16

 禁じられた森への記念すべき本当の第一歩は、名前が思っていたよりもかなり呆気ないものだった。むしろ、ハグリッドは留守にしているとはいえ、辺りに誰が居ないとも限らず(忍びの地図は、ちょうどハグリッドの小屋がある辺りで途切れているのだ)、速足で森の中に入ったので、まったくもって感動的ではなかったとしか言いようがない。いつの間にか校庭との境界を超えていて、いつの間にか禁じられた森に入っていた。
 二人が何度か森に入った事があると言っていたのは事実だったようで、フレッドもジョージも、先程までは人目を気にしてこそこそしていたのに、森に入っていくらか進むと一息ついたような様子を見せた。名前は特大の規則破りと、危険な魔法生物が居ると評判の森に入ったことでずっとドキドキしているのに、彼らには屁でもないらしい。もっとも警戒は解いていないようで、周囲に危険生物や何やらが無いか気にしているようだった。二人が杖に灯りを点けたので、名前もそれに倣った。ルーモスはこの間習ったばかりだ。
 彼らが言った事によると、調合に使うベラドンナを採りに来たらしい。ナスの仲間で、日当たりの悪い場所に生えるという。天気が良いのにも関わらず禁じられた森は薄暗いので、ベラドンナが自生していても不思議ではない。名前は魔法薬学で使うのなら地下牢教室の材料棚にあるのではないかと尋ねたが、二人は首を振った。
「僕らも最初に探したけど、エキスしかなかったんだ」
「根っこから抽出したやつさ。鎮痛剤の材料になる。けど、僕らが今回欲しいのは実の方でね」
「季節じゃないけど、まあ少しくらい残ってるだろ」
「温室も収穫無しだ。仕方ないから自分達で採りに来たってわけ」
 どちらがどちらか解らなかったが、双子はそれぞれそう口にした。名前はふうんと頷いていたが、二人がスネイプの個人保管庫にも入ったと聞いて、危うく「えーっ!」と叫んでしまうところだった。

 魔法薬学の授業では、調合に使う材料を自分達で用意することになっている。教室の壁には棚が並んでおり、所狭しと薬瓶が置かれていて、生徒達はそこから授業で使うカノコソウやら、コガネムシやらを自分の作業机に持ってくる。一年生の名前達の場合、使う材料も簡単なものばかりだし、スネイプもどの棚にある材料を用意するようにと初めに教えてくれるのだが、それでも間違うととんでもないことになるので、材料を取ってくる時は皆慎重に作業する。そして、魔法薬学は一年から七年まで授業があるので、一年生では取り扱わない材料も棚の中には用意されている。
 生徒用の材料棚は(当然、授業中に限るが)生徒が自由に使って良いことになっているので、授業で使う材料を取りに行くついでにちょっぴり余分に頂く、なんてことはできるのかもしれない。しかしスネイプの個人用の保管棚は話が別だ。
 ホグワーツの教室にはそれぞれ担当教師が使う為の事務室が併設されていて、地下牢教室の場合はその隣に小さな保管室もついていた。古惚けた扉はいつでも鍵が掛かっていて、生徒の立ち入りを禁止する文言が書かれている。スネイプが成績の悪い生徒を閉じ込めて大鍋で煮込んでいるという噂だが、実際には彼の個人的保管庫で、授業では到底使わない薬品や、高価な材料が仕舞われているらしい。
 二人は魔法薬学の自主勉強としてベラドンナを使いたいというわけではないようだし、正直なところスネイプが彼らを気に入っているとは思えない。彼個人の保管庫に入ったというのは、間違いなく何かしらの違法な手段で、無許可で入り込んだという事だろう。結果的に欲しい材料は無かったとはいえ、保管庫への侵入がスネイプにばれたらどうなることか。名前はホグワーツに来てまだ二か月と経っていなかったが、スネイプがかなり性格に難のある先生だということは身に染みて理解していた。どうやってスネイプの個人保管倉庫に入り込んだのかをフレッドもジョージも言わなかったし、名前も絶対に聞かないようにしようと心に決めた。

 フレッドとジョージが多年草だというベラドンナを探すのを眺めながら、名前も一緒になってベラドンナを探したり、木の陰にボウトラックルが居ないかと覗き込んでみたり、ドクシーが葉の裏に潜んでいないかと見てみたり、頭上にオーグリーが留まっていないかと見上げてみたりした。
 名前としては二人からはぐれていないし、大きな声も出していないし、何も触っていないつもりなのだが、名前がきょろきょろしているのは彼らからしてみればひどく危なっかしく映るらしい。初めはもう少し近くに居るようにと注意するだけだったが、最終的に名前は双子の片方と手を繋いでいる羽目になった。プライマリースクールの女の子扱いされているようで癪ではあったが、城に帰らされても困るのでそのままにしていた。
「なかなか見付からないな……」名前達の少し先を歩いている方が言った。
「フレッド、もう少し奥の方に生えてるかもしれないぞ」
 名前の手を繋いでいるのはジョージの方だったらしい。フレッドがうーんと小さく唸った。
 名前達が今居るのは、禁じられた森の内部と言ってもまだほんの入り口のようなところだ。もっとも森がどれほど広いのかはさっぱり解らないので、その言い方が正しいのかは解らないが。三人が今居る小道のような場所も、恐らくハグリッドが森を管理する時に使うもので、この道を辿れば城に戻れる筈だった。
 頼りない杖灯りに照らされたフレッドの顔は、このまま道に沿ってこの辺りを探すか、ほんの少し道から外れてみるべきかと思案しているようだった。何か巨大なものが突然近寄ってきたのはその時だ。隣に立つジョージがぎくりを身を震わせた。

