24
その日の名前は冬用マントをしっかり着込み、城の外へ出ていた。湖の氷がスケートが出来るほど厚いのなら、氷を渡って向こう岸まで行けるということに気付いたのだ。名前は未だ、黒い湖の全体を把握できていなかった。スケートはやったことが無かったが、まあ何とかなるだろう。
どうやらホグズミード休暇の日らしく、大勢の上級生が城の外へ向かうのが見えた。この時期にホグズミード村へ行く機会があるのなら、クリスマスの買い物をそこで済ますこともできるだろう。もっとも日程は天候や学内行事との兼ね合いがある為、毎回同じ時期ではないようだが。
そんな風に余所見をしていたからだろう、ずるっと雪に足を取られたものの、がしっと腕を掴まれたおかげで転倒は免れることができた。
「おやおや、危ないぞ」
ケトルバーン先生だ。名前は「ありがとうございます」と礼を言った。名前を掴んだのが義手だったせいで実はかなり痛かったが、口には出さなかった。彼の背後にはハグリッドが居て、名前は少々ぎくりとする。初めて会った時に怒鳴られたので、彼に対して苦手意識があるからだ。
「君は確か……――」ケトルバーンは名前を見詰めながら暫し考えていた様子だった。「――名字、そんな名前だったな」
「え、あ、はい、そうです」
名前が肯定すると、ケトルバーンは満足そうに頷いた。「私の授業に紛れ込もうとしていたのは君だったな」
「それに、ハッフルパフのディゴリーとアッシュワインダーを作ったのは君だろう?」
名前はぎょっとした。(アッシュワインダーを生成してはならないという規則は無かったが)怒られる気がしたからだ。名前を知られているのも悪い兆候だ。しかしながら、ケトルバーン先生は名前を叱ろうとしているわけではないようだった。
「魔法生物飼育学では、アッシュワインダーはなかなか扱えなくてね。時間管理が難儀だ。一匹でも逃せば大変だし……君もディゴリーも良い経験をしたよ。もちろん教師としては褒めるわけにはいかないが、私はその現場を見ていないしね」
魔法火の違いで生まれるアッシュワインダーに差があるのか、着目したのは君らしいねと尋ねられ、名前は恐る恐る頷く。セドリックは加点を貰ったと言っていたが、どうやら名前の事も話したらしい。
「興味深い観点だ。よほど魔法生物が好きと見た。一度君と話してみたいと思っていたんだが、我々と一緒にホグズミードに行かないかね。ハグリッドと飲むつもりだったんだが」
名前はぽかんとした。叱られると思ったら褒められ、その上、何故だかホグズミード行きに誘われている。何と言うか、かなり破天荒な先生だ。
「先生、その子はまだ一年生ですよ」
どう答えて良いか解らなかったのだが、ハグリッドが助け舟を出してくれた。「そうだったな」
「教師の私が一緒なら、許可も要らないと思うがねえ」
「その、他の皆に悪いので……」
そう言って断ると、ケトルバーンは至極残念そうにした。
飼育学担当のケトルバーン先生は当然魔法生物の事に詳しい筈なので、名前としても色々教えてもらいたかったが、流石に一年生でホグズミード村に行くわけにはいかなかった。ケトルバーン先生は暫く考えていた様子だったが、「――確か、貰い物の蜂蜜酒があった筈だ」と言った。
「ハグリッド、今日は三本の箒でなく君の家で飲もう。それなら名字だって来られるだろ?」
「それは……構わねえですが……」
ハグリッドの返事も待たず、ケトルバーン先生は踵を返していた。それから少し進んでから振り返り、「名字、ハグリッドの家で待っていてくれ」と声を張り上げた。名前とハグリッドは先生の背中が樫の扉の奥に消えるまで見送ってしまった。
「――俺の家は、と、知っとるんだったな」
「あ、うん」
「……じゃ、ついてこいや」
名前達は短い言葉を交わすと、禁じられた森の方へ向かった。気まずい。
ハグリッドの小屋はこれまでに何度も見ていたが、中に入ったのは初めてだった。ワンフロアの小ぢんまりとした小屋だったが、中に置かれている家具はハグリッドの体に合わせて大きめだった。適当にくつろいでくれと言われ、名前はテーブルの脇の椅子に腰掛けたが、飛び乗らなければならなかったし、座ってからも足が床にまったく着かないので落ち着かない。黒いボアハウンド犬――確か、ファングという名前だ――がちぎれんばかりに尻尾を振り、じゃれついてくるので、名前のローブはよだれだらけになった。
「すまんな」
ファングが拵えた芸術品を見て、ハグリッドはばつが悪そうに言った。お茶を淹れてくれたらしく、紅茶と、お手製らしい焼き菓子を出してくれた。ロックケーキだ。
「ううん、あたし犬も好き」名前が言った。「ハグリッド、あれ何?」
「何だ?」
名前は部屋の隅に置かれていた樽を指さした。見間違いでなければ、ワラジムシが詰まっている。
「ワラジムシだ」
見間違いではなかった。「ボウトラックルをやるっちゅうんで、それの餌にするのに増やしちょる」
「そういうのも森番の仕事なの?」
「いんや。俺は手伝っとるだけだ。だがケトルバーン先生一人では大変だろう、何せ五学年分だ。俺は先生の手が足りん時、餌をやったり、世話をしたりしとるんだ」
「そうなんだ……ハグリッド、魔法生物に詳しいんだね」
「別に、そういうわけじゃねえ。家畜の世話の延長だ」
そう言いつつも、ハグリッドは嬉しそうな顔を髭の奥に隠し切れていなかった。
