22
雪が降り出す頃には、名前は日課の湖通いをやめざるを得なかった。湖に分厚い氷(スケートを試みる生徒まで居るほどだ)が張り、水中観察なんて夢のまた夢になったからだ。代わりに禁じられた森に近寄ってみようとしてみても、禁じられた森のきの字に触れる前にハグリッドに捕まるのが常だった。
「ハグリッド、何であたしが来てるって解るの?」名前が不貞腐れた。
湖に通う内、森番を含めこの辺りを通る人間がどういう行動パターンをしているか、ほぼほぼ解ってきていたつもりだった。忍びの地図は当然無いが、彼らの視線をかい潜るのなんてわけないと思っていた。
「お前さんが城から来るのがずーっと見えとった」
「見えてたって……」
ハグリッドが示したのは名前が通ってきた轍だった。まだ雪は微かにしかないので、黒々とした小道が城までずっと続いている。誰かが歩いてきたことが丸わかりだ。足跡を消す方法が解らないのは兎も角、これに気付かないのは間抜け過ぎた。ハグリッドに放り出され、名前は仕方なく城に戻った。
十二月の土曜日、またクィディッチの寮対抗試合があった。今度はハッフルパフとレイブンクローの対決だ。どうやらクィディッチに勝つと寮の得点も貰えるらしいので、名前もハンナ達と共に応援に行ったのだが、結果は惨敗だった。
スニッチはハッフルパフが捕ったが、レイブンクローのチェイサー達の連携に手も足も出ず、試合終了時には五十点以上の差がついていた。ちなみにレイブンクローは強敵で、ハッフルパフはここ数十年勝てていないらしい。
「セドリックは、どうして負けると解ってるのにスニッチを捕ったんだろう」
城までの道すがら、いつもの芝居がかった口振りで、アーニーがそう言っているのが聞こえた。
名前は寮対抗は総当たり戦なのだから、これ以上点差を広げて優勝の目を潰すよりは負けてでもスニッチを捕る方が理に適っているのだろうと思ったが、口には出さなかった。「そんな事も解らないの?」と、思わず嫌味を言ってしまいそうだったからだ。もっともアーニーの場合、そういう戦略があると解っていて、敢えてああ口にしているのかもしれないが。
周りのハッフルパフ生達がアーニーに同調するような声が上がる中、名前は何も言わなかったが、同じ一年生のザカリアス・スミスが「これ以上点差が開く前に捕ったんだろ」と口を出した。その上「そんな事も解らないのか?」と、甚だ疑問だという口振りで付け足したので、名前は少し笑ってしまった。アーニーは微かに赤くなっていた。
次の日の朝、名前は平日と同じように早起きした。日曜日の朝は皆寝坊しがちだが、十一月の時がそうだったように、クィディッチの次の日は大半の生徒が普段より起きるのが遅いらしいのだ。大方、クィディッチについて夜中まで盛り上がっている生徒が多いのだろう。今回はハッフルパフの試合だったので尚更だ。
談話室には名前の他に誰も居らず、まだ太陽も昇っていない中、名前は暖炉の前に陣取っていた。
名前が温かな湯たんぽの誘惑に打ち勝ち、急いで起き出してきた時には、既に暖炉には火が入れられていた。もしかすると人が来るのを察知すると自動で点火するようになっているのかもしれない、と名前はそんな事を考えた。ずっと燃やされるようになっている可能性もあったが、談話室はまだいくらか冷えていたのでその線は薄いだろう。
名前は薪をくべながら、鞄からいそいそと小袋を取り出した。ウィーズリーの双子に買ってきてもらった煙突飛行粉だ。
名前が煙突飛行粉を火に振りかけようとしたのと、「名前? おはよう」と背後から声が掛かったのは殆ど同時だった。
名前が粉を握りしめたまま固まっていると、やってきたセドリックは不思議そうに首を傾げてみせた。
「おはよう!」名前が言った。咄嗟に煙突飛行粉を握りしめたままの右手を後ろに隠したが、緑色の粉が零れ落ちるのを見られてしまったかもしれないと思った。「セドリック、起きるの早いんだね! お祈りの時間にはまだ早いんじゃない?」
