35
この日は土砂降りだったので、名前は手持無沙汰に城の中を歩いていた。視界を覆いつくすほど降っていては、流石に外に出る気も失せるというものだ。名前はもう少し箒に乗るのが上手くなったら、箒で湖を横断してみようと考えていた。しかしこの雨だ、それも出来ない。ホグワーツにはゴブストーンクラブとか、チェスクラブとか、生徒同士で集まっている同好会がいくつかある筈なので、それらを覗いてみても良いかもしれない。
ふと振り返れば、名前の後をついてきているミセス・ノリスが居る。名前が立ち止まると彼女も立ち止まるので、どうやら本格的に名前をマークしているらしい。溜息をつきつつ、仕方ないのでこのまま図書室にでも行こうと思った矢先だった。
廊下の先から歩いてくるのがアーニー・マクミランだったので、名前は内心で溜息をついた。気付かなかったふりをして通り過ぎりたかったのだが、アーニーの方も名前に気付いた。彼はムッとしたような顔になった。おそらく、名前も同じような表情をしているだろう。
名前は踵を返し、見なかった振りをしようとしたのだが、アーニーが「待ってくれ」と声を掛けてきたので仕方なく彼を振り返った。
「あらどうも、こんにちは」
アーニーは更に不機嫌そうな顔になった。微かに眉を寄せている。
「君、また何か良からぬ事を企んでるんじゃないだろうな」
不躾な物言いに、名前は今度こそムッとなった。
「良からぬ事って何? 言い掛かりはよしてよ」
「本当かい? 部屋でマートラップを飼おうとしたって聞いたけど?」
――マートラップの飼育を試みたのは確かだが、今日は何もしていない。名前が何も言わないのを見て、アーニーはますます疑いを強くしたようだった。「まさか、また何か動物を飼おうとしてるんじゃないだろうな。ボウトラックルとか、ニフラーとか……」
ボウトラックルはあれでいて怒りやすい生き物だし、ニフラーなんて屋内で飼えるわけがない。部屋を掘り返されても構わない人間なら可能だろうが、流石の名前だって共同の部屋で飼う気にはなれなかった。
しかし元々名前を疑っているアーニーに、何を言ったところで変わらないだろう。これ以上相手をしていても無駄だし、「それじゃあね」と言って立ち去ろうとした。
「待てよ」
「着いて来ないでよ、あたし忙しいの!」
「君がホグワーツ生らしい振舞いをしないからだろう!?」
名前が速足になっても、アーニーは果敢に着いてきた。
「着いて来ないでよ!」「君が逃げるからだろう!?」の応酬を数回繰り返し、名前はいい加減怒鳴ろうかと思った。しかしながら、何も考えないまま適当に歩いてきたのが仇となった――ミセス・ノリスが、いつの間にか姿を消している。
名前は立ち止まった。
「何――」
「戻ろうアーニー、今ならまだ間に合うかもしれないし」
「はあ? そんな事言って、また誤魔化そうとしてるんだろ」
「いいから――」
ニャア、と猫の鳴き声が廊下に響いた。四階の廊下、立ち入り禁止の廊下だ。
前評判通り、フィルチは姿現ししたのではないかと思うほど唐突に現れた。フレッドとジョージは、抜け道を知っていればもしもの時の備えになると言っていたが、今がちょうどその時だったのだろう。校則を破った二人の一年生を前に、フィルチは延々と演説をぶち撒いた。やれ処罰だの、やれ退学処分だのと。
真っ青になっているアーニーはどうやらショックで口が利けなくなってしまったらしい。名前はそっと溜息を吐き出した。
「すみません、フィルチさん」
「何だ」フィルチが唸るように言った。
「あたしがあの廊下に入ろうとしたんです。アーニーはそれを止めようとしただけなんです」
アーニーがぎょっとして名前を見たのが解ったが、名前はフィルチから目を逸らさなかった。管理人は名前の言葉の真偽を見極めようとしていたが、結局結論は出なかったらしい。しかし、名前には、禁じられた森に侵入しようとした前科がある。
「――ふん。お前だけついて来い。お前はもう戻って良い」
前者は名前、後者はアーニーを指していた。アーニーは何も言わなかったが、名前は気にしなかった。ミセス・ノリスに付けられていたのは名前だし、無意識とはいえ四階の廊下に向かってしまったのも名前だ。アーニーに追い掛けられなければそんな事にならなかったと言えばそうだが、彼があんまり青くなっていたので、流石に可哀想になったのだ。
