」
それから、グラブリー‐プランク先生は名前が何を言う間もなく「じゃあね、今日は早く寝る事だ」と言って、さっさと歩いて行ってしまった。名前は呆気に取られていたが、やがて静かに樽を叩き、寮へ戻った。
[ 917/921 ]
[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]