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この日の名前は、黒い湖の畔に腰掛けながら、一人で滔々と喋り続けていた。薬草学は退屈だとか、名付け親からの手紙は無視するに限るだとか。しかしながら、独り言を言っているわけではない。湖の水面から顔を半分だけ突き出しているのは、若い水中人だ。
彼――もしくは彼女――は、最近こうして名前の前に姿を現すようになった。名前が一人で湖の岸辺で魔法生物を観察しようとしていたり、本を読んでいたりすると、いつの間にか近くに居るのだ。
一度、大イカに投げたトーストを彼が拾ったことがあったので、それが切っ掛けだとは思うのだが、それ以降はトーストをあげようとしても何の反応も示さなかった。ママレード味が気に入ったというわけではないらしい。
初めの内、水中人達は人間が物珍しくて見に来るのかもしれないと思っていたのだが、名前の前に姿を現すのは、どうも同一人物のようだった。
水中の魔法生物目当てで湖通いをしている名前と同じように、人間観察が趣味の変わり者の水中人なのかもしれない。
名前は何とか彼にコンタクトを取ろうと奮闘していたのだが、名前の言う事を聞いている風ではあれ、特に何も返してくれないので、近頃では好き勝手に話し掛けて、満足したら帰るという事を繰り返していた。名前としては、彼の事は友達だと勝手に思っている。
ふと、名前は思い付いた事があった。「秘密の部屋がどこにあるか知らない?」
水中人に聞いてみようと思ったのはまったくの偶然だった。
先日、たまたま訪れた厨房で、名前は同じ事を屋敷しもべ妖精達に尋ねていた。
スリザリンが造った秘密の部屋にも彼らは掃除に赴いているかもしれない、と思ったわけではないが、ホグワーツ城に詳しいのは間違いないので、ひょっとすると名前達生徒が知らない部屋についても知っているのではないかと思ったのだ。
屋敷しもべ妖精達は初め、きょとんとしたり、至極申し訳なさそうにしたりしていたが、名前が秘密の部屋を知らなくても、何か他の人が知らないような部屋を知っていたりしないかと尋ね直すと、生き生きとあちこちの部屋を挙げ始めた。
彼らが教えてくれたのは、その大半が正規の手段では辿り着けない隠し部屋だった。名前が既に知っている場所もあれば、予想だにしない手段でしか入れないような部屋もあった。階段の途中で規定回数踏み鳴らす事でステップが抜けて入れる部屋、開錠呪文のアロホモラではなく反対呪文のコロポータスを掛ける事で入れる部屋、あったりなかったりする部屋等々。
名前は途中まで頭で覚えようと頑張っていたが、大勢の妖精が次々と教えてくれるので途中で諦め、羊皮紙を取りに一度寮に戻らなければならなかった(屋敷しもべ妖精達は名前がメモを片手にもう一度ゆっくり教えて欲しいとお願いしても、嫌な顔一つしなかった)。
名前達が知らない事でも、他の誰かなら知っているかもしれない。屋敷しもべ妖精達が教えてくれた隠し部屋は大小合わせて二十以上あり、名前は改めてそう思った。となると、スリザリンの談話室から湖が見られるように、湖から繋がっている場所に秘密の部屋が存在するかもしれないし、水中人ならそれを知っているかもしれない。
もちろん名前だって、いかにサラザール・スリザリンが湿原から来た魔法使いだからといって、湖の中に部屋があるとは思っていない。
名前はてっきり、いつものように、水中人が聞いているんだか聞いていないんだか解らない様相のまま、そこに居るだけだと思っていた。あっと思う間もなく、水中人は水面から顔を出すと、ぱかっと口を開いた。
「――――――」
釘の束を纏めて掴んで、そのまま無我夢中で黒板を引っかいているような音だった。マーミッシュを聞き取るのはかなり難しいとは知っていたが、こんなに訳の解らない音だとは。
耳を塞ぐのは失礼だろうなと、名前は一瞬そんな事を思ったが、その耳障りな金属音がやんだのはすぐの事だった。どうやら二言、三言喋っただけらしい。
「……えーっと、知ってるって事?」
水中人は何も言わなかった。表情も変わらなかったが、絶妙に馬鹿にされているような気がする。どうやら名前が本場のマーミッシュに怯んだのがバレているようだ。
「ごめん」名前は素直に謝った。「折角教えてくれたのに、あたし全然聞き取れないの。あたしが言ってる意味は解ってる……ってことで良いんだよね?」
なおも何も言わない。通じてるんなら首を振ってみせて欲しいと頼むと、水中人は不承不承な雰囲気を醸しつつも、頷くような動作をしてくれた。
「あなたはスリザリンの秘密の部屋がどこにあるか、知ってるの?」
名前は動悸を感じつつ、神妙に尋ねたが、水中人は首を振った。縦ではなく、横に。
名前は心底がっかりして、その場に座り込んでしまった。
これまでの彼が、名前が言っている事を解っていたのに無視をしていた事は、正直あまり気にならない。
猫が石にさせられ、生徒まで襲われた今、マグル生まれの生徒達はどれほど怖がっている事だろう。部屋の場所が解れば、事件の解決の糸口になるのではないか――そう思ったのに、どうやらそんな上手い話があるわけないようだ。
――名前が抜けているのは、それまで無視を貫いていた水中人がいきなり言葉を発してまで名前に何かを伝えようとした、その意図に気付かなかった事だ。
ちょうど授業終わりの生徒達が通り掛かり、その中の女子生徒の二人が名前に声を掛けて来た。どうやら水中人が姿を見せているのが珍しいらしい。
「何をしてるの?」
