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 アボット家にやってきてからまだ数日だったが、名前はハンナの両親について随分詳しくなっていた。アボット夫人は料理上手で、何でも美味しく作れてしまうという事。アボット氏が煙突清掃業の会社に勤めているという事。そして二人が出会ったのは、アボット氏が夫人の家の煙突を整備に行った事が切っ掛けだという事。
「それじゃあ、おばさんは初めて会った時からおじさんの事好きになったの?」
 名前がキャセロールを切り分けながらそう尋ねると、アボット夫妻は揃って顔を赤らめた。そしてその隣で、一人娘のハンナが渋い木の実を食べた時のような顔をしている。
 魔法使いのアボット氏が勤める清掃会社は当然魔法族が経営しているが、魔法族にとっての煙突掃除は杖の一振りで済んでしまう事なので、あまり需要がない。その為、今はマグル界にも展開しているらしい。もっとも、マグルの間では煙突文化はとうの昔に寂れているので、アボット氏は電気関係もある程度は直せるのだそうだ。
「そうなんだ。煙突は単純にショートしていただけだったんだが、僕の心もその時ショートしまってね……」
 電気が走ったようだった、とマグル風の言い回しをするアボット氏に、名前はこくこくと頷いて返した。
 両親が揃っているところを見た事が無い名前にとって、アボット夫妻が互いに思い合っている様子は新鮮で、興味深かった。ハンナが明らかに恥ずかしがっているのも、見ていて楽しかった。


 十一歳になる頃にホグワーツからの入学許可証が届いたのと同じように、一週間ほど前、名前達生徒の元には学校からの梟がやってきていた。手紙には次年度の教科書のリストや、新学期に向けての注意事項等が書かれた紙が入っていた。わざわざ梟便を送らなくても、学用品のリストなんて夏休み前に配っておけば良いのに。名前は一瞬そう思ったが、闇の魔術に対する防衛術の教師が居なくなってしまったので、学校としてもこうして夏休み中に送らざるを得ないのだろう。各教科で使う教科書を決めるのは、当然その授業の担当教師だからだ。
 ――残りの夏休みをハンナの家で厄介になるのだから、必要なものは事前に揃えておいた方が良いだろう。名前はそう思い、ロンドンに居た頃に教科書やら何やらを全て用意しておいた(もっとも、買いに行ったのはキングズリーだが)。
 しかし、まさか彼女が名前と買い物するのを楽しみにしていたとは、名前は予想もしていなかった。
「一緒に行きたかったのに!」
 名前に向けて怒ったふりをし、そして拗ねたふりまでしてみせる愛娘に、アボット夫人はくすくすと笑みを零していた。来年は絶対に一緒に行くと約束する事で、ハンナは漸く笑顔を浮かべた。

 水曜日、名前はハンナと、それからアボット夫人と共に、電車で三時間ほどかけてロンドンに向かった。
 どうやらハンナは名前がマグル界に慣れていないと思っているらしく、度々世話を焼いてくれた。切符を買うにはこの機械を使うのだと言ったり、この乗り物は電気で動いているのだと教えてくれたり。それらはマグル界で育った名前からしてみれば、どれも見知ったものだったし、むしろ学校に通っていた名前の方が慣れているくらいだったのだが、彼女がはりきっている事と、色々教えてくれると正直楽なので、そのままにしておいた。
 チャリング・クロス通り――ロンドンのほぼ中央に位置しているこの通りに、マグル界側から来たのは初めてだった。去年は煙突飛行でダイアゴンに来たからだ。近くにはビッグ・ベンや、バッキンガム宮殿といった観光名所が揃っていたが、この日名前達がやってきたのは、新学期に向けての学用品を揃える為だった。
 古書店が並ぶ通りの一角にそのパブはあり、どうやら見えていないらしいアボット夫人の手を引き、三人は漏れ鍋に入った。
 店の中は少々埃っぽかったが、それでも何組かの客がテーブルに着いていた。肩を寄せ合って飲んでいる魔法使い達が数人、ゴシップに盛り上がっている老魔女が三人、それから紫の煙を吐き出し続けている謎の液体を飲んでいる魔法戦士達が数人。漏れ鍋の店主は、新たに入ってきた名前達を見て、「やあ、ハンナ!」と顔を綻ばせた。
「トムおじいちゃん!」
「やれやれ、また随分と大きくなった。元気かね」
 ぎゅっと抱き合っている二人は、どうやら知り合いだったらしい。アボット夫人が教えてくれた事によると、店主のトムは、アボット氏の祖父の弟にあたるのだそうだ。彼自身が結婚していない事もあり、ハンナのことを実の孫のように可愛がってくれているのだという。トムは名前にもにっこりしてみせてから、アボット氏が今日は仕事で、一緒に来ていないと知ると、心底残念そうにした。
「残念だ、私はあいつを気に入っているのに」
 トムはハンナ達に向けて、食事の予定が入っていないのなら、ご馳走するので後で店に寄ると良いと言い残し、仕事に戻っていった。漏れ鍋はパブだったが、魔法界とマグル界を繋ぐ数少ない店舗の一つだ。店内はそう混雑していない思ったが、なるほど確かに通行人が多く訪れる。ダイアゴン横丁に寄るついでにトムに会いに来る客も多いようで、かなり忙しそうだ。