「お祈りが何かは解らないけど……」
どうやらセドリックは魔法族出身らしい。もっとも名前の友達だって、日曜の礼拝に行くほど熱心な人は居なかったが。
休みの日もちゃんと起きるようにしているのだと言うセドリックに名前は笑って頷いていたが、「誰かと連絡が取りたいのかい?」という問い掛けには閉口した。どうやら煙突飛行粉を加えようとしていたのはやはりバレていたらしい。そういうわけじゃないけど、と口籠る名前に、セドリックは少々考えたようだった。
「もしかして、アッシュワインダー?」
名前が何も答えられなくなったのを見て、セドリックは察したようだった。
怒られるんだろうな、と観念していた名前だったが、意外な事に、セドリックは「そんな事をしちゃいけない」とか、「先生に報告するよ」とかは言わなかった。
「僕と一緒なら構わないよ」セドリックがそう言ったので、名前はぱちくりと目を瞬かせた。
でも談話室でやるのは火事の危険性があるから感心しない、戸外でやろう、でもまだ暗いしもう少し時間が経ってからにしよう。そんな風に言われ、名前はセドリックと共に大広間で朝食を取り(大広間は当然まだ閑散としていたが、二人が席に着くと熱々の卵やベーコンが用意された)、凍て付いた冬の空気が張り詰める中、名前はセドリックと共に城の外へと飛び出した。
夜が明けたばかりで凍るようだったが、同時に澄み切った空気が清々しくもある。見晴らしが良いから湖岸の辺りでやろう、とセドリックが言い、名前も賛成した。万が一、アッシュワインダーが逃げ出したら困るからだ。禁じられた森に逃げ込んでしまって一面が焼け野原になる、という可能性が無いわけではない。
アッシュワインダーが発生できるように、辺りに散らばる石で囲いを作る。大岩を風除け代わりにしているが、湖を渡ってくる風は存外冷たい。名前はこの感じでアッシュワインダーは造れるだろうかと心配になったが、セドリックも同じように思ったらしく、難しそうな顔付きで石を並べるのを手伝ってくれている。
三年生で、優等生のディゴリー。ハッフルパフクィディッチチームのシーカーをしていて、皆の人気者。名前が談話室でアッシュワインダーを作るのを止めるのは解るが、何故彼が手伝ってくれる気になったのかは解らなかった。もっともセドリックは無口だったし、気軽に尋ねられる間柄でもない為、そういう気分の時もあるのだろうなと名前は勝手に納得することにした。
小さな囲いを作り終えると、名前は談話室からかっぱらってきた薪と、持ってきた紙ごみを中に入れた。日刊預言者新聞をくしゃくしゃにしたものだ。名前はキングズリーに新聞を購読させられていたが、殆ど読まずに捨てているので、こうして再利用出来て良かったと思った。
それから同じく持参したマッチで火をつける。記事の写真の人々が文句を言うように名前を見たが、火が燃え広がってくると逃げるようにして写真から消えた。
「マグルの道具かい? 火をつける為の?」
「そうだよ。魔法で付けても、うまく燃えなかったらすぐ消えちゃうでしょ。それに、そもそも呪文を知らないし」
「なるほど……」
火が大きくなってきたのを見て、名前は煙突飛行粉を振りかけた。焚火は瞬く間にエメラルド色に燃え上がる。「魔法火ができたら暫く静かに待つの。アッシュワインダーが無事に生まれるようにね」
それから二人は何も喋らず、静かに時を待った。じっとしていると思い出したように寒さが襲ってきたが、日は段々と昇ってきたし、セドリックという熱源が隣に居てくれているので何とか持ち堪える事が出来た。天気が良くて良かったと思うし、セドリックが居てくれて本当に良かったとも思う。これで雪でも降ろうものならかなり悲惨だっただろう。もう少し暖かい時期にやれれば良かったのだが、煙突飛行粉を手に入れたのが最近だったのだから仕方がない。
待つ事数十分。焚火が徐々に小さくなっていき、熾火も弱々しくなってきた頃、不意に、炎が奇妙に揺らめいた。
