38

 木曜日、名前は図書室に向かおうとしていた。いい加減、スネイプが出した課題に真剣に取り組まなくてはならなかった。月長石の長さがどうだろうと名前はどうでも良かったが、スネイプはどうしても気になるらしい。厄介の権化のような魔法薬学だが、名前には新兵器、もとい最近友達になったノットが居る。
 セオドール・ノットはスリザリンの一年生で、名前が本に埋もれて居眠りしているところを親切にも助け出してくれた。彼はかなり頭が良いらしく、大概の課題の疑問点には答えてくれる。ハーマイオニーもそれは同じだが、彼女の場合は間違いを教えてくれることはあっても宿題を丸々写させてくれないし、正直なところ、教え方ならノットの方が上手いのだ。そしてそのノットは、休み時間は大抵図書室に居る。
 持つべきものは、やっぱり成績優秀者の友達だ。
 そんな事を思いながら、名前はタペストリーを捲って抜け道から飛び降りた。ちょうどその前を通った生徒が目を丸くしていて、名前は「ごめんね」と言ってその脇を通り抜けようとした。名前が途中で立ち止まったのは、彼が全身に脂汗を滲ませ、倒れそうなほど真っ青な顔をしていて、その右手が不格好な手袋のように腫れ上がっていたからだ。傷口はヘドロのような緑色をしている。
「アー……大丈夫?」
 男の子は何か言ったようだったが、よく聞き取れなかった。大丈夫とか、まあまあとか、そんな事を言ったのだろう。声を出す気力すら無いようだったが、名前が「もしかして、リッジバックに噛まれたの?」と尋ねると、彼の元々青い顔が更に血の気を失くした。
「君、何で……」
「あたしは一応言ったんだよ、絶対やめた方が良いって」
 名前はそう言ってから彼に背を向け、今通ったばかりのタペストリーを捲った。「医務室に行くんでしょ? こっちの方が近道だよ、行こう」

 校医のマダム・ポンフリーは、名前達が犬に噛まれたと主張すると、元々ぎゅっと引き結んでいた眉を殊更高く吊り上げた。犬に噛まれただけでこれほど悪化するわけがないのは、一年生の名前にだって解る。当然マダムにはお見通しだったのだろうが、彼女はそれ以上追及しなかった。どうやら生徒に病状を隠され、取り返しがつかない事態になるよりは、怪我の原因を追及しないことで治療を促す方が良いと判断しているらしい。
 マダムがせかせかと治療の用意をしている間、男の子は名前に小さく「ありがとう」と言った。
「僕、ロン。君、名字だろ? 薬草学で一緒だ……」
「ああ、うん」
「助かったよ、マダムに言わないでくれて」
「うーん……」名前は返事に迷った。「これ以上、ハグリッドが厄介な事になったら嫌だから……」
 ロンは力なく笑みを浮かべた。お互い、これ以上厄介な事があるわけないと解っていたからだ。もっともロンの場合、この日の午後に、早速これ以上の厄介に巻き込まれる事になるのだが。

 詳しく事情を聞いたわけではないが、ロンがどういうわけかノルウェー・リッジバックの事を知っていて、そして噛まれてしまった事実は疑いようがなく、つまりはハグリッドがあの卵を無事に孵化させてしまったという事だ。名前は内心で嘆息した。魔法省や、先生達に伝える事が出来ない以上、彼の小屋が焼けてしまわないように願うしかない。
 こそこそと話していた名前達は、戻ってきたマダムが「その犬は」と話し始めた事で、文字通り小さく飛び上がった。
「本来であれば、その犬専用の治療薬が必要です。全般に作用する魔法薬で何とか解毒しますが、治るまでかなり時間が掛かりますし、跡が残るかもしれませんのでそのつもりで。聞いていますか、ウィーズリー」
 恐る恐る頷くロンに、マダム・ポンフリーは鼻から息を吐き出した。完全にドラゴンだとばれている。名前はお大事にと声を掛け、医務室を出た。

 今まであまり意識した事がなかったが、ロンはグリフィンドールの一年生らしい。そう言われてみると、合同授業の薬草学で見掛けた事がある気がする。ウィーズリーと呼ばれていたので、おそらくフレッドとジョージの弟だろう。彼の方が二人より背が高いので、あまり弟という感じがしないが、燃えるような赤毛はそっくりだ。
 名前はふと思い付き、そのまま西の塔へ向かった。おかげで午後の授業には遅刻したが、ビンズはそんな名前に気が付かなかったので、減点されずに済んだ。


 驚いた事に、チャーリー・ウィーズリーからの返事は次の日の午前中に届いた。もっとも朝の梟便の時間ではなく、二時間目の闇の魔術に対する防衛術の授業中にだ。
 以前彼の元へ手紙を出した際、返事が来るまでに数週間掛かったので、今回もてっきり五月以降に届くだろうと思っていたのだが、名前が大急ぎだと伝えたからなのか、デメテルはかなり頑張ってくれたようだ。名前の元に辿り着いた瞬間、彼は動かなくなってしまった。
 窓を突き破らんばかりの勢いで入ってきたメンフクロウに、クィレル先生は気が付かなかったわけではないと思うが、それでも名前が急に具合が悪くなったと言うと、医務室に行くように促してくれた。クリスマス休暇前にハグリッドの小屋で会ってからというもの、先生が名前に対して何となく甘くなっている気がしていたが、どうやら勘違いではないらしい。
 兎も角も名前はデメテルを抱えたまま、ハンナ達に訝しげに見られつつも、医務室への道を急いだ。

 手紙にはノルウェー・リッジバック種専用の血清や解毒剤、治療薬等の他に、マダム・ポンフリー宛の手紙が同封されていた。険しい顔でチャーリーからの手紙を読んでいたマダムは、やがてそれを畳むと、「チャールズ・ウィーズリーが弟の失態から目を背けるような恥知らずでなくて良かったです」と吐き捨てるように言った。それからマダムは名前が持っていた魔法薬やら何やらを奪い取るように受け取ると、すぐさまロンの治療に移った。彼は目を白黒させて名前達のやり取りを見ていたが、口パクで名前に「ありがとう」と言い、名前も小さく手を振って、静かに医務室を後にした。

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