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 二月十四日の朝、名前は普段通り、朝食を摂りに大広間へ向かっていた。今日はハンナとスーザンも一緒だ。名前はハンナ達の後ろを歩きながら、目くらまし術について考えていたので、それに気付くのが一瞬遅れた。
 大広間は様変わりしていた。天井が空を映しているのは相変わらずだったが――今日は薄曇りだ――天井から絶え間なく何かが降り注いでいた。掴んでみると、ハートの形をした紙吹雪だった。大広間の壁全体がピンクの花で覆われていて、明るいが、かなり鬱陶しい様相になっていた。大胆過ぎる模様替えだ。発起人は当然、ロックハートだった。
 名前達が朝食を食べ始めてから暫くして、ロックハートが立ち上がり、何やら挨拶を始めた。曰く、学校中の暗い雰囲気を一掃する為、これを企画したのだという。また、梟ではなく、ロックハートが用意した小人がバレンタインカードを配ってくれるらしい。
「――今までのところ四十六人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう――」
「ロックハートにバレンタインカード送る人、そんなに居るんだ」
 名前はハンナ達に向けて軽口を言ったつもりだったが、彼女達が揃って顔を赤くして、急に壁の飾りが本物の花なのかを気にし始めた為、それ以上何かを言うのはやめた。
 ロックハートはその後、スネイプ先生に愛の妙薬の作り方を習ったらどうかと言ったり、フリットウィック先生は魅惑の呪文についてかなり知識があると言ったりした。冷え切った教職員テーブルの雰囲気に気付かないのは、ある意味で才能かもしれない。

 バレンタインは結婚している人、恋人が居る人には重要な日かもしれないが、名前達二年生のホグワーツ生にはあまり関係が無い行事だった。もちろん、好きな人が居るならカードを送れば良いが、それでも少数派なんじゃないだろうか。少なくとも名前はまだ好きな相手は居ないし、ハンナや他の友人達も、あまり気にしていないようだった。
 ロックハートが言った小人にカードを届けさせるというのは本当だったようで、主に上級生が小人に追い回されているのを名前は何度か目撃した。小人はカードを届けるだけでなく、その場で受取人を捕まえ、そのままカードを読み上げ始めるので、色々な意味でかなり悲惨だ。まさかバレンタインカードを送った誰かも、梟がひっそりと好意を届けるのではなく、衆人環視の下で受け渡しが行われるとは思っていなかったに違いない。
 名前はセドリックが小人を引き連れて談話室を出て行くのを眺めながら――ハッフルパフ寮の誰でも受け入れるというモットーが、創設以来初めてマイナスの方面に働いている――名前も自身に届いたバレンタインカードを眺めた。

 自分宛のカードが届くと思っていなかった。よりによって魔法薬学の時間に届けられたのは最悪だったが、誰かが自分を好意的に思っているらしいという事自体は嬉しかった。
 ハンナは、いったい誰が名前に送ってきたのかと興味津々で、名前が気乗りしないと言わなければ、送り主を探し始めていたかもしれない。バレンタインカードはそもそも匿名で送るものなので、探すのは野暮だと思うし、名前は元々あまり興味が無かった。――どこにでも売っているような簡素なカードで、同じくどこにでもありそうなお決まりの文句が、神経質そうな文字で書かれていた。
 名前はふっと笑って、そのままポケットに放り込んで忘れてしまった。


 雪が解け、春が近付いてきていた頃、名前はついに目くらまし術を習得した。
 名前が呪文を唱え、コツコツと叩くと、羽ペンも、本も、靴下も、何もかも透明になった。もっとも、目くらまし術Disillusionment Charmはその名の通り見る人に幻覚を見せるものであり、物体そのものを透明にするわけではない。目くらまし術を掛けたものを手に取ると、もやもやとした何かがあるのが解るのだ。それでも名前は嬉しかった。
 目くらまし術はどうやら本当にNEWTレベルの呪文だったようで、名前がこれまでに習った呪文の中で一番難しく、初めの内は『透明術の透明本』を読む事自体苦労した。書いてある理論がさっぱり理解できないのだ。しかし時間を掛けたおかげか、それとも目くらまし術が呪文学だけでなく変身術の分野でもあるからなのか、こうして無事に習得する事ができた。変身術は得意だった。
 しかし呪文自体は成功したものの、名前は一つだけ試していないことがあった。この呪文を生物に使うことだ。

 生物に呪文を掛けるのは、どんな呪文でもある種の覚悟が必要だ。すぐに呪文を消せれば良いが、そうでないと大変な事になる。魔法的損傷は不可逆なもので、一生残る場合も多々ある。少なくとも二年生の名前は、まだ人に対して魔法を行使するという事を習っていない。
 幸いにも、目くらまし術はその効果をフィニートで終わらせることが出来るし、反対呪文のレベリオもある。どちらも名前は使う事ができるし、早々大事故にはならないと思うのだが、それでも何となく勇気が出なかった。
 ――もし自分に魔法を掛けて、それからずっと透明なままだったらどうしよう!