白緑の熾火の中から、灰白色の細長い蛇が鎌首をもたげていた。アッシュワインダーだ。赤く光る両眼が注意深く辺りを伺っていて、名前達の姿に気付くと、さっと熾火の中に隠れてしまった。しかしまた暫くすると、そろそろと這い出して来る。名前は興奮して隣のセドリックを叩いたが、彼もアッシュワインダーに夢中なようだった。
此処が屋外で、そして辺りに雪が残っていることも関係しているのか、アッシュワインダーは石の囲いの外に行こうとはしなかった。小一時間程経った頃、アッシュワインダーは不意に動きを止めた。そして鼻の先から灰になり、やがて跡形も無く崩れてしまった。
名前は小さく「アッ」と叫んで、アッシュワインダーの元へ駆け寄った。石の囲いの中は、アッシュワインダーが這いずった灰の跡が残っていた。焚火は殆ど消えかけていたが、後に残されていた赤い卵が熱を発していて暖かかった。――アッシュワインダーが生きられるのは、発生してから一時間だけだ。その僅かな時間で産卵をし、そして短い生涯を終える。
この卵も放っておいたらアッシュワインダーが生まれるのかな、と、名前はそんな事を思っていたが、セドリックが凍結呪文を掛けてしまったのでそれは叶わなかった。名前は「ありがとう」と言って卵を拾い上げたが、その声には不満げな響きがあったかもしれないと感じた。もっともセドリックは気にしていないようだったが。
「――凄かったね。あたし、感動しちゃった。本当に魔法火から生まれるんだ」名前が言った。
「生まれて一時間しか生きられないのに、何でわざわざ卵を産むんだと思う? ニュート・スキャマンダーは、卵が発火すれば新しいアッシュワインダーが増えるからじゃないかって言ってるけど」
「どうだろう……」
答えなんて無いのに、セドリックは真面目に考え込んでしまったようだった。結局二人共、スキャマンダーの説に賛同することにした。同時に、今造り出したアッシュワインダーが石の囲いから出ようとしなかったことから、卵が高熱を発することで、次の世代が過ごしやすい環境に作り替えようとしている面もあるのではないかという結論に至った。もちろん、実際のところはアッシュワインダーに聞いてみなければ解らないのだが。
産卵されたばかりの卵は燃え上がりそうなほど真っ赤だったが、凍結された今は鈍いオレンジ色をしていた。鶏の卵よりずっと小さく、うずらの卵より更に一回り小さいくらいだろうか。楕円の形をしていて、中まで凍結されているからかかなり硬かった。もしかすると、生みたてだと(もちろん触れないが)柔らかいかもしれない。日に透かしてみると、半透明のオレンジ色が広がっていた。
「セドリックにもあげる。そのまま飲むと熱冷ましになるらしいよ」
「……ありがとう」
燃え残った薪は未だ熱を持っていたので、どうにかして湖の水を運んでこなければならないだろう。名前が燃え殻を片付けようとしていた時、出し抜けにセドリックが言った。「ところで、僕は火を熾す呪文を知っているんだけど」
「フリットウィック教授は、この呪文でつけた火は必ず消さないといけないって仰ってた。アッシュワインダーが出るからって」
「ほんとに?」名前は手を止めた。「あたし、魔法火の違いで生まれるアッシュワインダーに違いがあるのかずっと知りたかったの!」
名前がいそいそと予備の薪を取り出すと、セドリックは暫く笑いが止まらなくなってしまった。それから二人は二時間ほど戸外に留まり、二度目のアッシュワインダーを作り出すことに成功した。なお、生まれたアッシュワインダーにさほど違いは無く、セドリックは「インセンディオの炎で生まれた方が、少し体長が短いみたいだね」と気を遣ってくれた。
後日、セドリックは名前のおかげで得点を貰ったと教えてくれた。魔法生物飼育学でアッシュワインダーの事に触れた時、魔法火によって違いがあるのかと尋ねたら、ケトルバーンは興味深いと笑って加点してくれたそうだ。
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