33

 二月が過ぎ、春と共に三月が訪れていた。しかし未だ肌寒い日が続き、土曜の午後、名前は震えながら屋外の飛行訓練場に居た。箒の練習をする為だ。
 飛行訓練の授業が終わると、一年生は全員、かろうじて箒にしがみつく事が出来るようになっていた。魔法族にとっての箒はマグルの自転車のようなもので、こうして一度でも乗る事ができれば、将来乗らざるを得ない機会があっても、どれだけ期間が空いてもそれなりには乗れるようになるのだ。習得に時間が掛かり、そして危険性も伴う姿現しを嫌う魔法使いも多いので、箒に乗ることは名前達にとって必須技能だった。
 以前届いたチャーリーからの手紙で、箒は練習しておいた方が良いと言われた為、名前はこうして一人箒に跨っていた。一年生の箒の持ち込みは禁止されているが、きちんと手続きをし、学校の備品の箒を借りる分には問題無い。
 本当はもっと前から練習を始めたかった。実際、クリスマス休暇が明けたばかりの頃も、同じように練習をしようとしたのだ。が、あまりに寒すぎて五分と経たない内にやめてしまった。もう少し暖かくなってからにしようとその時思ったし、だからこそこうして三月になってから再開したのだが、それでもまだ震えるほど寒かった。
 訓練場には風を遮るものが無いし、箒に乗ると寒さはより顕著になる。
 風に煽られながら練習をしていると、地上から「おーい」と声がして、名前は自分の足元を見た。ハッフルパフのローブを着た男子生徒が手を振っている。どうやら名前を呼んでいるらしい。名前はふらふらしながらも、やがて緩やかに着地した。セドリックだった。
「平気かい? 寒くない?」
「寒いよ!」名前が叫んだ。
 ちょうどその時くしゃみが出たので、セドリックは苦笑して自分が身に付けていたマフラーを名前に巻いてくれた。少しだけ寒さが和らいだ気がして、名前は小さくお礼を言った。セドリックは、箒の練習をするならあっちの方が良いと城壁がある方を指さした。
「箒で飛んでいると、地面に居る時と風の当たり方が違うんだ。空中に居た時の方が寒いだろう? あっちなら多少風が遮られるから、少しはましになる筈だよ」
「そうする……」
 セドリックはにこりと微笑み、城へと戻って行った。どうやら名前が震えながら飛んでいるのを見て、わざわざ教えに来てくれたらしい。セドリックの言う通り、壁際で練習を始めると、確かに風が壁にぶつかるおかげで空気の流れが不安定ではあるが、震えるほど寒くはない。
 ハッフルパフ・チームは十二月と一月の一番寒い時期に寮対抗戦を行っている筈で、名前はセドリックを初めとしたクィディッチチームの面々を改めて尊敬した。箒で高速で飛び回るのもそうだが、それをあの寒い中やっているのだ。自分には到底無理だなと思いつつ、名前は再び地面を蹴った。


 魔法薬学の授業は普段から波乱万丈だったが、この日は特にそうだった。もっともスネイプの機嫌が頗る悪いからではなく、外的要因によるものだ。
 名前達が地下牢教室に着いた時、教室から少なくない悲鳴が上がっていた。走って逃げてくる生徒達に何があったのか尋ねれば、亡者が出たのだと返ってくる。
「も、亡者……!?」ハンナが小さく悲鳴を上げた。
 亡者とは、簡単に言ってしまえば動く死体だ。マグルの言うゾンビのようなもので――闇の魔術の産物だ。当然、ホグワーツに居る筈がない。しかも、魔法薬学の教室に。
 名前は怖がって動けなくなってしまいそうなハンナを見つつ、スーザンが止めるのを聞かず、地下牢教室のドアを開けた。
 逃げ遅れた生徒達が地下牢教室の一角に集まっている。彼らの前には確かに亡者が立っていて、今にも襲い掛かりそうだった。どうやらスネイプは居ないらしい。名前は仕方なく口を開いた。「こっちだよ!」
 声を上げながら駆け寄ってきた名前を亡者が見た。そして襲い掛かろうとするが、その前に名前が叫んだ。「リディクラス!」