 名前達は店の中を通り、それから小さな中庭に立った。特定の石を杖で叩くと、ダイアゴン横丁の中に入ることが出来るようになっている。ずっとお姉さん風を吹かせ、張り切っていたハンナだったが、此処に来て小さな問題が起きた。どうやら叩くレンガをうっかり忘れてしまったらしい。名前がこっそりと「それの上のやつだったかも」と伝えると、無事にレンガが動き始め、やがて大きなアーチへと変わった。ハンナは得意げな顔をしていたが、アボット夫人には間違いなくばれていたに違いないと名前は感じた。
 学用品を買うのに十分なお金を夫人が持っていたが、当然どれもマグルの貨幣なので、換金の為に三人はグリンゴッツ魔法銀行へ向かった。グリンゴッツは大理石で造られた大きな建物で、ダイアゴン横丁の丁度中央に位置している。この銀行を中心に、辺りが発展したからだ。名前はアボット夫人がおっかなびっくり換金しているのを眺めていたが、旧家のアボット家の金庫なら、もしかするとドラゴンが守っているのじゃないかと思っていたので、少しだけ残念だった。純血の名家の金庫は、ドラゴンが守っていると専らの噂なのだ。

 グリンゴッツを後にし、名前はハンナにどこから買い物に行くかと尋ねたが、彼女が何故か熱心に書店へ行くと主張するので、名前は少々意外に思った。フローリアン・アンド・ブロッツ書店までは少し歩くし、教科書なんて後回しでも良い筈だが。ハンナだけでなく、何故かアボット夫人まで本屋を先にしようと勧めてくるのが少し不思議だ。名前は自分の買い物を済ませており、どこからでも良かったので、三人で書店へ向かった。
 アボット親子が何故ブロッツ書店に行きたがったのか、すぐに明らかになった。「ロックハート氏のサイン会はもう間もなく始まります!」
 超満員の店内でそう叫んでいる店員の声は、もはや掠れ始めていた。どうやら著名な著者のサイン会があるようで、名前はやっぱり本屋は後回しにすべきじゃないかと思ったが、どうやらハンナ達はそのサインを貰う為、敢えてこの時間帯を選んでやってきたらしい。
 出遅れちゃったわ!と小さく叫んでいるハンナに、名前は何と声を掛ければ良いのか解らなかった。並びましょうとニコニコの笑顔で言われ(ハンナはいつの間にか本を抱えている。教科書ではなく、『私はマジックだ』というタイトルの本だ)、名前は仕方なく彼女の後をついて列に並んだ。
 辺りに飾られているポスターや本の数々に印刷されている顔がどうも見た事があると思ったら、今年度の教科書の殆どを書いた魔法使いだ。ギルデロイ・ロックハート。名前は一応それらの教科書に目を通したが、通しただけで終わってしまった。教科書とは名ばかりの、自伝小説だったからだ。何度読み込んだところで、学べる事は限られている筈だ。一応、魔法生物に対する対処の参考にはなるのかもしれないが、キングズリーがかなり嫌そうにしていたのも無理はないかもしれない。

 ハンナと、そしてその母親のアボット夫人は、ロックハートにかなり熱を上げているようだった。店内は圧倒的に魔女が多かったが、ちらほらと魔法使いの姿もある。彼らは母親や妻が入れ込んでいるハンサムな魔法使いを見る度にげんなりした顔をしたり、退屈そうに欠伸を噛み潰したりしている。未成年の魔法使いの姿もあり、どうやら名前達と同じく教科書を買いに来て、不幸にもこの人混みに巻き込まれたようだった。
 ちょんちょんと肩を突かれ、名前が後ろを振り返ると、同じ顔をした二人組が立っていた。フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーだ。「やあ」と双子のどちらかが言った。
「二人とも久しぶり」
 名前がそう答えると、フレッドがちょっと奥を覗くような格好をしてから、「彼女、君のママ?」と小さく尋ねた。アボット夫人を指で示している。名前が首を振り、「ハンナのママだよ」と答えると、それぞれ納得したように「ああ」と言った。どうやら彼女達は傍目にも似ているらしい。
「二人はもうサイン貰ったの? これ、どれくらいかかると思う?」
「解ってたけど君、ロックハートに全然興味ないんだな」
「魔女の風上にもおけないぜ」
 ジョージがわざとらしくそう言ってから、「まだ三十分以上かかるだろうな」と冷静に付け足した。名前は呻いた。どうやら二人はロックハートのサインが特別欲しいわけでもないようで、名前の姿を見て列を抜けてきたらしい。少し前の方に、赤毛が固まっている場所があった。
おそらく、フレッド達の家族だろう。
 名前は店内には居るからとハンナに断って、二人と一緒に列を抜け出した。ハンナは多少ショックを受けたような顔をしていたが、ちょうどその時列が小さく動いたので、名前を引き止める間が無かった。名前達はサインを待つ列から離れ、店の隅の方に寄った。本棚を背に、魔女達の大行列を眺める。
「多分、新しい防衛術担当は魔女だぜ」フレッドが言った。
「きっとママくらいの年代の奴だ」とジョージ。
「何でも良いよ、例のあの人をアクセサリーにしてなければ」名前がぼやくと、二人共笑うのを堪えるような顔をした。

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