三年生の女の子が言った。彼女は名前と、水から顔を出しているちらちらと水中人を見比べている。
「秘密の部屋を知ってるか聞いてたの」
「まさか、水中人が知ってるわけないわ」
もう一人の女子生徒が小馬鹿にしたように笑い、名前もつられて笑ったが、その時背後の水中人がいきなりマーミッシュで話し始めて、名前はぎょっとした。
何を言っているのかはさっぱり解らないし、表情も読めないが、どうも怒っている様子だった。女の子達驚いて一歩下がると、彼はますます語気を強めた。英語ならいざ知らず、マーミッシュで大声を出されると、完全に耳がおかしくなってしまいそうだ。
名前は何が彼の気に障ったのか解らず――何せ、彼は秘密の部屋について知らないと答えた筈だ――焦ったが、女の子達が「行きましょう!」と名前の手を掴んで引っ張るので、慌ててその後を付いていくしかなかった。
どうやら彼女達は、名前が危害を加えられているのではないかと心配してくれていたようだった。湖が見えなくなった頃、女子生徒達は口々にもう近付いちゃ駄目よと名前を叱った。名前は彼女達にお礼を言い、反省の色を出しつつも、明日また彼に秘密の部屋について聞いてみようと考えていた。
しかしながら、それから何日かひどい雨が続き、やっと収まった頃には、湖は厚い氷が張っていた。名前は暫く湖に呼び掛けていたが、水中人はいつまで経っても現れなかった。
十二月に入った。ホグワーツは真っ白な雪で覆われ、かなり冷え冷えとしていた。場所によっては、城の中でも息が白くなるほどだ。ハッフルパフはクィディッチでレイブンクローにこてんぱんにされたので、いっそう寒々しい思いをしなければならなかった。
二週目に差し掛かった頃、昨年度と同じように、ホグワーツに残る生徒はリストに名前を書いた。当然、名前はいの一番に名前を書いた。
名付け親のキングズリーはどこからか継承者騒ぎについて知ったらしく、去年よりもしつこく家に戻るようにと再三手紙を寄越していたが、名前が自分は実家に帰らないのかと尋ねる手紙を送ると、それ以上何も言ってこなくなった。キングズリーも親と折り合いが悪いのだ。もっとも、名前としてもキングズリーの両親ととても仲が良いというわけではないので、一緒に帰ろうと言われていたらまずかったのだが。
しかし、名前に家に帰るように言うのは、心配性の名付け親だけではなかった。
「正気かい? 学校に残るだって?」
アーニーは心底驚いたように言った。彼の声が少々大きかったからなのか、談話室に居た何人かのハッフルパフ生が名前達を見た。普段、目立ちたがりの彼は演技がかった喋り方をするのに、自身の意図の埒外で注目されるのは嫌らしく、少々気まずそうにしている。
名前は片眉を上げ、「まあね」と短く言った。
リストは寮の掲示板に貼り出されていたが、今の所、名前を書いたのは、名前の他にほんの数人だけだった。楽しいクリスマスになりそうだ。
「クリスマスは家族で過ごすものだろう。違うかい?」
「うーん、そうかもしれないけど」
ホグワーツのクリスマスも楽しいよと名前が笑うと、アーニーは「だけど……」と辛抱強く言った。
「今この時期に、学校に残るなんて」
「継承者の事を言ってるの? あたしは純血だし心配いらないよ」
アーニーは尚も口を開こうとしたが、スーザンが「やめておきなさいよ」と言った事で中途半端に終わった。
「私達も散々言ったけど、名前が決めたんだもの。この子が頑固なのは貴方だって知ってるでしょう?」
「あたしがちっちゃい子みたいに言うのやめてよ」
スーザンは肩を竦めてみせた。確かに何日か前から、名前はスーザンや、他の友達にも同じ事を言われていた。どうやらクリスマスを家族で過ごすのは普通の事らしい。
意外な事に、ハンナだけは名前の味方だった。彼女は名前が学校に残ると言っても「そうなの」と頷くだけで、名前には名前なりの考えがあるのだからと、むしろ他の女の子達を諫めてくれた。どうやら、名前がキングズリーと微妙な関係にあるのを、あのたった十数分のやりとりで解ってくれたらしい。クリスマスのプレゼントを期待していてねと微笑むハンナに、名前もにっこりと頷いた。
確かに名前だって、マグル生まれのハーマイオニーが休暇中学校に残るつもりだと言った時は、考え直した方が良いと何度か言ったが、そうでなければ普段と変わりない筈だ。名前は去年もホグワーツに残ったし、むしろロンドンで何度か過ごしたクリスマスよりも、ホグワーツで迎えたクリスマスの方がずっと楽しかった。
スーザンと一緒に居たハンナが、「クリスマスにもうちに招待したかったけど、きっと嫌でしょうね」と言った時は、名前はかなり誘惑に耐えなければならなかった(夏休みも相当ご厄介になったのだから、という理性が何とか勝利を収めた)。
石化事件の影響だろう、昨年よりも居残る生徒は少ないようだったが、それでも良い事もあった。なんと、クラッブも学校に残るというのだ。名前は歓声を上げて抱き着いた。
しかし、クラッブはかなり不満げだ。話を聞けば、自分は家に帰りたかったが、マルフォイとの付き合いの関係上、残らざるを得なかったらしい。マルフォイが何故クリスマスをホグワーツで過ごそうと思ったのかは謎だが、それでも名前は嬉しかった。
「元気出してよ。あたしが居るじゃん。それに、ホグワーツのご馳走もすっごいよ」
名前がそう言って笑うと、クラッブは元気になったようだった。
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