66

 どれだけ気分が沈んでいても、次の日はやってくる。刻一刻と休暇が迫る中、スプラウト先生はついに音を上げた。「わかりました、わかりましたよ!
 名前はスプラウト先生を見上げたままだった。ここ数日、名前は放課後になると、毎日温室へ向かっていた。マンドレイクの成長度合いを確認する為だ。ジャスティンは石にはなってしまったが、他の犠牲者達と同じように、マンドレイク回復薬で元通りになるというのがマダム・ポンフリーの見立てだった。
 正直なところ、初めの内はどの温室にマンドレイクがあるのか解らなかった。しかし温室の外周を練り歩き、張り付くようにして探したところ、四号温室にある事が解った。マンドレイクは風が無くとも揺れ動くので、他の植物よりは探しやすかったようだ。授業中だったらしい生徒とガラス越しに目が合い、吃驚された事も一、二度あったが、名前は気にしなかった。

 しかし、スプラウト先生にとって、そんな名前の行動は看過しがたいものだったらしい。上級生用の温室に侵入しようとしたところを捕まった名前は、減点と罰則を覚悟した。
「いいですか、名字、フィンチ‐フレッチリーが心配なのはわかりますが、植物は一朝一夕には成長しませんよ! ハーヴィカスを使ったところで同じことです。成熟したらお伝えしますから、もうお帰りなさい」
「先生、でも……」
「あなたがそうして温室の周りをうろうろしていると、折角掛けた呪文の効果が薄れてしまうんですよ」
「……呪文?」
「邪魔避け呪文ですよ。もちろん、人間は除外していますが」
 先生が言うには、薬草学で使う植物を狙う害虫や害獣は多いので、授業に差し障りがないように温室にはそれぞれ魔法生物避けの呪文を掛けているらしい。生徒が温室に入れなくては困るので、人間以外のものを対象としているが、それでもこうして呪文を掛けた辺りを歩き回られると、呪文が発動しようとしてそれを無理やり止めることになるので、邪魔避けの魔法が摩耗してしまい、結果的に効果が弱まってしまうのだそうだ。
 マンドレイクが既にいくつかダグボッグ――主に沼地に棲む魔法生物だ――に食べられてしまったと聞き、名前は震えた。
「幸い、早期に気付けたので全滅はしませんでした。回復薬を作れるだけの量は確保できていますから、安心なさい」
「スプラウト先生、何でダグボッグはマンドレイクを食べられるんですか? ダグボッグの好物だってことは知ってますけど、根を食べようとするなら、どうしても叫び声を聞いちゃいますよね?」
 スプラウト先生は少しばかり渋い顔をした。「この温室のマンドレイクには、沈黙呪文が掛けてあると教えた筈ですよ」
 名前はアッと小さく叫んだ。
 マンドレイクを扱う授業の時以外は、万が一の事故が起きないようにする為、スプラウト先生が沈黙呪文を掛けている事は名前も知っていた。つまりこの温室は、ダグボッグにとって格好のバイキング会場ということだ。
 スプラウト先生はやれやれと言いたげに溜息をつき、「マンドレイクを栽培している農家にとって、ダグボッグは最大の害獣ですが、野生のマンドレイクの場合は案外相打ちになる事も多いそうですよ」と教えてくれた。名前は静かに頷いた。どうして栽培農家でダグボッグによってそれほど甚大な被害が出るのか解らなかったのだが、そもそもマンドレイクが叫べないようにしてあるからなのか。
 納得している名前を見ながら、スプラウト先生は何事かを考えている様子だった。実際のところ、植物についての講義を真面目に聞いている名前を初めて見たスプラウトは、この生徒は魔法生物に絡めれば興味を持つのかと、聊か呆れているところだった。
「……マンドレイクは大抵の解毒剤の主成分になる事は授業でも説明しましたね。なので、ダグボッグに限らず、弱った魔法生物が食べる事もよくあるんですよ」
「えーっ!」
「本能的に薬効を知っているのでしょう」スプラウト先生はそう言ってから、「なのであなたが邪魔避け呪文の効果を消してしまうと、非常に困ります」と付け足した。また、チズパーフルが巣食う事があるとも。
「はい、でも……」名前は言い淀んだ。