立ち入り禁止の廊下に近付いてはしまったが、中に入ってはいない。まあ多少の減点か、軽い処罰で済むだろう。名前はそんな事を考えながら、フィルチの後をついて歩いた。
フィルチに連れられてやってきたのは、城の中にある彼の事務所だった。窓が無く陰気な部屋で、壁際には羊皮紙が大量に詰まった書類棚が並んでいる。よくよく目を凝らせば壁に手枷が下がっていて、名前は少々ぎくりとした。
「ああ、それは昔使っていたんだ。あの頃は体罰が許されていたからねぇ」
名前の視線の先を見てだろう、フィルチが言った。管理人が昔の処罰を恋しがっているというのは有名な噂だったが、この様子だと事実だったらしい。怯えている名前がたいそう愉快らしく、フィルチは嬉々としている。
フレッド達はフィルチの事務所に連行された際、もう一度糞爆弾を爆発させて忍びの地図を手に入れたと言っていた。が、よくもまあそんな事ができたものだ。流石に体罰が許可される事は無いとは思うが、それでもフィルチの脅しは一年生の名前にとってかなり恐ろしかった。
フィルチが備えられていた羊皮紙に名前の事を書こうとした時、ちょうどノックの音が鳴り響いた。顔を覗かせたのは、寮監のスプラウト先生だった。
スプラウト先生は名前に視線もくれなかったが、ミス・名字は自身の寮生である為、処罰は自分が決めると言った。どうやらどこかから名前が四階の廊下に忍び込もうとしたと聞いたらしい。フィルチは暫く抵抗していたが、やがて根負けし、名前を先生に受け渡した。
「ありがとう、アーガス」スプラウト先生はにこりとした。
フィルチよりはスプラウト先生の方がましだ――そんな事を思いながら、名前は今度はスプラウト先生の後をついて歩いた。やってきたのは二度目となる彼女の事務所だ。
スプラウト先生に椅子に掛けるように言われ、名前はおずおずと腰を下ろした。
「ミスター・マクミランが話してくれました――」
アーニーがこんなにも早く告げ口したのかと名前は眉を寄せたが、そうではなかった。「――彼は先ほど私の所に来て、貴方が彼を庇う為に嘘の証言をしたと」
名前は目を丸くさせた。
「その様子では、どうやら事実だったようですね」スプラウト先生が言った。怒っている様子ではない。
「貴方と彼が無実だという事は解りました。誤って四階の廊下に辿り着いてしまったという事も、ミスター・マクミランの普段の行いから信じます。貴方がお友達を庇った事は、ハッフルパフが重んじる誠実の精神に基づいた美徳であると言っておきましょう。ミスター・マクミランが正直に寮監である私の所にきた事も、褒められるべき事でしょう。しかし貴方達二人共、立ち入り禁止の廊下に居た事は事実です。ハッフルパフから五点減点します。ですが、あなた方のその誠実さに、少しくらい報いても構わないでしょう。あなた方二人に五点ずつ差し上げます」
名前は顔を上げた。スプラウト先生は微かに微笑んでいるようだった。「一つだけ、忠告しておきますミス・名字。貴方が友達の為を思って庇ったのは、確かに素晴らしい行いです。しかし時には、その誠実さが誰かを傷付ける事があるという事を覚えておいて下さい」
「さあ、もうお行きなさい。一応、貴方達二人には罰則を受けてもらいますが、さほど時間は掛からないでしょう」
夕食後、名前とそしてアーニーはトロフィー室に居た。二人で銀杯を磨くことになったのだ。名前達は顔を合わせた時、どちらともなく「ああ」とか「どうも」とか言った
銀の磨きすぎで腕が痛くなってきた頃、アーニーが出し抜けに言った。
「僕、減点されたの初めてだ」
名前はアーニーを伺い見た。その丸い顔を上気させ、熱心にトロフィーを磨いている。減点が初めてなら、おそらく罰則も初めてだろう。
それも五点も、と気落ちした様子で呟くアーニーに、名前は少し笑った。
「あたしも減点されたけど、その後あたし達が素直だったからって先生が十点くれたよ。だから減点されてないのと同じだよ」
「それは……」
アーニーは何か言いたげだったが、微妙な顔をした後、それでも減点には違いないからと言った。あれだけ降っていた雨はいつしか上がり、雲の隙間から星が瞬いていた。
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