 パチン、と、鞭を鳴らすような音が教室に響いた。
 そしてその音と同時に、亡者の姿がぱっと変わった。現れたのは小さな仔ニーズルだ。ニーズルは自分の尻尾を見るや否や、追い掛けて回り始めた。
「リディクラス! リディクラス! リディクラス!」
 ニーズルがクラップになり、クラップがパフスケインに変わった。「リディクラス! リディクラス! リディクラス!」
 クラスメイト達は次々と姿を変える亡者だった何かを、ぽかんと口を開けて眺めていた。亡者は特別な反対魔法でしか打ち消せない筈だからだ。それが今、無害な生き物に変身している。ばたばたと走ってくる足音がして、地下牢教室にクィレル先生が現れた。どうやら全力疾走してきたらしく、例の紫ターバンが解けそうになっている。
 クィレル先生は息を切らしていたが、地下牢教室に潜んでいたのが亡者などではない事をすぐに理解したようだった。先生が前に立つと、その生物は再び姿を変えようとしたが、クィレル先生が間髪入れず「リディクラス」と唱えたことで、霞となって消えてしまった。わっと歓声が上がる。
「せ、先生、ありがとうございます」アーニーが言った。
 どうやら闇の魔術に対する防衛術の教室まで先生を呼びに行ったのはアーニーだったらしく、彼も肩を弾ませていた。
 生徒達があの亡者はなんだったのか、もしかしてクィレルは凄い魔法使いなんじゃないかと盛り上がっていると、クィレルがターバンを直しながら「あ、あれはボガートです」と言った。普段通りのおどおどとした口調だ。先ほどリディクラスを唱えた時の、明朗とした喋り方ではなく。
「まね妖怪とも言いますが、ボ、ボガートは、魔法生物の一種です。もちろんひ、非実在の存在なので、その分類には未だに議論がされてい、いますが……人目に付かない所にひ、潜んでいて、ああして人前に立つと、その思考を読み取り、その人のい、一番怖いと思う存在に姿をか、変えるのです」
 教室はしんとなっていたが、クィレルが慌てた様子で「み、皆さん怪我はありませんでしたか?」と尋ねると、生徒達は口々に先生にお礼を言った。

 ちょうどその時、教室にスネイプが現れた。普段と違って未だ着席していない生徒達を見て、スネイプは眉間の皺を深くさせる。
 そして騒ぎの中心に立っていた名前と、その傍らに立つクィレルを見て「魔法薬学の教授は我が輩の筈ですがね」と嫌味たらしく口にした。どうやらスネイプは生徒のみならず、他の教授にも辛辣な態度を取っているらしい。クィレルは明らかに怖がっている様子だった。
「さっさと席に着きたまえ。ミス・名字、始業しているにも関わらず着席せず騒ぎを起こしている、ハッフルパフから五点減点」
 あんまり理不尽な減点だったが、普段のことなので名前は気にしなかった。それに名前が名指しされてはいるものの、名前というよりはクラス全員に向けての減点だし、そして全員が着席していなかった事を鑑みれば、五点の減点で済むのは軽い方だ。しかしながら、「スネイプ教授」と声が上がった。クィレルだった。

 名前はぎょっとしてクィレルを見た。
「こ、この教室に、ボ、ボガートが居たんです。入学したばかりのい、一年生の生徒が対処できなくても、それはと、当然でしょう。む、むしろ、教室を点検していない貴方に落ち度があ、ある。ミスター・マ、マクミランが防衛術担当の私を呼んだのは、ほ、褒められるべきことです。ハッフルパフに五点。それからミ、ミス・名字のボガートの対応は、か、完璧でした。ハッフルパフにもう五点」
 スネイプは今や完全に怒っていた。自身の対応を非難された挙句、あのクィレルに正論で言い込められたからだ。普段から土気色の顔が更にひどい色になっている。しかしながら、スネイプはそれ以上何も言わなかった。そしてその様子を見て、クィレルも教室を出て行った(此方も負けず劣らず顔面蒼白だった)。
 暫くの間、生徒達が黙って席に着く音だけが教室に響いていた。その日の魔法薬学が最悪の授業になった事は言うまでもない。

[ 868/921 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]