 ――名前は、ジャスティンが石になったのは自分のせいだと思っていた。
 決闘クラブの次の日、名前は大広間で彼に会っていたのに、そのまま彼を置いて先に寮に戻ってしまった。あれほど怖がっていたジャスティンが、何故寮の外に居たのかは解らないが、名前が一緒に居れば、継承者に襲われることはなかったかもしれないのに。
 もちろん、ほとんど首無しニックも石になっていることを考えると、名前が居ても何も変わらなかったかもしれないが。
「……何かをせずにはいられないという気持ちは解ります。――マンドレイクの管理は手間は掛かりますが、作業自体はさほど難しいものではありません。ですが、時には誰かの手を借りたい時があります。あなたが私の指示に従うと約束してくれるなら、今度、マンドレイクの世話を手伝ってもらいます。それでいいですね?」
 名前が喜んで頷くと、スプラウト先生は溜息をついた。定期的に邪魔避け呪文を掛け直すので、それを手伝って欲しいという事だ。先生が日取りはまた追って知らせると言うので、名前は漸く温室を後にした。遠目に見たマンドレイクは、やはりさわさわと揺れ動いていた。


 クリスマス休暇が始まった。名前は結局、家に帰らなかった。ホグワーツに居ても楽しい気分になれるわけではなかったが、多分、家に一人で居るよりはいくらかましだろう。昨年よりぐっと数は減ったが、ハッフルパフ生も何人か学校に残っていたし、彼らと魔法使いのチェスをしたり、悪戯に使える魔法を教えてもらったりするのは良い気晴らしになった。
 クリスマスが間近に迫ったある日の午後、名前はマートルに会いに、三階の女子トイレに来ていた。友達は殆ど家に帰ってしまったが、マートルはトイレに居る筈だ。もちろん、ゴーストだって普段居る場所を離れて遠出する事ができるので、彼女が親戚に会いに家に帰っている可能性が無いわけでもないのだが。
 名前は「こんちわ」と言いながらトイレの扉を開け、その直後に違和感に気が付いた。個室の一つが閉まっている。そして、その個室の中からもくもくと煙が立ち上っている。
 唖然としていると、マートルがいつものようにスーッと壁から現れた。「ああ、あんたなの」
「マートル、煙が出てるよ!」
「そうね」
 マートルは気にした様子も無い。どうやら火事というわけではないようだ。名前はその閉ざされた個室に近付き、ドアを開けようとしたが、鍵が掛かっているらしく開かなかった。ノックをしても返事がなく、人が居る気配も無い。誰も居ない。
「開けてみたら?」珍しく、マートルは楽しげだ。
「開錠呪文くらいあんたでも知ってるでしょ。いい? 呪文はアロホモラよ」
 明らかに馬鹿にされている。アロホモラは一年生で習う呪文だし、流石に名前だって覚えていた。原始的な呪文なので、杖の振り方もそう複雑ではない。
「アロホモラ」
 名前は杖を振った。カチリと内鍵が外れる音がする。