 禁じられた森は危険な魔法生物が居るから入ってはいけない、そう言われてはいるが、どんな生物が居るのかは誰も教えてくれなかった。狼人間が棲んでいるという噂は名前も耳にしたが、まだ日は沈んでいないし、そもそも今日は満月ではないので殆ど危険は無い筈だ。しかしもしもマンティコアとか、コカトリスとかが居たら一巻の終わりだ。名前はあらゆる意味で胸を高鳴らせたが、結局その興奮はすぐに沈んでしまった。木立から現れたのは若いケンタウルスで、名前達を無関心げに見下ろしたからだ。
 パロミノのケンタウルスは、「ホグワーツの生徒はこの森に立ち入ることは禁止されている筈ですが」と誰に言うでもなく口にした。名前はフレッドとジョージが目を見交わしたのを見たが、二人共返事をするのを躊躇しているらしい。
「こんにちは、あたし、名前・名字」
 名前が言った。ジョージが横目で名前を見た。
「名前・名字」ケンタウルスが繰り返した。「私はフィレンツェ」
「あたし達、ベラドンナって草を探してるの。薬に使いたいんだって。どこに生えてるか知らない? あ、あたし達はベラドンナって言ってるけど、あなた達の言葉では違う言い方をするかも。このくらいの大きさの、黒い実が生る草なんだけど」
 名前がそう尋ねると、フィレンツェと名乗ったケンタウルスは名前をまじまじと見返した。不気味なまでに青く澄み渡った目を見つめ返して数秒後、フィレンツェは「その植物なら知っています」と口にし、踵を返して歩き始めた。
 まるきり人の顔なのに歩くと蹄の音がするのは妙な感じだなと思いつつも、呆気に取られているジョージ達に「案内してくれるみたい」と促した。
「君……君、驚いたな……」ジョージが言った。
「何で君、ハッフルパフなんだ?」
 小走りで駆け寄ってきたフレッドも、困惑顔で名前を見た。名前が肩を竦めると、双子は困ったように顔を見合わせていた。


 ケンタウルスが迷い込んできたホグワーツの生徒に親切にしてくれるものなんだろうかと思ったが、フィレンツェは本当にベラドンナが群生している場所に案内してくれた。名前達が居た場所からほんの少し離れた所だった。名前達が口々に「ありがとう」と言うとフィレンツェは尾を振ってみせるだけだったが、果たしてその反応が好意的な意味なのかはさっぱり解らない。
 ――ケンタウルスは孤高の種族だ。独自の文化、独自の法律、そして独自の生き方。よく言えばヒトとの交流を好まず、直接的に言うなら人間を嫌っている。こうして此方の求めに応じてくれたのも、ケンタウルスとしてはかなり異端な対応だ。もちろん名前は本に載っているケンタウルスしか知らないので、実際は違うという事もあり得るのかもしれないが。

 想定していたより生っている実が多かったからか、フレッドとジョージはどのくらい持って帰るかと相談していたようだったが、フィレンツェが生えている内の一本に手を伸ばすと、フレッドは焦ったように「おい!」と言った。「手がかぶれちまうよ!」
 フィレンツェはフレッドが止めるのも聞かず、手近に生えていたベラドンナを引っこ抜いた。
「我々はヒトほど脆くありません」
 それからパロミノのケンタウルスは、自分達は葉しか使わないが人間は根を主に使うのだろうというような事を静かに言い、ベラドンナをもう何本か引き抜いてくれた。名前が「どうもありがとう」と口にすると、フィレンツェは暫し眉を寄せたが、やがて「ケンタウルスはヒトの召し使いではありません」と口にした。
「そんなの解ってるよ。親切にしてもらったからお礼を言っただけ」
 フレッドとジョージが持参した革袋に苦労してベラドンナを詰め込んでいる(どうやらホグワーツのトランクと同じように、見た目よりも多く入るようになっているらしい)のを眺めながら、名前は彼の返事を待った。眉を寄せ、目を細めて名前を見下ろしているフィレンツェは何事かを考えている様子だったのだが、彼がケンタウルスだからなのか、表情が読み辛かった。怒っているようにも見えるし、呆れているようにも見える。しかし、やがて彼の前脚が小さく二度地面を掻いた。
「どういたしまして、名前」フィレンツェが静かに言った。

[ 851/921 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]