 名前は一度、屋敷しもべ妖精達に透明になるコツを教えて貰えないかと厨房に聞きに行ったのだが、あまり参考にならなかった(流石にフリットウィック先生に聞きに行く勇気は無かった。何に使うつもりなのかと尋ねられたら、上手く誤魔化し切れる自信が無い)。
 どうやらヒトが使う魔法と、彼らが使う魔法は根本から違うものらしい。多分、彼らが城の中でも姿くらましを使えるのも、そういった理由なのだろう。そして屋敷しもべ妖精達は魔法を感覚的に使っているようで、具体的な説明や、心構え等を話してくれなかった。確かに名前だって、息の吸い方を教えてくれと言われても困ってしまうだろう。
 代わりに、彼らは口々に自分で目くらまし呪文を試して欲しいと言って憚らなかった。名前は丁重に断り、逃げるように厨房を後にした。
 クリスマスの次の日、砕けたドラゴンチョコでホットチョコレートを作ってもらい、量が量だったから彼らにも貰ってもらったのだが、フレッド達の言い方に則るならやり過ぎだったのかもしれない。あれ以降、彼らは本当に親切になった。元々、厨房に定期的に用事があるわけではなかったが、名前はあまり厨房に近付かなくなっていた。あんまり親切にされ過ぎると、逆に怖くなってくる。

 将来野良ヒッポグリフを拾う事があるかもしれないし、その時までには目くらまし術を完璧に使えるようになっておきたいとは思うが、一先ず名前は問題を先延ばしにする事にした。


 校庭に小さな花々が一斉に咲き始めた頃、二度目のマンドレイクの植え替え作業が行われた。まだ春には少し早かったが、先生が言うには、植木鉢を大きくするのと同時に、一度土から出して外気に晒す必要があるのだという。その方が発育が良くなるそうだ。あんまり寒すぎると傷んでしまうので、こうして春先に行うらしい。
 土から出たマンドレイクは、もはや赤ん坊ではなかった。大きさこそ名前達の二の腕くらいだったが、形はまるきり人間で、ひどく汚れたマグルの着せ替え人形のようだ。
 名前はスプラウト先生が植え替えているのを後ろで見ながら、時折指示された道具を手渡したり、植え直された鉢を運んだりした。マンドレイクは暴れ回っていて、かなり難しい筈だが、スプラウト先生は慣れた動作で次々と植え替えをこなしていく。
 全てのマンドレイクが一回り大きな植木鉢に植え替えられると、名前は先生の指示で耳当てを外した。途端に温室の外を吹く風や、有毒食虫蔓が獲物を探して這う音が聞こえてくる。スプラウト先生もピンクのふわふわした耳当てを外した。
「これで、マンドレイクは成長できるようになります。鉢植えの植物は鉢の大きさまでしか大きくなりませんからね。もう少し気温が上がってくれば、きちんと成熟する筈です――可哀想な子達もすぐに戻してあげられますよ」
 名前を元気付けるように、スプラウト先生は言葉を付け足した。名前は「はい」と頷く。それから先生はハッフルパフに五点を与え、名前は温室を出た。

 年が明けてから四か月近くが経っていたが、スリザリンの継承者による新たな犠牲者は出ていなかった。理由が解らないのは不気味だが、もちろん襲撃事件など無い方がずっと良い。あと一か月もすればマンドレイクが成熟し、回復薬ができるので、誰かが継承者の姿を見ていれば、それが逮捕に繋がるかもしれないし――。
 名前は適当に城に向かっていたが、ふと足を止めた。そのまま方向転換し、駆け足で温室に戻った。スプラウト先生は温室のドアを叩いたのが名前がだと解ると、不思議そうに名前を見詰めた。
「どうしました? 何か忘れ物を……?」
「先生、邪魔避け呪文って、本当に今のままで良いんですか? 人間も、近付けないようにした方が良いんじゃないんですか?」
 名前の言葉を聞いて、スプラウト先生は少しだけ悲しそうな顔をした。
「……スネイプ先生にも、同じ事を言われたんですよ。スリザリンの継承者を名乗る誰かは、石化が解けて欲しいと思わないだろうし、マンドレイクを処分しようとするかもしれないと」
 先生は小さく溜息をつくと、きゅっと表情を引き締め、「やはりそうした方が良いでしょうね」と小さく言った。
「すみませんが、もう少し手伝って頂けますか。二人でやった方が良いでしょう」
「はい」
 それからスプラウト先生と名前は、二人で三号温室全体に邪魔避け呪文を掛けた。これで、勝手に入ろうとするとその場で動けなくなってしまうようになるらしい。授業で使う時には不便じゃないかと思ったが、他の温室だけを使うようにするので問題ないという事だった。

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