 その個室の中にはやはり誰も居なかったが、その代わり便座の上に大鍋が置かれ、中で魔法薬が煎じられていた。一定の速度で独りでに攪拌を続けている。シングルトンの自動かき混ぜ鍋ではなく、どうやらかき混ぜ棒自体に魔法が掛かっているらしい。
 火事でなくて良かったが、これはこれでまずい気がする。
 しかし結局、名前は先生に報告せず、何も見なかった事に決めた。名前自身、教師の目の届かない所で魔法薬を作る事があるので、これを作っている誰かの気持ちが解るからだ。
「これ、何作ってるの?」
「……さあ?」
 やはり、マートルはいやに機嫌が良かった。彼女の反応から、マートルは中で煮込まれているものが何なのか知っているらしいと名前は悟った。
 彼女が今も着ているローブはレイブンクローだし、名前よりもいくらか歳上のようなので、おそらく鍋や材料を見ただけで解るのだろう。レイブンクロー生は勤勉な生徒が多かった。五十年前も、きっとそうだったに違いない。
「そうね、何を入れたかは知ってるわよ。クサカゲロウにヒル、毒ツルヘビの皮、それからバイコーンの角……あとはもう一度クサカゲロウを加えれば完成ですって」
「毒……何って?」
 名前の返事に、マートルは気分を害したようだった。まるで、聞き分けの無い子供を相手にしているような顔だ。しかしながら、名前は魔法薬学が大得意というわけではないし、そもそも授業で使ったことがないどころか、聞いたこともないような材料が混ざっている。答えられなくても仕方がない筈だ。それとも、名前でも知っているような魔法薬なのだろうか?
 名前は暫くの間、ああでもないこうでもないと考えたが、結局諦めてしまった。まったく想像が付かないが、材料からしておそらくこれを作っているのは六年生か、もしくは七年生だろう。多分、かなり高度な魔法薬な筈だ。
 その時背後から物音がして、名前はぱっと後ろを振り返った。「……ハーマイオニー?」

 トイレの入り口から中を覗いていたのはハーマイオニーで、彼女は名前と目が合うと、ぎくりとしたようだった。
「ねえ、見て、誰かがこんな所で――」名前がそう言うと、マートルが「失礼ね!」と叫んだ。「――何か作ってるみたい。ハーマイオニー、これ何の魔法薬か解る?」
 ハーマイオニーは恐る恐るといった様子で近付いてきた。おそらく、名前と同じように、個室から煙が上がっていることに驚き、様子を見に来たのだろう。マートルが答えを聞くのは卑怯だと怒ったが、名前は無視した。ハーマイオニーは狭い個室に入り込むと、恐々とした様子で古い大鍋を覗き込み、「その、ポリジュース薬じゃないかしら」と小さく言った。
「ポリジュース薬?」
 何となく名前は聞いたことがあるが、どういう薬かはよく解らなかった。授業でスネイプが言っていたような気もするが、詳しい内容は覚えていない。
 ハーマイオニーほどの才女ともなると、鍋を一目見ただけで中身が解るのだなあと、名前は感心した。マートルを振り返り、「やっぱりこれ、上級生が習うやつじゃない? あたしが知ってる筈ないよ」と肩を竦めてみせた。
「あーら! 現にそっちの子は知ってたじゃない」妙に含みのある言い方だ。
「自分の不勉強を棚に上げるんじゃないわよ」
 ぐうの音も出ない。自分の出した魔法薬クイズに名前が答えられなかったのがよほど面白いのか、マートルは意地悪く笑った。そんな名前達の様子を、ハーマイオニーは困ったように見ている。

 ハーマイオニーだったから良かったものの、現れたのがここで魔法薬を煎じている本人だったら、少々厄介な事になっていたかもしれない。教師に報告するつもりは無かったが、相手もそう思うとは限らないからだ。
 生徒用の薬棚には到底無いような高価な材料も使っているようだし、お前のせいで調合に失敗したと難癖を付けられても敵わない。名前はコロポータスで鍵を元通りにすると、ハーマイオニーを連れて女子トイレを後にした。
「名前、マートルとも仲が良いのね……」
「うん? うん、友達だよ」
 名前がそう言うと、ハーマイオニーは曖昧な笑みを返した。
 夜、寮に戻った時、近くに居た上級生に聞いたところ、ポリジュース薬は変身薬の一種なのだそうだ。なんでも、変身したい相手の一部分を入れることで、相手そっくりに変身できるらしい。魔法生物に変身できる薬なら名前も是非分けて欲しいところだったが、残念ながらヒト以外への変身は不可能なのだそうだ。

[ 901/921 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]