どんな生き物を世話したのかと尋ねると、彼は嬉々として語ってくれた。ナールやクラバートに始まり、ポーロックやファイア・クラブ、ヒッポグリフやマックルド・マラクロー等々。ハグリッドが世話した魔法生物は多岐に渡った。比較的無害な魔法生物なら兎も角、正確な知識が無いと取り扱えないような生物の方が多く、彼がかなり魔法生物について詳しいことが解る。
名前はそれまで、ハグリッドを粗野な森番の大男だと思って勝手に怖がっていた。しかしながら、こうして嬉々として生物について語ってくれるところを見ると、自分がとんでもない思い違いをしていたと認めざるを得なかった。言動は多少荒っぽいところがあるようだが、彼は見た目ほどおっかない人ではなかった。
名前の歯がロックケーキに負けそうになっていた時、小屋の扉がノックされた。現れたのは当然ケトルバーン先生と、どういうわけかクィレル先生も一緒だった。
「ちょうど城で会ってね、良いワインを持ってるというのでつい誘ってしまったよ」
「こ、こ、こんにちは、ハグリッド」
クィレル先生はそう言ってからぎこちない笑顔を作り、名前が居るのを見ると驚いたように目を瞬かせたが、「ミ、ミス・名字も」と付け足した。
「こんにちは」
「やあ、クィレル先生、どうぞ、どうぞ」
ケトルバーン先生とハグリッドは仕事上ある程度関係があるようだが、此処にクィレルが混ざるのはかなり奇妙な感じだ。ケトルバーン先生とも、ハグリッドとも全くタイプが違うように見える。もちろん、名前が一番場違いなのは間違いないが。
謎の会合となったが、結果的に大人達はかなり盛り上がっていた。ケトルバーン先生とハグリッドは元々かなり仲が良いようで、名前も知らないような魔法生物の事も、二人からしてみると序の口らしく、あれはああだこれはこうだと教えてくれたり、そこはそうじゃないと議論を交わしたりしていた。意外なことにクィレルは聞き上手で、絶妙なタイミングで合いの手を入れ、ケトルバーン先生達は更に盛り上がった。
お酒を飲むと、大人ってこうなるんだなあ。キングズリーは殆どアルコールを取らなかったし、父親が飲んでいた記憶も無いので、酒に酔った大人というのは新鮮だ。
「――ミス・名字がこれほど魔法生物に詳しいとは驚いた」クィレルが言った。
顔色もあまり変わっていないし、他の二人のように声が大きくなったりもしていないので、てっきり彼は酔っていないと思っていたのだが、この様子だとそうでもないらしい。名前はクィレル先生がこうしてすらすら喋っているところを初めて見た。「それだけ詳しければ、魔法生物規制管理部でも重宝されるのではないかい」
「規制管理部って……魔法省……?」
名前がそう口にすると、クィレルは少々笑ったようだった。名前の言い方が面白かったらしい。
「ほら、あのニュート・スキャマンダーも始めは……魔法省の職員だったろう?」
魔法省には、魔法生物を専門とした部署がある。飼育の許可を出したり、魔法生物の密輸入がされていないかチェックしたり、生物の分類を決めたりしているところだ。確かに、魔法生物について詳しい方が就職の際に有利かもしれない。しかしながら名前は自分が役人になるビジョンが全く浮かばなかったので、何とも言えなかった。
「スキャマンダーは魔法省での仕事をかなり退屈だったと自著に書いてる。まあ、役人だったからこそ成し得た功績も勿論あるがね」ケトルバーンが言った。「本人はドラゴンの研究をしたかったらしい」
クィレルは頷いたが、「いずれにせよ魔法省に入るには今からかなり勉強しないとならないだろうな、名字の成績はどうなんだね」と尋ねられると笑って流していた。魔法省に入りたいわけではないが、流さないで欲しい。
名前の成績が良くないと思ったのか、ケトルバーン先生は「可哀想にな……」と呟いたし、名前は怒ればいいのか悲しげな顔をすればいいのかいまいち判断に迷った。
「規制管理部になんぞ入らんでええぞ、名前!」と、ハグリッド。
熱の籠った言い方だ。あんまり勢いが良いので、魔女カボチャジュースの瓶が危うく倒れるところだった。「あいつらは仕事をやっとるふりばっかしちょる、魔法生物の事なんて二の次だ!」
「そうとも」ケトルバーンが頷いた。「良い事を思い付いた、私が引退したら君が魔法生物飼育学の先生になれば良い」
「――えーっ!?」
名前は思わず叫んだが、ハグリッドはそれは良いと大賛成しているし、ケトルバーン先生は自分の考えた妙案を素晴らしすぎると感じているようだった。
――飼育学の先生? あたしが?
先生になるだなんて、今までに一度も考えたことがなかった。ケトルバーン先生は先生の仕事を楽しいと思っているようだし、実際やれば楽しいのかもしれない。色々な魔法生物を扱えるのも魅力的な点ではある。しかし名前が今までに会ってきた先生は、杓子定規で融通の利かない先生ばかりで、こんな大人になりたくないと思った事こそあれ、まさか先生になりたいなんて、思った事も無い。
「……クィレル先生は楽しいですか、先生やるの?」
名前がそう尋ねると、クィレルは驚いたように名前を見たが、やがて「自分が学んだ知識を次の世代に伝えられるのは、楽しいよ」と静かに言った。
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