28
マートルが怒ってしまったのは、名前が“生”に関することを口にしたからだ。厨房は食事を作る場所だし、食事は生きている者の特権だ。「私はもう何十年も食事をしていないのに!」と、マートルは泣いていた。
名前は後から彼女の気持ちに気が付いて、少しだけ反省した。既に死んでいるゴーストには、聊か無遠慮な問い掛けだった――いや、厨房の場所を聞くくらいは不躾でも何でもないのではないかとは今も思うが、兎も角も、マートルにとっては気分を害するほど嫌な事だったのだ。
ハッフルパフ寮付きのゴースト、太った修道士は陽気な男で、よく名前達にも話し掛けてくれた。道に迷った一年生は寮に関わらず快く案内してくれたし、食事の時間に大広間に現れることもあった。
ホグワーツの食事はハッフルパフが考案したレシピを踏襲しているが、要所要所でブラッシュアップされていると教えてくれたのは彼だった。
「じゃがいもがイギリスに渡ってきたのは、十七世紀よりも後じゃろう?」
皆が美味しそうに食べていると私も嬉しい、彼がそう言って笑っていた事もあって、食事に関する話題がゴーストにとって無神経なことなのだと、名前は気が付かなかった。
後日、太った修道士と顔を合わせた時、名前は非礼を謝ったが、彼は少し驚いたような素振りをしただけだった。マナー違反というわけではないし、仮にそんな事を言うゴーストが居るとすれば、そのゴーストがかなり神経質なだけだと。
誰かに何かを言われたのかと尋ねられ、名前がマートルの名を口にすると、太った修道士は悲しそうな顔になった。
此方こそ仲間が申し訳ない、と、太った修道士が言った。
「彼女は見ての通り若い身空でゴーストになったんじゃ。そのせいで精神が未熟で、少々不安定な所もある。どうか許してやって欲しい。そして、よければこれに懲りず、仲良くしてやってくれるとわしも嬉しい」
新学期が始まっても、名前は厨房を探していた。半ば意地になっていたのだ。しかし隠し通路をいくつか見付けこそすれ、肝心の厨房はまったく見付からなかった。戻ってきたスーザンは、それだけ探しても見付からないのなら、おそらく生徒が立ち入り禁止の場所なのではないかと真っ当な意見を言った。
最終的に名前がどうしたかというと、自力での捜索を諦めて、確実に知っているであろう人物に尋ねることにした。フレッドとジョージだ。
彼らは目立つので簡単に見付けられると思ったのだが、休暇が明けるとまた元のホグワーツに戻った事もあり、名前がフレッド達に厨房の場所を尋ねたのは一月も中旬に差し掛かった頃だった。
名前が厨房の場所を知らないかと尋ねると、二人は揃って目を丸くさせた。何なら少し笑っているようにも見える。
「名前、だから最近いつもうろうろしてたのか」
そんなに会っていただろうかと思ったが、恐らく忍びの地図上での事だろう。クリスマス休暇中は生徒が少ないので、あちこち歩き回っていた名前はさぞ目についたに違いない。
「まあね。知ってる?」
「まあそりゃ、知ってはいるさ」おそらくフレッド。
「何の用なんだ?」
ジョージと思われる方に尋ねられ、名前は暫し返事に困った。献立に好物をもっと増やして欲しいなんて言うのは、あんまり子供っぽい気がしたからだ。しかしながら、ジョージは自分で問い掛けておきながら、「ま、厨房に行ってやる事なんて一つしかないか」と自己完結していた。
「いいぜ、案内してやるよ」
フレッドはそう言ってにやっと笑った。
二人に連れられてやってきたのは大広間だったので、名前は自分の推理――食事をするのは大広間なので、恐らく厨房はこの近くにある筈だ――が正しかったことを知った。しかし二人は大広間の中には入らず、大理石の階段の、すぐ左手のドアをくぐった。名前は嫌な予感がした。
それから双子は階段を降りていき、名前達は一つの廊下に辿り着いた。名前が一番通い慣れている道、食べ物の絵が沢山飾られ、奥には大きな樽が立ち並んでいる、松明が掲げられた明るい廊下だ。
「……うそ!」
名前が思わずそう叫ぶと、フレッドとジョージは堪え切れずにげらげらと笑い始めた。
「だってあたし、この道毎日通ってるのに!」
通りすがりのハッフルパフ生が、不思議そうに名前達を見ていく。この廊下の先に、名前達のハッフルパフ寮があるのだ。
「灯台下暗しってやつさ」双子はまだくすくすと笑っている。
「ほらこっちさ名前、この絵は試してみたか?」
笑い過ぎて涙が滲んでいる二人を横目で見ながら、名前はジョージが示した絵画をまじまじと見詰めた。瑞々しい果物が描かれた静物画だ。この絵が入り口なんだろうか?
名前が困ってしまって二人を見ると、双子の片方が「その洋梨をくすぐるんだよ」と教えてくれた。言われた通り絵に描かれた梨を指先で触ると、洋梨はくすぐったそうに身を捩った。するとどうだろう、梨がみるみる内に緑色の取っ手に変化した。
名前が唇を尖らせると、二人はおかしそうに笑い、「ほら、その先だよ」と促した。すっかり意気消沈してしまった名前だったが、観念して取っ手を引くと、予想外の光景に呆気に取られることになった。
厨房は名前が思っていたよりずっと大きな空間だった。大広間と同じくらい大きい。部屋の中央には四つの大きなテーブルがあり、壁には真鍮の鍋や、ぴかぴかに研がれた包丁やらが並んでいた。しかし一番名前が予想外だったのは、ここで働いているのが魔法使いや魔女ではなく、大勢の屋敷しもべ妖精達だったことだ。目についた範囲でも、五十人以上の妖精が居る。
屋敷しもべ妖精は、奉仕することを生き甲斐としている魔法生物の一種だ。本来は魔法契約を交わし、大きなお屋敷や住宅でその家の家族に仕えているものだが、成程確かにホグワーツでは仕事はいくらでもあるだろう。日に三度の食事はもちろん、掃除や洗濯も、必要量は一般の家庭の比ではない。
初めて見る屋敷しもべ妖精、しかもこんなに大勢の屋敷しもべ妖精を目の当たりにして、名前はすっかり圧倒されてしまった。というかせかせかと動き回る妖精達を眺めていると、段々と目が回りそうになってくる。
名前達の来訪に気付いたのか、数人の屋敷しもべ妖精がぱたぱたと駆け寄ってきた。名前は彼らが皆、揃いの布を身に纏っている事に気が付いた。ホグワーツの校章が縫い付けられている。
「お坊ちゃま、お嬢さま、何か御用はおありになりますか?」
……誰がお坊ちゃまで誰がお嬢さまだって?
混乱している名前を他所に、フレッドとジョージは慣れたように「ちょっと小腹が空いちゃってさ」「何か軽くつまめる物貰える?」等と言っていた。二人が厨房に入ったのがこれが初めてではない事は明白だ。
夕食前の忙しい時間帯だろうに、屋敷しもべ妖精達は迷惑そうにするどころか、むしろ嬉しそうに用意を始めた。数人の妖精達が簡易のテーブルや椅子を運んできて、また別の数人の妖精が紅茶やらスコーンやらを運んできた。驚くことに、彼らは誰も彼もがこの幸運に浴する事が出来て幸せだという顔付きをしている。
名前は彼らがぱたぱたと給仕をするのを眺めていたが、やがて屈み込んだ。
「あたし、屋敷しもべ妖精に会ったの初めてなの」
紅茶を淹れてくれていた屋敷しもべ妖精に話し掛けると、その妖精はぱっと顔を上げた。
「いつも掃除とか洗濯とかしてくれてたんだね、どうもありがとう」
そう言ってから、ふと思い出して「もしかして、ベッドに湯たんぽを用意してくれてるのも貴方達? あれすっごく最高だよ、おかげでぐっすり眠れるの。いつもありがとう」と付け足した。
屋敷しもべ妖精は文字通り飛び上がった。フレッドが「おい、ちょっとやりすぎだぜ」と耳打ちしてきたが、名前は首を傾げるだけに留めた。名前は単にお礼を言っただけで、何がやりすぎなのかよく解らなかったからだ。まあ彼らがそう言うのならそういうものなのかもしれないなと思い、それ以降は何も言わなかったが、明らかに妖精達は初めより浮足立っているようだった。どうやら礼を言われることに慣れていないらしい。
その後は促されるままに席に着き、用意してもらった軽食をつまんだが、どうも屋敷しもべ妖精達は名前に気を遣っているのか、やたらと待遇が良かったのが隠し切れていなかった。双子がその事を指摘すると、彼らは「屋敷しもべ妖精がホグワーツに仕えているのは千年以上前からであり、当時は世間一般で扱いがひどかったが創設者の一人であるハッフルパフのおかげで安心して働けるようになった、なので今でもハッフルパフには感謝しており、ハッフルパフ生には他の寮の生徒よりも殊更親切にしているのだ」というような事を言った。
その言葉が真実かどうかは兎も角として(屋敷しもべ妖精が故意に嘘をつく事など無い筈だからだ)、名前は当初の目的だった献立への要望を口にするのはやめておいた。ハッフルパフの長テーブルに、シェパーズパイが連日並ぶ気がしたからだ。
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